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「本気では読めない公共哲学」への追記
前回の記事「本気では読めない公共哲学」に,経済理論家とリバタリアンの立場から補足しておく.

追記 1

「公共的ルール」の代替例としてボク自身が挙げたのは (繰り返しゲームにおけるプレーヤー間の懲罰といった) (均衡における) プレーヤーの戦略だった.これは経済理論の考え方としてはあまり標準的ではないことを断っておく (制度をゲームの均衡と考える比較制度分析のようなアプローチには共通する部分があるかもしれない).

より標準的な経済理論では, 「ルール」というのは要するに「ひとびとがどういう行動をしたらどういう結果になるのか」という対応関係であり,それは「メカニズム」あるいは「ゲームフォーム」とよばれる関数として定式化される.(ちなみに「ルール」の修飾語としては,「公共的」という言葉はあまり聞かないが,「集合的」「社会的」という言葉はよく用いられる.) いったんルールが与えられれば,「どういう帰結が予想されるか」はゲーム理論で分析できる.そして「どういうルールを与えるべきか (どういうルールが望ましいか)」は,メカニズムデザインあるいは契約理論で分析できる.ただし望ましいルールをじっさいにひとびとが選ぶかどうかというのは別問題なので,そこを分析したければ,ルールをなんらかの上位レベルのゲームの均衡として考えるアプローチを採用する必要が出て来るだろう.ルールの例として突如前回記事で戦略を持ち出した飛躍の背景には,このパラグラフで述べたような思考があったことを注記しておく.

要するに「〈公共的ルール〉なるものとしては,政府によって与えられた法律のようなものよりも,ひとびとが自発的に選んで行く契約のようなものを重視した方が,〈民の公共〉の考え方に親和的ではないか」と言いたかったのだが,(かならずしもポイントではなかったため) 論理を飛躍させた結果分かりにくくなっていた.

最後の点については,前回記事で触れた石田梅岩の商人道のように,商人を「民の公共」のプレーヤーとして見る考え方が参考になるかもしれない.石田梅岩が「公」とする価格 (相場) 自体が,プレーヤー間のゲームの均衡として決まるはずだからだ.つまり私的主体同士の相互作用の結果として「公」とされる何者かが決まるという考え方だ.


追記 1 への追記 (9/7/10)

どういうメカニズムが望ましいか? 「民の公共」の観点から見て重要な条件としては,「そのメカニズムに参加することが強制されていないか?」というものが考えられる (山脇自身の「民の公共」の理解とは異なるかもしれない).「自発的参加」をメカニズムに要請するやり方はいくつかあるが,ここではソロモン王が直面していたはずのある問題を解決した簡単なメカニズムを紹介する.以下の 1 がそのメカニズムを提唱した論文で,有名なセカンドプライスオークションに,「参加するかしないか」の選択肢を加えただけのメカニズムになっている. 2 はその論文を 10 分程度で紹介するビデオで,3 は日本語による解説である.
  1. The second-price auction solves King Solomon's dilemma. May 2008
  2. King Solomon's Dilemma: A simple solution
  3. ソロモン王のジレンマはセカンドプライス・オークションで解決できるじゃないか!


追記 2

無政府資本主義の考え方にしたがえば,「問題の多い政府の領域をなくして市場の領域だけにしてしまえばいい」ということになるだろう.経済学でいうところの「政府の失敗」は政府が存在するがゆえの失敗だが,「市場の失敗」は (大胆にいえば) 市場が存在しないがゆえの失敗だからだ.したがって無政府資本主義者は,本書の言う「政府の公/民の公共/私的領域」という図式を,「私的領域」だけに縮小することを目指そうとするだろう.そう考えることが無政府主義者にとってもっとも分かりやすいはずだ.

ただ,無政府資本主義者はべつに「民の公共」に反対するわけではない.徹底した個人主義者であることが多いので「民の公共」という概念が分かりにくいはずであり,そういう (スローガンとして採用できない) 分かりにくい概念を外した結果が「私的領域」という図式になるというだけのことだ.

本書『公共哲学とは何か』の著者が無政府資本主義者にも分かる言葉で「民の公共」なるものを説明できたならば,かれらはむしろ積極的に「民の公共/私的領域」という図式を採用するようになるかもしれない.そこらあたりの考察はボクの能力を超えるので,LJP の参加者にでも丸投げしておきたい.

(社会選択などを専門とする HRM からの寄稿)
【2010/09/07 06:50 】
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