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Fault Tolerant Implementation: 不合理な連中がいるからといってゲーム理論は死なない

「人々が合理的にふるまうと仮定すれば確かにそのルールはうまく機能するだろう.しかし人々は合理的にはふるまわないのが現実だ」という言葉のあとに来るもの---それは「だからそのルールはだめだ (他のルールを考えてくれ)」なんてあまっちょろいものではない---「正解」とされるのは,「だから厳密なルールはどれもダメだ! だからゲーム理論はダメだ!」というものだ.そしてあらゆるゲーム理論家 (メカニズム・デザイナー) をこの世界から追放した上で,直感的にはまあまあのパフォーマンスをしそうな,曖昧でいい加減なルールを採用することが現実への「正しい」対処法とされる.

だが残念ながら,社会科学 (というか政策とか経営とかの実務分野) では普通のこのテキトウな対処法は,自然科学 (というか工学分野) では通用しない.システムの一部が想定通りに動かない可能性があるからといって,システムはいい加減に作った方がいいということにはならない.こういうばあい,どうすればいいか.コンピュータ・サイエンスでいうところの「フォールトトレランス (fault tolerance)」(語義は以下の引用を参照) という考え方が,どう対処すべきかを暗示している:

システムに障害が発生したときに、正常な動作を保ち続ける能力。言い換えれば、障害発生時の被害を最小限度に抑える能力のことである。「耐障害性」「故障許容力」などと訳される。……「どれだけ障害が発生しにくいか」ではなく「故障が起こった際にどれだけ耐えられるか」という意味が強い。有名な例として、ジャンボジェット機のいくつかのエンジンが故障しても、一つ動いていれば飛び続けられるように設計されていることが挙げられる。…… (Yahoo! コンピューター用語辞典)

この fault-tolerance の考え方を遂行理論に取り入れたペーパーが Eliaz (Kfir Eliaz, Fault Tolerant Implementation, Review of Economic Studies 69, 589-610, 2002) だ.「遂行理論」というのは「メカニズムデザイン」とほぼ同義の (社会選択やゲーム理論に隣接あるいは重なる) 学問分野で,望ましいとされる「社会的」目標を,人々へのインセンティブを阻害することなく実現するようなルールを設計する分野だ.たとえばひとつだけある腎臓を移植すべき患者を選ぶのに,「いちばん高いカネを出す (というよりは,もっとも高くその腎臓を評価する) 患者に移植しよう (そしてそのカネを医学の発展に役立てよう)」という目標を実現したいとしたら,オークションというルールを使えばいい.なかでもセカンドプライス・オークション (最も高値をつけたひとに二番目につけられた値段で腎臓を売る) なら,各人が腎臓をもらうために払ってもいいと思っている額をそのままつけるのが合理的だから (それ以外の額をつけると損する場合がある) ,ルールの想定する「合理的」な行動をするのはたやすいはずだ.しかし中には不合理な行動をする人は何人かはいるもので,自分の評価額とはまったくかけはなれたような額を提示して腎臓を移植してもらったはいいものの,二番目につけられた高値である支払額を払った結果,けっきょくは自分も家族も飢え死にするしかない状況に陥ったりする.(話がややこしくなるから,とりあえず福祉政策やチャリティーはない社会を考える.あるいは腎臓ではなくてもっと普通の財を考えてくれ.) 要するに,いちばん高く評価する者に腎臓を渡すという目標が正しく実現されなくなるわけだ.(「自分の支払い能力を超える《評価》はありえないのか」というべつの疑問も出てくるだろうが,これも話がややこしくなるので,「腎臓移植自体よりもそれによって失う自分の短い命や家族の命の方が大切だ」というのがそのひとの真の評価で,「腎臓移植自体は延命を意味しない」のは分かっているものとしておく.ややこしいな.)

Eliaz (2002) は,合理性からは予測できない行動をとる「欠陥プレーヤー (faulty players) 」が高々 k 人いて,だれが欠陥プレーヤーかも分からない状況を考える.不合理な行動をとるプレーヤーが一定人数までいることを許した上でのメカニズムデザインを考えているわけだ.(一方で Fault Tolerant Implementation が合理性の不足した状況を考えるとしたら,他方には戦略的操作不能なメカニズムのデザインという,過剰な合理性のある状況を考える問題もある.ある意味これらは似た問題と思う.)

そういえばボクが「実証政治理論」という分野を勉強したとき,不自然に思った前提があった.その前提とは,「人々が政策を一次元空間あるいは多次元空間の点と認識して,自分の理想とする政策もその空間の一点と考え,さらに自分の理想点に「近い」政策ほど望ましいとするような選好を持つ」という,選好にかんする仮定だ.しかし,この特殊な選好はもとより,すべての人が同じ政策空間をイメージするということさえ普通ではないのではないか.(たとえばこの前の衆議院議員選挙で多くの有権者は政党の位置を郵政民営化への積極度という一次元で考えたかもしれない.「10のスケールで言えば,自分は7くらいの民営化度を支持し,自民党の案は5くらい,民主党のは曖昧だが 0から4くらい.よって自民党へ投票」とか考えただろう.その一方で,年金をはじめとする福祉政策という軸も考えて多次元の政策空間をイメージした人もいるだろう.さらには,そういった「軸」をイメージできないひとも少なくないだろう……じつはこの選挙ネタもあたためてはいるんだが,日の目をみるかどうか.) 大多数の人々は上のような選好を持つとしても,一部そうでない人が (高々 k 人とか) 混じっているような社会を考えた方が自然ではないか.そんなことを思いはしたが,モデル化はしなかった.

「で,社会の一部が不合理かもしれないという状況をモデル化するのは簡単だけど,均衡とかうまくモデル化できるのだろうか?」といった疑問を抱きつつも,自分なりの答えをあまり考えずに読み進めてみた.Eliaz の文章はとてもよく書けていて,読み進むに連れて「このモデリングにはこれまでの合理選択理論のフレームワークを超えるような,なかなか大変で壮大なアイディアを要するかもしれない」という気持ちがだんだん盛り上がってきた.だが,回答は意外にあっけなかった.均衡概念 (Definition 1) はナッシュ均衡と弱支配戦略均衡との中間的なものでいける.遂行概念 (Definition 2) も数学的にはひとつ条件が加わるだけだ.

経済学を学ぶ大学院生以上 (まだメカニズムデザインの章を勉強していない一年生にはむずかしいだろうけど,二年生には常識だよな) 向けにポイントを書けば,均衡は「高々 k 人しかいない一部の人々 (欠陥プレーヤー) がどんな戦略をとったとしても,それ以外の人々がその均衡戦略を取るかぎり,自分もその均衡戦略を取り続けるのが望ましい」という条件で定義されている.均衡概念自体は欠陥プレーヤーの存在を想定して定義されているが,その均衡自体は欠陥のない側のプレーヤーが取る戦略の組み合わせということになっている.よって,「均衡によって実現されるような選択肢の集合が,目標とする選択関数の選ぶ選択肢の集合と一致する」という通常の遂行の定義をそのまま用いることはできない.「何人かのプレーヤーは均衡戦略を取らない」という想定が死んでしまうためだ.上の条件に加え,「均衡以外の戦略を取る人が高々 k 人いたときに実現する選択肢も,目標とする選択関数の選ぶ選択肢集合に入っていなければならない」という条件を付け加えればいい.

「で,肝心の結果はどうなるのか?」って? それはボクにとっては必ずしも肝心の部分ではないので,Eliaz にあたってくれ.数学的には Nash 遂行可能性の有名な Maskin 条件に近いものが出てくる.例によってその証明は非常に一般的なルール (ゲームフォーム) を構築することでなされているが,このペーパーはおまけとして,より特殊な環境でより単純なルールも構築している.特に,外部性があるばあいの非分割財配分メカニズムは,メカニズムのあり方以前の問題として,その外部性の入り方が自分には面白かった.その問題に関しては How (not) to sell nuclear weapons というペーパーがあるらしいが,あと数日しかない夏休みにもう少しすすめておきたい研究が残っているので,このへんでこの文章も終わりにしよう.

追記 (9/27/2005): 若干の修正を加えた.なお,タイトルの日本語がやや不自然なのは意図的なものである.

追記 (8/15/2006): 合理性の異なるプレーヤの存在を考慮したモデルとして,合理的なプレーヤと限定合理的なプレーヤーを混在させたものも考えられる.トラックバックを送った「ルーカス批判外伝:非対称合理性」(yyasuda) は (結果なしだが) そのアイディアを提示.限定合理性の研究としては,(最近はほぼ完全に忘れられているけど) 90年代はじめに流行した有限オートマトン (メモリーに限界あるコンピュータ) をプレーヤーとするものなんかもあった.あれなんかはメモリーのサイズのちがいで異なる合理性を容易に表現できるんじゃないか.

【2005/09/26 13:38 】
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