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庄内半島でラッキーなモーセ体験

これは香川県西部にある庄内半島に出かけた一日の日記である.

昼食は坂出のがもううどんでと思っていたのだが,昼も過ぎていたので予定を変えて市内にあるるみおばあちゃんの池上製麺所に初めて行ってみた.昼過ぎだったがまだ開いているようで,店らしき看板もない崩れかけた小屋の前に行列ができていた.[追記.enjoy さぬきうどんの記事.リンク先の delmo のうどん写真館の写真を見れば,崩れかけた小屋というのも納得できるのでは.] 行列にならんで店内に入るとばあさんが持ち帰り用の箱入りのうどんを売っていた.宣伝する気があるようなないような.ひと玉あたりの値段はその店で食べるよりもだいぶ高いのだが,日曜日でよそ者が多いせいか (?) よく売れていた.店で食べるうどんの支払いは honor system というべき,必要額を勝手に置いて勝手におつりを取るシステム.ただしお札は別だったと思う.ボクは天ぷらなどは載せず,地味にうどんと生卵を食べる.(これで百円.夕食を食べたサンマルク系のすし処函館市場の最安値の一皿以下.二玉でも170円.函館市場の安い方から二番目の一皿並み.) 味と値段は文句なし.水は飲めるのかどうか確認せず.店の前に自動販売機があった.

この店の最大の問題は (上記リンク先にあるように) 駐車場か.近くのスーパーマーケットの駐車場入り口には,客以外は駐車禁止とわざわざ大きく掲示されていた.この製麺所は外部不経済を与えながら経営を続ける店の例になりそうだが,1000円ちょっと分買い物した自分のように,ついでにそのスーパーで買い物する客も少なくないだろう.外部経済を与えている側面も強いはずだ.お互い平和共存をはかる方法としてはばあさんが駐車場代をスーパーに,スーパーがばあさんに客寄せ料を払うということになるのだろうが,差し引きではどちらが払うべきなんだろうな.より現実的には,池上製麺所のうどんをそのスーパーで売るなり,製麺所でそのスーパーの米なり水なりの割引券を配るなりの方法はあるかもしれない.もっとも現実的には,現状の駐車禁止掲示方式で客に自発的な罰金を促すのが解決法ということになるかも.

庄内半島の詫間に着いたら,まず先祖の本籍地を数件訪れた.なかでも下高瀬1311番地は中州にあり,三野町のはずだが詫間町の汐木浄水場になっていた.よく分からないが,詫間町の施設が三野町にあるということなんだろうか? こんな川の中に実際ひとが住んでいたのかどうか疑問に思った.いまは路地の狭い,古い住宅街になっている付近を散策すると,横澤石材店のすぐ西にあった石碑そばに,その地は昭和12年までは汐木港という港であり,会社や銀行もあって北前船も出入りしていたとあった.北海道と交易もあったのだろう.(もっとも北前船の有名な寄港地としては付近に粟島がある.) 詫間から択捉に行った先祖にとって,北方領土はそれほど遠くなかったのかもしれない.

リマーク.さっき見つけた「香川県と北方領土」という web ページに「1890年(明治23年)屯田兵を士族に限らず広く募集することになったので、県民も応募し、旭川・美唄・高志内・茶志内・南一己・北一己・西・東秩父別・納内等北海道東部から中央部にわたって入植しました。1899年(明治32年)で移住は終わり、その間の移住者数は2,005名で石川県に次ぐ第2位を占めていました」とある.香川県と北海道の結びつきは意外に強かったようだ.「1891年(明治24年)7月、貴族院議員鈴木傳五郎・県会議員大久保?之?らによって北海道移住の奨励を協議する会が開かれ、官民一体の『香川県北海道移民奨励会』が結成されました。その趣旨は、香川県が面積に比して住民が多く、人口密度が次第に高くなり、県民の生活が貧困化するのを防ごうというものでした」とあるのがおもしろい.昔は香川も人口過剰で悩んでいたのだ! 規模にかんする収穫逓減が「土地の呪い」によって不可避となっていた時代なのだ.いずれにせよ,このページからは1900年頃に択捉島など北方領土と香川との間にひとの行き来があったのかどうかは分からない.

その後,紫雲出山に桜を見に行った.桜はよく咲いていたが,黄砂のため瀬戸内海がよく見えなかったのが残念.ここは山頂一帯に弥生時代中期の高地性集落の遺跡がある場所だ.今だったら誰も住もうとは思わないようなこんな山の上では,魚を捕りに海まで漁に出かけて戻って来るだけで一日が終わりそうだ.ヒマを持て余した弥生人が,未来の考古学者を悩ませるために冗談で作った集落なのかもしれん.それにしても水はどうしていたんだろうか.

そんな疑問を抱きつつ,帰りにある島に寄ってみた.この付近に満ち潮時に陸と離れる島があると聞いたことがあったからだ.正確には引き潮時に陸とつながる島と言うべきか.クルマがやっと通れる道を海岸まで行くと,目の前に丸山島 (こちらは大学教授になってしまったひとによる,ややドラマチックな解説記事) という名のその島があって,砂浜でほとんどつながっており,その脇には青のりに覆われたコンクリートの道がその島まで続いていた.海面ぎりぎりのその道を渡って島に渡ったときは,すでに今来た道のいちぶが水面に沈んでいた.慌てて引き返すが,海水に足を濡らさずには戻れなかった.浜に戻ると戻って来た道はもうだいぶ海面に沈んでいた.浜辺にはやどかりがいっぱいいた.陸と離れる前後の島を見れただけでなく,ぎりぎりのタイミングで島に渡れたわけだ.旧約聖書のモーセみたいではないか.靴の中はびっしょりになってしまったが,ラッキーだったと言えよう.


丸山島に渡る直前


丸山島から戻って来た直後


丸山島から見た陸.時間的には上の二枚の間.
まずい! 潮が流れ込んで,いま来た路が切れかかっている.

【2006/04/10 21:36 】
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コメント
移民した人の、名簿ってまだ存在しているのですか。わかりましたら教えていただけないでしょうか。父方の祖父が1900年ころ香川県から、移民したのですが。
【2010/05/22 11:16】
| URL | 溝渕博志 #-[ 編集] |
移民名簿は真剣に探したことはありません.うちの直系の先祖の場合,長男でかつ択捉から帰って来てるので移民ではなかったかもしれません.移民名簿があると,移民であった事実のほか,いつどこからどこに移住したかとか,職業や知り合いなどが分かるかもしれませんね.こちらこそ情報欲しいです.
【2010/05/22 15:54】
| URL | 平凡助教授 #-[ 編集] |
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