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社会選択理論家はビクビクしながら生きて行かなければならない運命か?

今朝メールで届いた社会選択のジャーナル SCW (Social Choice and Welfare) の目次はいつもとちがっていた.やたら history とか interview という単語が目につくのだ.冊子であったなら,ぱらぱらとページをめくるだけでいつもとちがって数学がひじょうに少ないということにすぐ気づいたことだろう.普段が数学のジャーナルの感じとすれば,今号はまるで人文科学の三流ジャーナルみたいだ.どうやら,今号は社会選択理論の出発点となったアローの "Social Choice and Individual Values" 出版 50周年記念に開かれた The History of Social Choice from Condorcet to Arrow and Beyond というカンファレンスの特集号ということのようだ.

歴史にあまり関心のないボクは,読むべきペーパーもないだろうと思いつつも,けっこう時間をついやしてしまった.アローの本が書かれるまでの経緯とか,社会選択と厚生学会ができるまでの事情などを書いた思い出のような論文 (?) をダウンロードした.後者には,たとえば Econometrica という経済学トップジャーナルが 1979 年に

「社会選択と投票理論の論文の投稿がひじょうに増えているので,その分野のペーパーを厳しくレフリーしてもらいたい」

という通達を載せたという有名な話が載っていた.その著者で SCW のエディターでもある Maurice Salles は,その通達の影響が今日も続いていると思っているようである (あるいはそう思っていると読者を思わせたいようである).あまりに日本人的な「いなかの経済学者」だったサルさんは,自国であるフランス国内に社会選択を研究している数学者グループがいることは知っていたが,畏れをなして会えなかったとも書いている ("I was too shy and, perhaps, was scared of a possible contemptuous attitude they could have for a young provincial economist").

いや,表題にある「ビクビクしながら生きて行かなければならない」というのは,このサルさんのような意味ではない.以下に引用したロシア人のエッセイを眺めていて,現代日本と大差ないかもと思った次第だ.1980年代のソビエト連邦での様子を描いたものだ (Fuad Aleskerov, The history of social choice in Russia and the Soviet Union, Social Choice and Welfare 25:419-431, 2005):

Our paper, “Arrow's problem in group choice theory” [3] was almost ready for submission to the journal “Automation and Remote Control”, when Aizerman told me we would have to alter the words, ‘dictator’ and ‘oligarchy’, in the text. We would be in trouble if the published article included these words. I argued that everyone used them, and that they appeared even in Mirkin's book published in 1974 [35], but Aizerman was very firm. After about an hour of discussion, during which he suggested some alternatives that I rejected, he said: “Listen, I have been living under this regime for 70 years, and I will not allow you to destroy your career and life by using these words, which for certain will be misinterpreted.” After this I stopped arguing, substituted the words “decisive voter” and “decisive group” and finished the paper.

つまり,「独裁者」「寡頭政治」といった,投票理論でふつうに使われる言葉を論文に入れるだけでアブナかったわけだ.「キミの職業的将来,そして生活 (生命?) を台無しにさせるわけにはいかない」と年配の共著者に言われて,それらの言葉を削除したという.

現代日本では,特定の言葉を使うことで政治的圧力を受けるという「鞭」は少なくなったものの (かわりに「環境」とか「情報」といった特定の言葉を研究計画に入れなければ研究費が取りにくいという,「飴」による圧力はある),規範理論家がビクビクしながら生きて行かなければならない構図は上記ソ連の状況と大差ないのではないか.たしかに政治思想や用語でひっかかることはソ連ほどないだろう (それでもアナキストには辛い).代わりにセクシュアル・ハラスメントとか,生命倫理とか,環境問題とか,あまりにも表現の自由が制限される分野が増えているのはどうにかならないだろうか.純粋な思想や表現,そして素朴な想いまでが暴力と同列に扱われて処罰の対象となるのは困ったことだ.

現代社会における自由の抑圧者たちは「ひとを傷つけない,不安を与えない」ことを強く主張することが多い.そうであるならば,ひとが何に傷つき何を恐れるのか,もう少し考え直すべきだろう.ボクのばあい,いちばん怖いというか,不安であるのは,自由を奪われることである.規範倫理をあつかう社会選択理論家の運命として,あるていどの迫害は覚悟しているつもりだ.それでも毎日毎日,こんなにビクビクしながら生きて行かなければならないのは,やはりおかしいと思う.

リマーク.ところで SCW の目次が届くのがえらく久しいんじゃないかと思ったら,Volume 25 Numbers 1 の目次が届かず,見落としていたのに気づいた.少しうれしくなかった.その号を見ると,ボクのペーパーが数本引用されているのを発見した.少しうれしかった.そのジャーナルの Fulltext search をやってみたら,ボクを引用したそれらのペーパーはひっかからなかった.少しうれしくなかった.

【2005/12/17 07:31 】
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コメント
社会選択じゃないけど,経済学に「中絶犯罪相関理論」ってのがあったんだ! 中絶の合法化が凶悪犯罪の減少につながったという説らしい.中絶施設が過激派に爆破されたり,大学では Political Correctness を唱導する教授たちがまだまだ力を持っている国のことだ.かな~りアブナそう.実証のひとも,けっこう大変なんだなあ.
http://d.hatena.ne.jp/tazuma/20051218
【2005/12/19 02:41】
| URL | 平凡助教授 #-[ 編集] |
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