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教育改革にかんするシンポジウムに行って来た
わが大学で行われた教育改革にかんするシンポジウムに行って来た.「教養学部設立で苦しんでいるので協力してくれ」という話かと思ったら,そうじゃなかった.少なくとも「教養学部」という言葉はほとんど出て来なかった.かわりに大学教育の置かれた時代背景 (?) にかんする一般的な話がほとんどで,わが大学固有の問題としては教養教育の体制にかんすることが大部分をしめた.「人生とキャリア」という科目で道徳倫理を教えるとかね.「21世紀型市民」とか「身体的コミュニケーション」とか「平成香川大学スタンダード」とか,ヘンな言葉がいろいろ出て来て吹き出しそうだった.

「平成香川大学スタンダードでは,女子学生との身体的コミュニケーションスキルをもっと伸ばさないと,21世紀型市民としての倫理的適格性を備えた大学教員にはなれないかもなあ~」
という具合に使えばいいのかしらん.

ひさしぶりに学内の教育にかんする議論を聞いて,「この大学の教員はいまだにこんな改革議論にみずからの能力を浪費しているのか」という感じがした.大学院マネジメント研究科や図書館の勤務が長く続いたボクは,どうやら教育改革にたいする熱意をだいぶ失ってしまったようだ.

それにしても大学教育開発センター長の認識は甘い.学生から見てありがたくもない教員内の分担で「進んでいる」と言っても仕方ないだろ.ボクが学生だった当時の国際基督教大学やミネソタ大学と比べてもいまだに遅れていると思わざるを得ない.特に4単位科目がほとんどなくなったいまは15年前のわが大学に比べても教育の質が後退している.

コミュニケーションの重視など方向性としては大きくはまちがってないかもしれない,しかしなにかヘンだ.いまの改革には夢も希望も感じられない.理由はよく分からない.ただ,ボクの出身大学ではコミュニケーション能力を確かに重視はしていたが,そのために教員の強みを殺しているという感じはほとんどなかった.たぶんコミュニケーション能力の育成は,目的というより手段だったのだろう.就職は強かったが,卒業直後にどこに就職するかなどといった個人の責任と選択の問題にすぎないことを大学はそれほど重視してなかった,じっさいフリーになるひとも多かった.そこあたりに違いがありそうだ.

シンポジウムの内容とはあまり関係ないが,教育改革がそろぞれの教員の強みを生かした良き方向に転換することを願いつつ,実現可能な簡単なことのみについて意見を書いておこう.

●一週間に一度しか授業がない科目は非効率.そういうペースで授業をしている世界トップ大学があるだろうか? 一科目の単位数は原則4単位以上とするのが望ましく,2単位科目にするなら半学期で区切るようにした方がいい.いちどに10科目以上も履修するようでは学生は集中して勉強できない.一年間だらだら続く4単位科目をせっかく90年代にやめて一学期で履修するようになったのが,2000年代には2単位科目2つに分割されて結局一年かけてやるように後退してしまったものが多い.

●科目のデザインは教員にまかせてもらいたい.特にシラバスでまちがった様式を押し付けないで欲しい.1ページだけでまともなシラバスが書けるかい? 横書き文書の学芸的伝統を大学が継承しなくていいのかい?---文書全体を意味もなく表にしたり縦の罫線を入れたりしてスタイルを無視して醜い様式にして,なにか得になるんだろうか? シラバスは教員がみずから進んでデザインすべきもの.枠に記入する役所の書式では,学生に「仕方なくやっている」という誤ったシグナルを送ってしまうことになる.たとえば文献や課題は項目を設けて列挙した方がいいかもしれないし,授業計画の中に入れてしまった方がいいかもしれない.そういう判断は教員自身でないとできない.印刷物を残さなければならないなら,最低限の項目だけを集めた便覧 (bulletin, course catalog) とし,シラバスは必要項目だけをしめしてあとは教員にデザインさせればいい.それらが区別されるべきものであることは,大学教育開発センター発行の教員ハンドブックにも載っている.

●高学年向け教養科目を解消してマイナー向け科目とするのは反対.ある分野のマイナーはその分野のメイジャーを構成する科目のサブセットで済むはずであり,マイナー向けの科目をべつに設置する必要性はほとんどない.単に高学年向け教養科目を担当して来た教員が既存学部から科目を出せないために,そういう逃げ道を考えたのではないか.高学年向け教養科目は,専門をあるていど学んだあとに視野を広げたり社会や学問における専門分野の位置づけを振り返るような科目として再定義して存続させればいい.

以上がほぼ固まった意見だ.なお,シラバスの問題は科目設計という教員の根本的な自由にかかわる問題である.多数決で統一的に決めてはいけない.たとえれば日の丸を講堂に揚げるかどうかという社会的選択の問題ではなく,個々の自宅に掲げるかどうかという個人的選択の問題だ.個々の教員にまかせればいい.ボクの考える様式をボクが他の教員に強制しないように,他の教員もボクに特定の様式を強制しないようボクは求めているに過ぎない.改善されなければ今後も厳しく追求して行きたい.
【2010/07/13 10:00 】
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