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香川大学教育学部: 今回はすばらしい教員

「香川大教育学部の男性講師(50)が、学生とのトラブルなどを理由に無届けの休講や授業の中断を繰り返し、再三にわたる改善要請にも従わなかったとして、今年九月に同学部が辞職勧告していたことが十一日、分かった」(四国新聞) らしい.ふむふむ,あの大学の教育学部のことだからべつに驚きはしない. 「講師の授業を履修した学生は一九九九年度以降の七年間で十六人いたが、単位を取得した学生はゼロ。期末まで授業が続かず、単位認定の重要な資料となる試験やレポート提出の段階までいかないケースも多かった」という.

7年間で単位取得者ゼロ! すばらしい! ここまで徹底できる教員は滅多にいない!

しかしね,正直思うけど,ボクの授業でも本来のレベルの内容をやって単位制度の規定に従ってまともに点数つけたら,ほとんど単位取得者がいなくなるはずなんだけど.この講師はもしかすると,きちんと単位制度に則ってまともな内容を教えようとしたから,こういう結果になったのかもしれない.だとしたら間違っているのはわれわれ多数派の方だ.この教員は,じつはすごく研究のできる優秀な学者かもしれないな.ま,たぶんちがうだろうけど.たとえすばらしい学者でなかったとしても,ここまで自分の方針を徹底できる人はボクは尊敬したい!

じつは今朝このニュースをチェックする前に以下の文章を作成していた.この問題学部の話である.

香川大学教育学部のアカデミック・ハラスメント (事実かどうかは調査中につき不明) にかんする記事にたいして,ちょっとした反響があることを知った.『香川大学教養教育研究』第4号 (1999年3月) の「編集後記」のことである.

「ただ,香川大学教育学部というところは,経済学部の西山一郎教授が『教養教育研究』かなにかの編集後記に書いた教育学部の大昔の思い出にいちゃもんをつけて回収させた,言論弾圧の前科があるおかしな学部だ.」

これを見て,西山という教授はそうとう酷いことを書いたのではないかと誤解した人がいたようだ.事実は,委員長のお詫びにあるように,「特定個人及び特定学部に対する批判的見解」にすぎないものであり,名誉毀損の類いとはみなしがたい.(「編集後記に私的見解を載せてはいけない」という委員長の見解の方がよほど珍しい,極めて私的な見解だと思うが.) 教授が執筆当時の教育学部ついて「批判」した内容とは,同じ雑誌の第3号にすでに掲載されていたまっとうなものを引用しただけのものであり,それ以外の「批判」は教授 (すでに退官) が学生時代に受講した一般教育の特定科目にかんする思い出を綴った大昔の話である.

編集後記についての「お詫び」と差し替え前の「編集後記」を掲載しておくので,関心がある方は自分の目で判断されるといいだろう.

ほぼ記事ができあがったところで,どこからか入手してスキャンして pdf にした「お詫び」と「編集後記」をアップロードしようとしたら,ここのブログは pdf をアップロードできないことが分かった.jpeg に変換したら今度はサイズ制限に引っかかった.べつに機密事項とはどこにも書いてないし,苦情があれば削除する用意はあるのでやろうと思ったんだが,面倒になってしまったので今回このカードを切るのは止めておく.というわけで,事実を確かめたい人は香川大学にでも行ってみるといいでしょう.ただ,西山教授の編集後記に

「[西山教授が学生時代に授業を無断で休講しまくって (パチンコ屋に浸っていると噂されて) いた哲学教授] のような授業を許していた当時の学芸学部の教授会には governance があったのだろうかという強い疑問をもった」

とあるのは興味深い.上のニュースを見るに,この大学の教育学部は「当時」も「今日」もたいして変わっていないということか.

【2005/11/12 13:10 】
| 大学 | コメント(4) | トラックバック(0) |
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コメント
>ボクの授業でも本来のレベルの内容をやって単位制度の規定に従ってまともに点数つけたら,ほとんど単位取得者がいなくなるはずなんだけど

 そういうことは、確かにあります。特に経済学原論や数学や物理学などの演繹的な体系がある学問の場合、部分点をとるということが難しい。体系を全部理解しないと問題は解けないことがあります。
 しかしながら、外部の人間には、講義内容が本来的に難しく、原理的に易しく講義することができないのと、単にヘソ曲がりに講義と無関係な設問を気まぐれに出すだけで学生の半分を落として、抗議を受け付けない教授との区別がつきませんので、いちおうは、8割は単位が取れるような相対評価的なところに落ち着くのではないでしょうか。
 きちんと理解したかどうかは、大学院入試で見ればいいのですから。
【2005/12/21 12:37】
| URL | Inoue #-[ 編集] |
いや,いや,ぜんぜんそういうレベル以前の話です.多くの教員は,ほとんど授業にも出ないで試験だけ運試しに (準備高々2時間で) 受けるような学生 (2割はいる) にも単位を与えているんですよ.8割も単位を出すということは,こういう運試しぎりぎりのひとに単位を出すような状態です.

ボクの場合,単位制度の要求基準よりずっと下げて,普段勉強ゼロでも試験前に20時間 (4単位の授業のとき) もやれば8割は軽く取れるくらいでやってきました.演習問題を「絶対」「重要」なんて分類して,極めて絞られた問題群である「絶対」からは点数で最低70パーセント分,「重要」から最低20パーセント分出すとか情報提供して.でも学期を通じて20時間も勉強する学生は稀なので,結果はできるひととできないひとで極端に分かれます (少なくとも試験前にはある程度勉強したグループの山と,それさえしなかったグループの山が分布に現れる).

授業をこれだけプログラム化してるので,「大量に」(とは思わないけど) 落とすことにはなんのためらいもありません.多人数授業のばあい,合格者数は通常の出席者数の3から7割くらいでしょうかね.
【2005/12/21 13:48】
| URL | 平凡助教授 #-[ 編集] |
ああ、そうですか。社会選択理論なんて言ってるから、記号論理学でも教えているのかと思いました。あれは最初から読まないとわからない分野の典型で、途中から読んでも、記号や術語の意味すらよくわからんのです。
 「決め方の論理」(東京大学出版会)は読むのに時間がかかりましたし。
【2005/12/21 17:17】
| URL | Inoue #-[ 編集] |
上に書いたのは,経済学部で教えていたときのことで,大人数のミクロ経済学や数学を念頭に置いています.

社会選択に近い科目を教えるときは,少人数向けで,その都度記号の意味を繰り返しながら 言葉とイメージによる説明を多くして,証明にはあまり踏み込まずに教えています.ルールとその性質をどう表現するかが分かればいいので,フォローするのはそんなにむずかしくないようです.数学としては集合論さえ分かればかなり行ける分野ですから.ただ,授業をなんとなく分かった気になることと,学生が自分で問題を解けることとはギャップがあります.

たとえば医学部関連で言えば,
日本医師臨床研修マッチングプログラム のGale-Shapleyアルゴリズム
http://www.jrmp.jp/
臓器移植
http://d.hatena.ne.jp/tazuma/20050714
なんかが社会選択理論に近い手法 (公理的方法) で分析されています.アルゴリズム (ルール) がどういう計算方法で,どういう性質 (結果が安定とは? どちらに有利? 本当のことを申告したほうが有利か?) を持ちうるかという問題を理解するのは簡単でしょう (解くのは簡単でないにしても).
【2005/12/22 06:15】
| URL | 平凡助教授 #-[ 編集] |
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