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今年最悪のできごと

「夏休みだ.激しく研究をしなければならない」と決意を表明して以来トップ・プライオリティで取り組んで来た論文が,やっと先月末に公開できるところまでいった.イントロダクション以外は8月末にはほぼ完成したのだが,その後細かいチェックを繰り返したり,証明の審美性を高めるのに時間がかかったりして,リリースが遅れてしまった.(追記参照.)

神経をだいぶすり減らしたので,12月はじめに夏期休暇を取り,露天風呂で温泉に浸かったりした.(実際に「夏期休暇」と認められたかどうかは知らないが,夏に研究に専念して休暇を取れなかった気がするので,実質的には夏期休暇だ.) いや,べつにヌーディストの趣味はない.人といっしょに浸かるよりは,ひとりで静かに湯につかって次の論文の構想を練るのが好きなわけだ (だだし「論文の構想を練る」というのは今回は該当しない).(じっさいのところは,温泉の成分のせいか身体がかゆくなってあまりゆっくりした気分でもなかったけど.) 子供のころ行ったことのある,別府の水族館とか地獄を再訪問したりもした.立命館アジア太平洋大学行きのバスに途中まで乗って,国際的な雰囲気を味わったりもした.

さて,なにを書くんだったっけ? そう,今年最悪のできごとだ.仕事が一段落したのに加えて年末ということで,今年のニュースを振り返る気分に満ちあふれているボクだ.今年は世界的に見てもいろいろと最悪なことが起こっているようで,「なんだ世界恐慌って,この程度だったの?」なんて (勘違いして?) 拍子抜けしているひとも多いにちがいない.「自分には緊急支援はないの? Where's my bailout?」と期待する輩も少なくないだろう.

ボクにとって今年最悪だったのは,捏造に加担させられそうになったことである.

自分が取り組んだ研究で捏造をやりそうになったということではない.自分が審査する調査研究で,捏造の疑いを拭いきれないものがあったのだ.学者になって以来最悪のできごとと言っていいかもしれない.普段は過剰コンプライアンスに気をつけろという自分だが,これは学問のマナーにかかわる問題だ.このときばかりはコンプライアンスを激しく主張した.具体的には調査対象の明示を主張した.それが受け入れられないと判明した時点で,審査は拒否した.

捏造がじっさいにあったかどうかは,ウヤムヤになってしまった.ほかのレフェリーが特に問題視しなかったことから,彼らにとっては捏造でないことは明らかだったのかもしれない.単にボクは情報不足あるいは偏執狂だったのかもしれない.ただ,その調査自体はシロであったとしても,同じやり方を続けるかぎりいずれ捏造が起こるであろうことは目に見えていた.構造的な問題は残されたままである可能性が低くない.

「捏造なんて疑い始めたらいくらでも疑える.疑いが拭いきれないのは当たり前だ.ほかの研究者を信頼することなしには学問はなりたたない」

という学者もいるだろう.たしかにそういう面はある.しかし自分は調査対象者の個人レベルの情報を要求したわけではない.その調査がどこの組織で行われたかを示すこと,それも一般読者にではなく,レフェリーとしての自分に示すことだけを要求したのだ.喩えて言えば,個々の患者の記録を個人名とともに開示せよと言ったのではなく,実験が行われた病院名くらいはレフェリーに教えろと言っただけだ.(ほとんど喩えになってない.) 要するに「A 病院」じゃ確認しようがないため,捏造の疑いを持たれても仕方がないのだ.なぜミネソタのロチェスタにある Mayo Clinic と言えないのだろう?

組織が特定できれば,じっさいにその実験や調査が行われたことを確認する手段が一気に増える.人間を対象にした研究である以上,そういう実験なり調査が行われたかどうかをその組織 (あるいは独立した IRB など) が把握していないということは考えにくい.

次の記事では「夏期休暇」後の近況報告でもしよう.大学の組織再編にかかわるゴタゴタに (いまのところ) 巻き込まれていない現状だけでもありがたいと言えるかもしれない.

追記 (12/19/2008)

今年7月に書き始めた論文が,4ヶ月後の11月に完成したという意味ではない.最初に (投稿可能な材料をふくむ) 文章になったのが2004年10月で,当時は5ページのメモだった.4年ちょっとかけて,26ページのワーキングペーパーとして公開できたということ.2005 年の2月と8月に多少進展があったため,今年7月に再着手したときは7ページ程度 (プラス手書きメモ10ページ強) だったと思う.投稿可能な材料を見つけてから2年以内にリリースしたいと思わなくもない.でも,その間まったく他の論文を書かなかったわけではないので,まあ,こんなものだろう.

【2008/12/12 05:05 】
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信長書店を超える大学図書館

図書館に移ることになった.他大学でいえば「研究開発室」と呼ばれるところだ.「平成香川大学図書館・情報機構 図書館研究開発室」か.学問の自由を強く主張して来たせいで,適任と思われたのだろう.図書館は (直接的には利用者の,前例を作るという意味では国民の) 知る権利や表現の自由を守るのが仕事だからだ.さらば GSM,さらば地域マネジメント研究科,学問のマナーくらいは守ってくれよ.

現実には学問の自由を守ることにかんして図書館が全学にたいして持つ影響力は絶望的なほど限定されているし,ボクが図書館にたいして持つ影響力もほとんどゼロだろう.だからできることは限られているのだが,それでも図書館専任教員あるいは研究員として,学問の自由の牙城にいるという気概を持たねばならないだろう.

ボクを支持した役員や同僚たちは,「平凡助教授に任せれば,信長書店 (香川にしかないみたい) を超えるエロコレクションを平成香川大学図書館に実現することができる」と考えてボクに投票したらしい.「平成香川大学は裏ビデオを所蔵する国内有数の大学図書館になる.全国からオタクが集まり,近隣でうどんの一杯や二杯も食っていくだろう.つまり立派な地域貢献にもなる」と考えたそうだ.

甘い! エロ DVD 屋で買えるものを,大学で買う必要があるのか? 設備は対応できるのか? たとえば
「AV 室にティッシュくらい用意しとけ,間抜け!」
というていどの苦情ならまだ対応できる.しかし真面目な話
「同室者がいるのにオナニーをしながらビデオを見ている教員をどうにかしてほしい.男子学生の前でやるならまだ許せるが,女子学生の前ですべきことではないと思う」
とか
「同室者がいるのにビデオを見ながらオナニーをしている教員をどうにかしてほしい.女子学生の前でやるならまだ許せるが,男子学生の前ですべきことではないと思う」
という苦情は必ず来るだろう.AV 室とか作りなおさなきゃいけなくなる.そういう余裕はないよ.

なに? 貸し出せばいいんじゃないかって? ううむ,そうか,それはいい質問だ.しかし,いくら集客効果があってオタクが集まっても,彼らは細密な分類くらいはできるだろうが,たいした学問的貢献はできないのでは.そんなの多数決で蹴られるに決まってる.多数決で決めるべき問題かと言えば否だが,それが現実だ.やりたきゃあんたが勝手に個人研究費から細々とカネ出してコレクション作ってくれ.ボクは止めはしないから.

「いや,信長書店のようなそのへんの並のエロビデオ屋で買えるものを入れろとは言ってないだろ.そういう並のところでは買えない,特別裏ビデオコレクションと数行上に書いてるだろうが,ボケ! 読解力のないバカなキミのために端的な例をあげれば,たとえば平成香川大学女子学生出演の裏アダルトビデオだ.まあ,これは一例に過ぎないわけで,読解力のないバカなキミでももっとマシな例くらい思いつくだろう.」

なるほど,わが大学女子学生出演というのはなかなかいいアイディアだ.おそらく国内大学図書館に類例を見ない画期的なものになるんでは.文部科学省とか文化庁あたりから「いいねえ,グッドだねえ」って補助金をもらえるかもしれない.個人的には応援したいのはやまやまだ.製作委員でも選定委員でもやってやろうじゃないか.(ただし選定委員会は,若くてキレイな女性図書館員とボクの二人だけという条件でないと困る.)

しかし,実現可能性低いんじゃないのか.同級生に見られるわけだし,出演希望者いるかねえ.全国の大学で試せば一年に数人くらいはそいういう娘も出て来るかもしれんが,わが大学でやっても10年に一人も希望者が出ないんでは.「コレクション」と言えるほどのものは作れないだろ.

ということで,大多数の同僚の期待には応えられない.すまないが勘弁して欲しい.どうしてもコレクションを作りたければ,まずは個人レベルで努力してほしい.いつの日か学生はもとより学長や図書館長やボクをあつめて試写会ができるようになれば,道は拓けるかもしれない.

学問の自由を守ること以外の研究開発室の仕事への抱負などは近いうちに述べるつもりだ.

参考文献

日本図書館協会. 図書館の自由に関する宣言.

追記 (10/11/2008)

図書館戦争」というアニメがあったんだね.知らなかった.「メディア良化法」と「図書館の自由法」の戦いらしい.現実に大学や図書館 (正確には寺院をはじめとする宗教組織など) は軍隊 (軍事組織) をもっていたわけだから,突飛な話ではない.

【2008/10/04 07:15 】
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さらば GSM

GSM (地域マネジメント研究科) を離れることになった.さよならしなければならないのは残念だ.この研究科はおかしなルールが多かったが,その適用の仕方もおかしなことが多かった.ルールを研究する者としていろいろ学ぶところがあった.まあ,GSM にかぎらず大学の学部や研究科というのはどこもそうなのかもしれない.

せっかくなので,以前「教員評価の書類を準備してみた」でとりあげた教員総合評価の事後報告でもしておこう.気になっている読者もいるだろうから.評価は A, B, C の三段階だ.

まず,研究科 (正確には研究科長ということになっている) は当初,書類不備を理由に,評価を出さなかった.どこが不備かは教えてくれなかった.

ボクは異議を申し立てた.異議申し立て回数に制限があるのかどうかは知らないが,制限があったばあい,これで一回にカウントされるというのは不利な話だ.

べつに書類を再提出したわけではないが,今度は研究科は評価を出して来た.わけわからん.いったい書類のどこが不備だったのだろう.総合評価は並の B だった.ああ,そうかい.

研究活動評価は A だった.これはひとえに研究としての価値がほとんどないケース教材 (類例はこちら) を作成したためだ.純粋に評価対策だった.それがなかったら C だった.

教育活動評価については,当然 A と思っていたものが C だったので驚いた.事後的に出て来た妙なルールがあり,その適用の仕方もかなり無理があった.ルールとつき合わせただけでは,どうしてそういう評価になるのか分からないので,自らの備忘用に記録しておいた.

  • 「教育活動に関する自己点検の評価」は C.ある報告書さえ提出していれば C にはならないとあり,ボクはきちんと提出したのだが,なぜか非提出扱いになっていた.ルールには書いてなかったが,なんでもプロジェクト研究という科目を担当しなかった者は今回は非提出扱いにしたとか.ああそうかい.担当したかどうかで決めるのね,手を抜いたかどうかでなく.ボクはその科目の担当を免れたかわりに別科目を担当させられたのだが,それはまったく評価しないわけか.はじめての科目だからもちろん準備に多大な時間がかかったが,それに留まらずプログラミングの勉強をし,IT の資格を取り,それらを活かして授業をしたのは無駄だったわけか.むなしいな.
  • 「学生による授業評価を参考とした自己点検の結果」は B. (ボクは重視してないけど) GSM が重視している「学生の満足度」で当該年度に最高点を記録した三科目のうち二科目はボクの担当科目だったんだが,なんで? 人数が基準に1人足りなかったということらしい.ああそうかい,そういう基準をあとから出して来たわけね (追記参照).数理的な応用科目だし,事前にきちんと情報提供したら受講生が限定されるのは目に見えているが,情報提供をしないほうがよかったということか? まあ,人数不足だけで A が突然 C にならないだけマシか.

そうかい,そうかい,よく分かりました.ボクは異議を申し立てないことにした.

追記 (11/4/2008)

学生による評価の人数基準が事後的に出て来たというのは不正確だった.研究室の引越の準備をしてて出て来た古い教授会資料に,評価基準が載っていた.それによるとたしかに人数については明示してあったので,あと出しではない.(ほかの点についてはやっぱりあと出しがあった.) ただしこういう基準は,評価書類の準備用に配布するマニュアル (これ自体なきに等しい) にふくめておかないと意味がないだろう.

ちなみにその資料にしたがえば,ボクの「社会貢献」は最悪でも B にしかならないはずだ.自己申告したネット上での活動を零点としても (これって重要な社会貢献なのにな),少なくとも二回やった論文レフェリーはカウントされることになってるから.数学の証明とかチェックしてると,レフェリー一回で丸一週間くらいつぶれることもざらだから,零点ということはないだろう.しかしなぜか社会貢献も零点を意味する C だった.証拠としてレフェリーリポートでも添付しないといけなかったのだろうか.

【2008/10/04 06:12 】
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平成香川大学の組織が再編成されるらしい

最近極秘に入手した資料によると,わが大学は組織を再編成しようとしているらしい.(同僚へ: ここに書いたのは例の「平成香川大学の新たな教育研究体制」という表向きの文書とは異なる極秘資料による情報である.新学部名や組織構成など,その文書にある情報と一致しない部分もあるが,こちらの情報のほうが正確である.例の文書は現時点での教員の反対を潰すためだけに準備された宣伝文書にすぎないので,まったく参考にしていない.ちなみに自分は推進派である大学側そして反対派教員の双方から極秘の指令を受けてディスインフォメーション活動をしている.いずれの立場にも偏向しない信頼できるソースとして,同僚にこの記事の所在を教えるべし.) ポイントは教員組織と教育組織を分離し,個々の教員をそれぞれに参加させることだ.

教員組織には三種類あり,各教員はいずれかひとつに所属する.

  • 研究院.理学工学研究院や社会科学研究院など.
  • 機構.知識と図書サービス機構など.
  • センター.危機教員管理センターなど.

研究院に所属するばあい,どの研究院になるかはその教員の研究上の専門分野にもとづく.たとえば社会選択理論家なら社会科学研究院でも理学工学研究院でも人文科学研究院でも可能性はありそうだ.雑多な専門分野の研究者を抱える現教育学部は分断されそうなものだが,いや待て「学校教育学研究院」というのもあるじゃないか.ひとつの研究院を構成できるほど多くの教育学の専門家がいるんだろうか? 社会科学研究院なんかは経済学や政治学ほか社会科学ではない (と J. マーク・ラムザイヤーも言う) 法学もふくむほど多様性があるのだが,そのことと比較しても不自然だ.(社会科学者と法学者を混ぜるとそこそこの大世帯になるが,研究院内の意見対立で学内政治力はたいして持てないだろう.「内部の意見対立でまともな意思決定もできない研究院になるだろうから,オレはそんなところさっさと辞めたいよ」と嘆く同僚もいる.個人的には研究への相乗効果も期待しなくもないので,「いいんじゃないの」と傍観する感じだ.もっとも他学部の新任女性教員を食い物にして来た好き者の言うように,「組織が異なる方が自由な交流 (例: 研究室セックス) はやりやすい」という意見もある.) 要するに「研究分野で分ける」というのは対外的な説明であって,じっさいは経済学部と法学部 (プラス地域マネジメント研究科と連合法務研究科) と物好きな教育学部の一部教員が社会科学研究院か人文科学研究院に再配置される以外は,惰性でスライドできるように現状の学部に対応する研究院が用意されている.

研究評価は所属研究院で受けることになるので,各自は自分の研究を正当に評価できそうな同僚がいそうな研究院を希望することになるだろう.そのことを考慮に入れれば,ボクのばあい社会科学研究院に所属するのが得策かもしれない.あるいは研究院以外の機構・センターに所属して独自の評価基準を自分でデザインするのも手かもしれない.ただ,機構・センターはそれぞれ独特の機能をもつことになるので,その機能が自分のポリシーに合わないと仕事が苦痛だろう.たとえば研究補助金は研究の邪魔にしかならないと考える研究者にとって,研究推進機構行きは辛いかもしれない.危機教員管理センターにでも行って,問題女性教員に馬乗りでもして根性を叩き直すのが自分には向いているかもしれない.

教育組織は新しい学部と研究科が追加された以外は現状とさほど変わらない.なお,組織を指す用語が固まっていないので,現状の「学部」「研究科」という用語を使う.

  • 学部.工学部,経済学部,法学部,複雑系人文社会学部 (アナーキーの実現を目指す新学部) など.
  • 研究科.工学研究科,経済学研究科,法学研究科,複雑系人間関係研究科 (新研究科),地域マネジメント研究科など.

特筆すべきは,それぞれの学部や研究科には定員があり,入学者選抜の基本単位となっていることだ.あまり現状と変わらないので,なんのための再編 (「改革」というらしい) か分かりにくい.国際基督教大学のように「まずは全員を一括で受け入れて,入学後に専門に分けて行く」という考えとはまったく異なる.「定員」を完全にとっぱらわないまでも,もっと自由度を持たせるものと思っていた.

一歩前進したのは,学生が主専攻と副専攻を選べることだ.これは一部の男子学生にとって朗報だろう.たとえば経済学を主専攻としつつ,産婦人科医学を副専攻にできるわけだ (未確認).ただ,専攻はかなり早い時期に申し出なければならない.学士号申請時 (通常は卒業時) に専攻を申し出るという単純明快なやり方をしない理由が分からない.(「早期に指導するため」などの理由をこじつけることはできるだろうけど,それは早期に指導を受けたい学生に対して受け入れ体制を整えれば済む話だ.専攻要件さえ明確にしておけば,計画的な学生は指導などなくても希望する卒業時期までに獲得したい主専攻や副専攻の要件を揃えられる.)

ちなみに自分が学生のころは副専攻というのは制度化されてなかったけど,大学院進学のための申請書には堂々と「経済学メイジャー,数学マイナー」と書いたものだ.実際の履修科目から自分で判断したものであり,制度化されてなかったので虚偽とは言わない.学部卒で米国一流大学大学院経済学博士課程への切符を得ることができた裏にはこのようなヤバくない工作があったわけである.(じつは「経済学がメイジャーである」という要件もないに等しかった.経済学で卒業論文を書いている学生や経済学を重点的に勉強した学生は就職活動では「経済学専攻」と申告していた.)

各教員は学部・研究科それぞれ複数担当することが可能になる.これは各教員がひとつの学部にしか参加しない現状にくらべれば前進だ.主担当と副担当があり,主担当にできるのは学部・研究科それぞれ1つまで;それ以外は副担当になる.これら以外にも各教員は全学共通教育を担当する (つまり教養科目を提供する).

  • 研究院所属教員は,学部・研究科それぞれひとつを主担当とする.ただし専門職大学院である (地域) マネジメント研究科か連合法務研究科主担当教員は学部を主担当にできない.
  • 機構・センター所属教員は,主担当を持たないことがある.副担当をもたない可能性もあるようだ.

社会科学研究院所属のゲーム理論家が工学部で教えたり,同所属の医療経済学者が医学部で教えるというのが制度化されることになる.

もともとマネジメント研究科教員は経済学部でも教えることになっていた.しかし実情では経済学部で教えている教員はほとんどいない.そのことを非難する経済学部教員もいるが,こうなったのは (われわれの態度が悪かったせいかどうかは知らないが) 経済学部側が断ったからだ.つまり経済学部側の問題である.しかしこんどの再編でマネジメント研究科教員もいずれかの研究院所属になり,学部副担当にもなれるのが明示された.本来のあり方に戻ったと言えるかもしれない.実際にどうなるかは運営次第だが,少なくとも各教員のエフォート管理はマネジメント研究科ではなく研究院の責任になっていることに注目すべきだろう.

学部や研究科の運営は主担当教員を中心にし,特にそのなかでも選ばれた者たちに権限を集中して教授会の負担を減らすという.さあ,どうなることやら.個人的には教育には熱意があるんだが,実在する学部・研究科での教育はどれも自分の理想とかけ離れている.(例を挙げれば,強制的に参加を制限した,ゼミのような少人数教育に依存して学生満足度を高めようとする試みなど.少人数は内容を高度にすれば自然に実現できるものだ.また,たとえば経済学のマスターに必要な知識は広範なので,ゼミのように教員個人の努力に安易に依存する教育には限界がある.) そういう組織に参加して,大学未満中学校なみの教育を提供するのがお客様サービスと心得ているような,ノンアカデミックな「学生能力過小評価教員」を相手に議論するのは消耗するものだ.職場のメンタルヘルス上も極めて悪環境と言わざるを得ない.いっそのこと自分は主担当をやめて,いずれの学部・研究科とも距離を置いたほうがいいかもしれない.機構・センター所属ならそれは可能だ.研究院所属では不可能とはいわないが,原則からはずれる.

ところで学内ネットワークはどうなるんだろう.たとえば学術論文アーカイブ JSTOR を購読しているのはわが大学ではマネジメント研究科のみだが,研究科所属教員の研究室は分散して経済学部教員の研究室に混じって存在しているので,「このキャンパス全体」という単位で購読権を割り当てられないのが現状だ.しかたないので購読権は各研究室の IP アドレスを登録する形で行っている.それができるのはまだいいが,データベースによっては「このキャンパス全体」という単位でしか購読権を割り当てられないかもしれない.もしそうだとしたら,法学の判例データベースなんかは無駄にコストが嵩んで導入できないかもしれない.そういう技術的理由で必要なものが導入できないことは避けてもらいたいものだ.

この再編が実施されるのは来年でも再来年でもない.そんなに時間稼ぎするのは,あまりやる気がないということではないだろうか.その頃には世界経済は崩壊して,すでに立ち直っているかもしれない.あるいは P=NP がひそかに証明されてプログラムに実装されて,われわれが知らない間に金融その他の機関で使われている暗号が破られているかもしれない.それは変態女子学生と変態助教授の愛のサイトが明るみになるくらい世界経済にとっても衝撃的なものにちがいない.平成香川大学はその危機に応えられるだろうか.

追記 (9/19/2008).

誤った憶測をされないように,情報のソースに関する記述を若干追加.教養教育や学校教育学研究院について若干補足.その他いろいろ加筆.

「各教員は学部・研究科それぞれ2つまで担当することになる.なんで2つまでに制限するのか不明だが,これは各教員がひとつの学部にしか参加しない現状にくらべれば多少の前進だ」とあったのを訂正.担当学部数・研究科数に上限はないらしい.

それにしても,この文書に拍手したひとは,いったいなにを評価してくれたんだろう?

【2008/09/18 11:48 】
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教員評価の書類を準備してみた

平成香川大学教員総合評価の問題点」で問題点を指摘した教員評価の書類を今年は提出してみることにした.

去年は「絞り出された問題教員」の記事にあるように,提出しなかった.だけど今年は以下のような理由により,提出することにした:

  • 教員評価のためのデータ入力に似たようなデータ入力作業が年間 1 回で済むようになった (?).去年は年に3回くらいやるものと誤って予想していた.1回で済むならやってみようというわけだ.やってみて,どれだけ大変か体験しようと思ったのだ.
  • 今年から教員評価が処遇に反映されるようになった.提出しなければ昇給ゼロ (リマーク参照),提出して標準の B 評価を受ければ4号俸 (月1万円弱?)から6号俸昇給,A 評価で 6号俸から8号俸昇給するという.昇給だから効果は年々累積していく.さらにボーナスも影響を受ける.なんでボーナスだけでなくて昇給に影響するのか,つまり,なんで若い教員に効果が大きくなっているのかは知らない.とにかくこれだけ大きなインセンティブがあると,一教員が反対したところでほかの教員が評価書類を提出するのを止めることはできない.(昇給とのつながりが未定だった去年でも,非提出者は全学で高々3人だった.A, B, C のうち C 評価を受けたのがたった3人だったのだ.) 効果がない反対表明ばかりして自分だけが損するのも癪なので,ボクも提出することにした.「おカネのインセンティブは強いですからね.わざわざ損することをするわけないですよ」と労務担当理事に言うと,理事は満足そうだった.それによって教育や研究は改悪されるかもしれないのに! 少なくとも全教員がより苦労するのは目に見えている.まさに囚人のジレンマなのだ.(理事に会ったのは,処遇への反映方法にあったテクニカルな問題を説明するためだ.)

リマーク.y-1 年度のデータを y 年度に提出しなければ y 年度の昇給がゼロになるだけでなくy+1 年度の昇給にも影響する.y-1 年度のデータを y 年度に提出しさえすれば y 年度の昇給にのみ影響する.提出しないことを過度に罰しており,無用に提出を助長するようになっている.生産性を高めることよりも,書類を提出させることを目的とした制度と言える.

じつは去年はたしかにやる気はあまりなかったが,データ入力法などを書いた紙を10時間くらいは熟読したのだ.しかし分からないことだらけだったので,質問をメールして,十分な答が得られないまま時間切れになったという経緯がある.

今年は 4月30日の締め切りに向けて,4月16日以来,全学の担当部署や学部の事務や研究科長などに手順を尋ねていた.事務は「先生がたの総合評価につきましては、事務はまったくタッチできず、詳しい説明ができませんこと、申し訳ございません」などと答えていた.そんなわけないだろう.ちゃんと部下を動かせよ.こちらが知りたいのは,おおまかな手順なのだ.大学の準備する文書によくあることだが,マニュアルに詳細は載っていても全体像が載ってないのだ! 「店に来てくれ」と言ってカタログを示しつつも,店の場所を教えようとしないような姿勢だ.(自ら調べたくなるような人気店とはちがうのは,説明するまでもないだろう.) 基本的な情報が抜けているのだ.それで客に来てもらおうと考えるのは甘い.

その後,事務の末端のひとが自発的に動いてくれて,先週金曜日にやっと全体像がつかめた.「大学内のネットワークにつながったパソコンにアクセス→入力システムにこの url で入る→入力結果をこうやって MS ワードファイルに出力→ワードでファイルを印刷→このひとに提出」ということだ.言われるまでは,手書きで提出するのかとか,エクセルファイル用意してシステムに読み込ませればいいのかとか,まったくの見当違いをしていた.

この週末,データを入力してみた.去年の「試行」の経験を生かして,大学側は今回はシステムを改善しているはずだと思った.スムーズにデータ入力くらいはできるはずだと.しかし現実は甘くなかった.たしかに入力はできた.しかしシステムの不具合だらけで,帳票出力がうまくできなかったのだ! 教育活動評価の様式2というやつの科目欄が出なかったり,同様式4というのが出なかったり,研究活動実績書 (様式5) が重要な情報を落としたりした.(大学院科目を学部科目として申告するといった,システム不具合に対応するための裏技もダメだった.)

事務処理の苦手なボクは入力前に9時間,入力をはじめて13時間費やした.それなのに,まだ一部の様式は出力できていない.

じつはジャーナルに投稿中の論文の revise before review の締め切りが今週なのだ.(それにしても "revise before review" という言い方ははじめてのような気がする.いつもはもう少しポジティブな言い回しだと思う.Accept with revision とか,Revise and resubmit とか.あれだけ詳しいレフェリーリポートがあったのに,まだリビューしたことになってないの??) もともとフルタイムで改訂して 2 週間はかかりそうなところ,4週間しかくれてないのだ."We are looking forward to receiving your revised manuscript within 4 weeks time." という弱い言い方なので多少は延長できるとしても,まだ着手できてない.下手すると間に合わないかもしれない.教育や研究を促すための教員評価であるはずなのに,これじゃ本末転倒だ.いい加減にしてくれという感じだ.

追記 (5/2/08)

問い合わせてみたところ,うまく出力するための方法は以下のような感じだった: (i) 各科目のラベルを事実とは異なるものに変更する.「大学院」というラベルを「学部」に,かつ「その他」というラベルを「専門教育科目」に (その後システムが更新されて一部の不具合は解消した).妙なことだ.(ii) 著者や研究発表など研究業績のおのおのについて,「個人調書出力選択」をチェックする.今回のは「個人調書」とはちがうのに!

「やり方は分かったが,もう締め切りには間に合わない.これってこちらの責任か? 異議申し立ての準備でもしたほうがいいかな」と半ばあきらめかけた締め切り当日の午後,締め切りが5月7日に延期されたと連絡あり.どうせ担当者なり研究科長自身が間に合わなかったとかだろう.それにしても,もっと早く言えないのか?

残った作業は5月1日にやった.各科目のラベルを「大学院」から「学部」に,あるいは「その他」から「専門教育科目」に変更するとき,全科目一括で変更できないのは辛かった.

修正を施したあと「修正」ボタン(?) を押す→確認ページが現れる→「確定」ボタンで(?)変更を確定

の操作に時間がかかるし,最後を忘れやすい.一括変更できないのは,科目に限らず研究業績でも同様だった.ひとつひとつの業績ごとに変更していかなければならないのだ.コンピュータを相手にしているのに出来る操作は紙の文書と変わらない.かえって手間がかかるようになっている.

けっきょく,追加の入出力作業に2時間,そのために必要だったメール作成や解読に3時間,合計27時間かけて書類を出力することはできた.ブログに関係記事を載せる時間を入れるとさらに4時間は追加の合計31時間になる.標準的な労働時間でいけば4日分に相当する.それで効果はほとんどないのがこの評価システム.なんたる浪費!

(店の場所を教えようとしない姿勢の比喩を追加.)

【2008/04/28 08:33 】
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同窓生のみなさん,浄財払った?

さて前回は「平凡助教授」を自称するリアルな人物 (?) HRM に寄稿してもらった.もちろん「平凡助教授」は複数の人物をモデルにしているため,リアルな人物と一致するわけはない.惑わされた読者はいなかっただろうか.

先週末は出身大学から寄付しろと言って来た.(年に何回も言って来る,ボクが学部を卒業した国内私立大学ではない.そちらは同窓会の永久会費を除けば,過去十年に3万円も寄付してないかも.こちらも国内大学勤務だし,マーケットが競合するからねえ.) ボクも教わった教授がノーベル章を受賞したからだ.米国にある本国司令塔は,日本で人脈のいちばん太い出身者を指名して,「あなた,浄財集めのお手伝いしたいでしょう?」「スペインじゃ最初言って来た三人だけでも 550 万円出すそうよ!」とやったようだ.のちに本国からも依頼が届いたわけだが,最初の依頼は同窓生国内ネットワークの最高次数ノードにあたる人物からだった.

その人物からの依頼は,メールとはいえこちらを「先生」と呼ぶなど普通ではありえない書き出しだったので,「やはり来たか」と身構えて覚悟を決めた.15,000 円くらい払えと言われるのかなあ,まあ仕方ないかなあ……と思いつつ読むと,11万円あるいは 1000 ドルを一口でよろしくとその人物はいう.ケチなボクはたまげたのだけど,本国からの指令によればなんでも学生のためのフェローシップを充実させるという.

本国の掲げる目標を達成するには一口はもっと小額でいいんじゃとかいろいろ考え始めると迷うので,すぐさま 1,000 ドル分のチェックを切って封筒にいれ,「じゃあ送りますから,よろしく」とメールで即答した.当日中に「最初のリスポンスです」と確認が届いたが,最初だからといってプレゼントをもらえるわけではなかろう.

11 万円といえば,最近のボクにとっては大金だ.食費を除けば,典型的な年のレジャー代や旅行代を超えてる.数年前に北海道旅行したときは二人で 4泊 132,600円だったけど,今年は香川を離れたのはほんの数時間 (愛媛) だけだ.過去十年で外国行ったのは一年半滞在したロサンゼルス周辺のみだし.(某レジャー会社の会長に「プライベートセクレタリー」とか言って寄生し,リターンがどうだの投資の話ばかりし,一年の4分の1はハワイで暮らし,ふだんも遊んでいるようにしか見えない妹とはえらいちがいだ.) 国際学会参加のために大阪行ったときもホテル代は一泊 4,000 円のところだった.ここ数年 CD も DVD も買ってないし,テレビも見ないし (テレビは節約には関係ないか).携帯電話も持ってないし,新聞もとってない.学会もそれ自体そして学会への旅行に金がかかるし,情報過多で悩まされているので入ってない.使っていない部屋の電灯は消すし (電気代の節約というよりは電球をとりかえるのが面倒だからという事情はあるが),夏になればエアコンを24時間つけっぱなしってことは……よくある (これは例外).

ここ数年は大学の管理運営への労力も節約の対象になっている.教育・研究の理想の実現のためには,管理運営にも多大な労力を降り注いできたボクだが,ここのところ自分の理想に反するようなことばかりで頭に来ている.教育にも研究にもマイナスにしかならないような「改革」をすすめることはもちろん,その「改革」にブレーキをかけて被害を最小化する活動も頑張れなくなってしまった.学内マネジメントを思うと,夢破れ幻滅して廃人になったような感覚に襲われる.当分は教育と研究という,この国に来てこの仕事をすることに決めたときの本来の目標に絞って活動したほうがよさそうだ.

ところで「いろいろ考え始めると迷う」と書いたのは,たとえば,フェローシップが充実してあんまり博士課程の人数が増えても,かならずしも教育の質は上がらないんじゃとか,その他個人的な事情 (自分は数学科で教えて稼いでたこととか) があるからだ. まあ,あんまり書くと「平凡助教授が 1,000 ドルなら,最悪でも 1,050 ドルくらいは寄付しないと格好がつかないな! よし自分は 3,000 ドルだ!」とか思った同窓生の気をくじいてしまうかもしれない.だからこのくらいで止めておきましょう.

【2007/12/01 20:30 】
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絞り出された問題教員

平成香川大学教員総合評価の問題点」で解説した教員評価の結果が出た.「改善を要する」とされる C 評価が総合評価で出たのは全学で 3 人しかいなかったらしい.医学部と地域マネジメント研究科にいたそうだ.後者にはうっかり提出しなかった (?) ボクもふくまれる.ひょっとして「提出すればだれでも B は確保できる」という我が指摘が,例外なく完璧に成立してしまったとか? (笑)

囚人のジレンマ構造ゆえに非提出者は限られるだろうことも以前指摘したが,ここまで徹底しているともう笑うしかない.わははははははははははははははははははははははははあはははっははははっはははっは.要するにこの教員評価というものは,研究とか教育とかを評価するものではなく,(くだらんペーパーワークをこなすといった) 理事の方針に従順に従えない教員を絞り出すシステムということになるだろう.それでもたしかに理事から見れば「改善を要する」のかもしれないが,従順になるように「改善」したところで本来の目的にはほとんど貢献しないだろう.

こういう評価はやるだけ時間と労力の無駄というわけだ.

多少予想外だったのは,圧倒的に A 評価の多い学部があったことだ (教育学部だって,うふっ).ほとんどの教員が B 評価になるように学部ごとに調整するかと思っていたんだが,教育学部は学部として当初想定した以上のパフォーマンスをしめした教員が多かったんだろうなぁ…….はじめから低めに基準を設けたというわけじゃあないだろうなぁ…….もちろん学部間の比較が目的ではないので,べつに圧倒的に C を出す学部とか圧倒的に A を出す学部があっても問題ないはずだが,なぜか大学はそれに文句を付けている.学部間比較は目的じゃあなかったんでは?

評価システムというのは,広い意味でボクの研究テーマでもある.専門家としてよりよい評価システムをデザインしてやってもいい気もするが,そのためにはコンサルタント料をたっぷりもらいたいものだ.その上でベストな評価システムとして「無評価法」でも提示しよう.どういうシステムか,それは秘密だけどね.

【2007/08/02 09:32 】
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平成香川大学教員総合評価の問題点

「教員評価は問題点だらけだ.さっさとやめたほうがいい!」といった根本的な解決策を理事たちは受け入れないだろう.少なくとも学内から主張しても彼らは聞く耳を持たない.学外の人事評価の専門家あたりに彼らを教育することを期待したい.ここでは現在想定されている案を少し改善することを考える.グローバルな最適ではなく,あくまでも微修正によるローカルな改善策を示す.なんて私は親切なんだろう.秋あたりから理事に抜擢されるかもしれない.

これにかぎらないが,そもそも大学で会議をやるときの「案」というのは,結論だけ書いている.なんの理由も説明もない.まったく説得力がない.なにかを提案するならきちんと理由を述べるべきであるという常識は,大学には通用しないようだ.

1. 年度はじめの目標設定とその実現確認

なぜか資料では触れられていないが,この評価方法でもっとも重要なのは年度当初の目標設定と年度後の達成状況の確認だったはずだ.年度はじめにその年度にかんする重み付けと目標を自己申告するというものだ. (重み付けとは,教育,研究,社会貢献,大学運営のそれぞれに計10点を配分するものだ.年度末総合評価は各項目の点数を重み付けしたうえで加算することで決まる.ただし GSM のばあい自由度が低く,9点分はすでに配分が決まっている.) しかし目標の実現には通常数年はかかることを考えると,このやり方は不適切だ.

  • 研究のばあい

    ほとんど説明不要だろう.今年論文を一本書くと目標を定めて仮に年度内に完成したとしても,じっさいにそれが刊行されるのは数年先だ.これでは成果を年度内に確かめることはできない.実際はすでに掲載が決まった論文が年度内に刊行されると予想するときに,その年度始めに研究の重み付けを高めにする---といった操作を事後的にやることになるだけだ.目標とその達成という関係はそこにはない.

  • 教育のばあい

    FD (Faculty Development) として,担当科目にかんする参考文献を読むのはひじょうに重要だろう.だが,そういう目標では実行したことを立証するのは困難だ.したがって目標設定としては目に見える結果を出せるものにならざるをえない.

    たとえば留学生に対応した授業ができるように,韓国語を学ぶというのは立証可能な目標だ.これは実際に韓国語を使った授業をすることによって立証できる.しかし一年以内に目標を達成するのは多くの教員にとって困難だろう.

    資格の獲得も立証可能な目標だ.たとえばオペレーションズリサーチの科目の教育能力を向上させるために,一級オペレーションズリサーチ技師,中小企業診断士,Certified Public Accountant の資格をすべて取るという目標を掲げたとする.これらが実現したかどうかは確かに証明可能だが,少なくとも私の場合一年以内に獲得できる自信はない.

    (ちなみに FD として評価項目に入っているのは「馬鹿ルティディベラプメント」とよばれる研修会への参加だけである.「FD」といえば組織的な研修のことと思っているのだろう.すごく恣意的だ.研修会なんかよりも関連情報の載った web サイトでも読んだほうがよほどためになるのに.ということで上に上げたような目標がどこでカウントされるかは不明.)

以上により,研究であっても教育であっても目標実現には通常数年はかかることが理解できたことだろう.(また,立証可能な目標を立てることの意義も疑問に思われるだろう.関連分野の最新成果を学ぶといった重要な努力が削減されるから.) 目標設定とその実現で評価するなら,より長いタイムスパンが必要である.もし年単位でやるならば目標設定や事前の重み付け申告はやめたほうがいい.DEA (data development analysis; 包絡分析法) のように,評価対象者にとってもっとも有利になるように事後的に重み付けを決めれば済むはずだ.現状でもすでに完成した研究成果の発表をある年度に先延ばしして,その年度当初に研究の重み付けを高めるといったタイミングの操作は可能である.発表のタイミングと申告のタイミングという二変数の操作の巧さ次第で評価が左右されることを考えると,重み付けをあらかじめ申告しない方式の方が変数が減る分弊害が減るのではないか.

2. 研究活動評価

2.1 「研究費獲得状況」が評価されるのはまちがい.

これはカネがかかっているというだけで会社のあるプロジェクトが評価されるようなものであり,明らかにおかしい.研究費はその研究が完成するより前に出るものだから,その研究にたいする評価とはなりえない.研究に資金が必要であることを認めたに過ぎない.研究としてカウントできるのはあくまでもその研究費獲得の結果として出したアウトプットであるはずだ.

2.2 評価基準

評価は A, B, C の三段階だ.良い方である A または B を獲得する必要条件は,成果物の種類で分類された項目2つ以上が該当することだ.論文を10 本書いても評価は C である.(その一方で,論評一本とできの悪いポルノ小説 [ケース教材; 分析は一切いれずに記述に徹した文書] 一本で B 評価は得られる.あるいは論文1本と研究ノート1本ならば,項目二つが該当するので B 評価は得られる.同じものを論文とよぶか研究ノートでよぶかだけで研究評価が Cになったり A になったりする.) 組織全体としての活動あるいは個人の長期的な研究活動に幅を持たせるという意図ならば,理解できなくもない.しかし対象期間は 3 年である.分野にもよるだろうが,ひとつの研究を構想して完成させるまでの期間にも及ばないかもしれない.このような短期間に成果を上げるには,特定の項目に集中しなければなかなかむずかしいはずだ.提案された評価方法は,大学の研究水準を下げることを目的にしたものと思わざるをえない.

2.3 . Web 上の情報発信

Web での情報発信はどの項目にふくまれるのか明確にしてほしい.たとえばほとんど研究ノートのようなブログ記事もあれば,より一般人を対象とした記事もある.これらは研究活動や社会貢献活動のどの項目にふくめればよいのか? 学術機関リポジトリにかんする別資料にも"Online or Invisible" (オープンアクセスでないものは存在しないに等しい) とあったように,Web 上での情報発信はきわめて重要である.平成香川大学における経済学の知名度の重要部分は良くも悪くも私の Web サイトに負うている! (主観的に聞こえるかもしれないが,これって常識だ.恐ろしいくらい実感している.だって「平成香川大学」を名乗るのはこのサイトくらいだから.) その重要な貢献を評価しないのは極めて恣意的であり,私個人を不利に扱おうという意図が見え見えである! 特定個人を想定してその個人に不利になるようにルールを作るのは不公平の極地だ!

あんたね,だれのおかげで (経済学徒のあいだで) 平成香川大学の輝かしい (というか最低限ギリギリの) 名声が保たれてると思ってんだ,ボケ! 自分としては,表彰されないことのほうが不思議だよ.

2.4. 年度単位での評価はおかしい

学術誌や書籍はどの年に出版されたかというのが重要であって,どの年度というのは重視されない.論文における引用文献の書き方を見ればあきらかである.これらを年度単位に評価するとなると,(ときには不明な) 出版月まで調査する必要が出て来る.データの管理に余計な手間がかかる.出版物は1月から12月までをもって構成する年単位で評価するようにしてもらいたい.一年は 4月にはじまって3月に終わるというサイクルで世界が動いてるわけじゃないよ.ほんとその井の中の蛙の地動説の頭,(じゃなくて天動説だな; 7/27/07 追記) どうにかならないか!

3. 運営活動

3.1 役職による貢献ばかりを基準にしている

役職とは無関係な貢献をふくめるべきだろう.たとえば GSM の公式サイトについて私は各種の具体的提案をしている.人知れずモデルプログラムを作ったのも,科目群の英語名をアドバイスしたのも,各種規定のさまざまな穴を列挙したのもいったいだれだったんだろうね.その一方で役職にあっても,たとえば教員評価の資料の記入方法さえまともに説明できないひとがいたりする.(そのためもあって,私は今年度資料を提出できなかった.) 情報を独占して仕事の流れを止めてくれるひともいる.貢献と役職にあるかどうかとはたいして関係ないのではないか.

3.2 平均以上の授業負担は運営活動とは関係ない

なんで平均以上の授業負担が運営活動でカウントされるのか? カウントしたいならば,運営にたいする重み付けをゼロにするのを認めればいいだけだ.なんでこんな複雑なことをするのか.

4. 教員評価全般

一大学がこのような恣意的な教員評価を導入したところで,研究や教育が改善できるとは思えない.できるというならば,なにが改善するのか具体的に挙げて欲しい.少なくとも研究の分野では研究者たちが長年かけて築いて来た評価基準が確立している (例外分野はあるにしても).学内で高く評価される一方で世界でまったく相手にもされないような研究者をこれ以上増やすことは,さっさとやめたほうがいい.

【2007/07/20 11:26 】
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