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経済学はプロセスを無視して帰結だけに注目するか?

伏線は敷いたので,今回は経済学の話題を提供しよう.

まずは「近所で起きた受精卵取り違え: 被害感情を想像してみる」でとりあげた意思決定問題を,展開形ゲーム (正確にはゲームフォーム) で表現してみる (OpenOffice.org の図形描画を利用した):

受精卵取り違え問題

第1段階で「自然」の取りうる選択肢は3つある: 11 (患者夫婦の子を妊娠させる); 00 (他人の子を妊娠させる); nat (妊娠に失敗する; 図では「流産」とあるが,この段階での用語としてはふさわしくなかった).(医者はあくまでも患者自身の子を妊娠させること 11 を目指して行動するので,能動的に選択は行わない.よってこの段階でプレーヤとなるのは不確実性を表す「自然」であり,「自然」は妊娠失敗を選ぶ以外にも医者にミスを起こさせることもできる.この段階で「自然」が選べる選択肢には片方の親だけが他人になる 01 と 10 というのもあるが,ここでは無視する.) 医者がミスして 00 となる確率はほとんどゼロだが,妊娠に失敗する (nat) の確率が相当大きいので,夫婦の希望通りに妊娠する (11) のはかなりラッキーな場合だ.妊娠に失敗すれば子供のいない状態 nil が実現し,これは (とりあえず) 治療前と同じだ.

第2段階では,妊娠を知った患者夫婦がその子を中絶するか生かすかを選ぶ.(この段階では妊娠したのが自分の子かどうか区別できないため,図で示すように「患者」を表す2つの丸を点線で結んで「情報集合」とした.) 中絶すれば子供のいない状態 nil になり,生かせば第3段階の自然の選択により流産するか生きるかが決まる.流産したら子供のいない状態 nil になり,生きれば自分たちの子供ができる (11) か,他人の子供ができる (00).

最終的な状態は a1 から a7 の 7つがあり,これらは「帰結」を表すため「アウトカム」とも呼ばれる.アウトカムをどう記述するか,あるいは認識するかが問題であり,図では nil, 11, 00 の 3 種類だけを区別して括弧内に書き込んだ.それぞれ「子供のいない状態」「自分たちの子ができた状態」「他人の子ができた状態」という帰結を表す.

ここで気づくべきことがある.nil とラベル付けされたアウトカムが 5 つあるが,それらは同じ結果とみなす必要はないということだ.たとえば

  • 最初から流産した場合 (a7) と,
  • いったん妊娠して中絶したが,その子が
    • 自分たちの子供だった場合 (a1) と
    • 他人の子供だった場合 (a4)

とでは,ちがうあつかいをしていいはずだ.

じっさい,上のような展開ゲームまで描いておいて,異なるプロセスで得られた 5 つのアウトカムを区別しないのは,バカげた話だ.それらを区別しないのは,ゲームを描く人の問題であって,展開形ゲーム自体の記述力不足の問題ではない.それぞれのアウトカムにたいして,根っこにある「自然」からそのアウトカムに至るパス (経路) は一意に決まる.(グラフ理論の定理を探すまでもないだろう.そのアウトカムの親,その親の親,……が一意に決まるので,それらの先祖を順次辿って根っこまで戻ればいい.間違えていたら指摘してくれ.) たとえば a2 に至るパスは,一連の選択を列挙することにより,

11-生かす-nat

と書ける.あるいはプレーヤーや端点までふくめて「自然-11-患者-生かす-自然-nat-a2」のようにより詳しく書ける.

つまり,アウトカムはこれら異なるパスの数 (上図では 7 個) だけ区別できるのだ.(上の図でアウトカムを nil と 11 と 00 だけに区別したのは,本来区別できるいくつかのアウトカムを同一視したためである.) そしてパスというのは,最終的な帰結に至るプロセスを表している.よって展開形ゲームを考えれば,あるところまでは特段苦労もなくプロセスを表現できるのだ.多くの文脈では批判として現れる「経済学はプロセスを無視して帰結だけに注目する」という主張は,少なくとも (展開形) ゲーム理論にたいしては当てはまらない.

リマーク.前回記事「近所で起きた受精卵取り違え: 被害感情を想像してみる」を振り返ってみよう.そこでは nil-->x-->y という全プロセス中で,すべてに共通である最初の nil は無視して,x, y, そして「x-->y の変化のあり方」の3つの要素からなる「一般化選択肢」を

(x, y, x-->y)

と表現した.この「一般化選択肢」とは,今の記事で言うところの (パスの情報を暗にふくむことで適切に区別された) アウトカムに過ぎない.対応は次のようになる:

  • x は第1段階での「自然」の選択肢である 11, 00, nat のいずれか,パスの前半部分.
  • y は a1 から a7 のアウトカムの括弧内に記述された 11, 00, nil のいずれか.アウトカムの不十分な記述.
  • x-->y は「abort」あるいは「生かす-nat」あるいは「生かす-生きる」.パスの後半部分.

さて,ゲーム理論を取り込んだ現代経済学にたいして,「経済学はプロセスを無視する」という批判は当てはまらないことを確認した.しかし,経済学が伝統的にプロセスを無視して帰結だけに注目しようとしてきたことは間違いではないだろう.過剰なほどにプロセスを記述しようとする他の社会科学から自らを差別するため,できるだけシンプルに社会現象を記述しようとした結果かもしれない.それゆえ経済学は「帰結主義的」であるとされて来たのであり,その傾向は特に (だれがなにをどれだけ消費するかという「配分」だけでアウトカムを表す) 一般均衡理論に強く現れている.

そういう経済学の伝統的な帰結主義的傾向をもっとも真剣に批判したのは社会選択理論家である.(それがゲーム理論家でなかったのは,社会選択理論家がもともと規範的問題 [価値判断にかかわること] を重視しているという事情によるだろうが,ゲーム理論家にとってはプロセスはもともと記述できるものだからかもしれない.) たとえば鈴村興太郎は,選択の機会集合や選択手続きなどにも内在的な価値を認めるアプローチを押し進めることで,伝統的な帰結主義を乗り越えようとしている.

ここでは鈴村の挙げる以下の端的な例を考えてみよう (Kotaro Suzumura, Consequences, opportunities, and procedures, Social Choice and Welfare 16: 17-40, 1999, の Example 1 を若干修正; べつに鈴村教授の代表作というわけではないが,ちょうどいい例が載っていたので採り上げた).二人姉妹がケーキを分ける問題を考える.量だけが問題だとすれば,配分は (x1, x2) のように書け,x1 は姉の取り分,x2 は妹の取り分である (ただし x1+x2=1).いまふたつの分け方 F, G を考える.Fは「公正なる父親の独裁的判断」であり,G は「姉妹自身による分割ゲーム」である.いずれの分け方でも結果として等分である (1/2, 1/2) という配分がアウトカムとして得られた.

もし伝統的経済学のように (?) アウトカムである配分だけに注目すれば,これらの2つの分け方は同等と判断することになる.「しかしそれで適切か? 姉妹たち自身が決める権利があるかどうかの違いは無視できないだろう」というわけで,Suzumura は「拡張された選好」というものを定義したフレームワークを提示する.手続き H で配分 x が実現したとすれば,そのペア (H, x) に利得を与えるような話だ.

では,ゲーム理論家ならどう考えるだろうか? べつに配分だけに注目するわけではないだろう.おそらく次の図のような略されたゲームフォームを考えるのではないか.


第1段階で選択する「プレーヤー」とは,姉あるいは妹あるいは姉妹と考える.特にそれが姉妹のばあいは,ある種のゲームを略して「プレーヤー」とある楕円で示していると考えられる.それが姉あるいは妹の場合は,この段階では単純に2つの選択 (F に参加するか G に参加するか) を与えられていると考えてよい.そして図中で (1/2, 1/2) とある配分の代わりに彼女の利得を考えれば,それらふたつの配分は利得において区別できる.同じ (x1, x2) という配分が得られたとしても,「F でそれが得られた場合よりも G でそれが得られた場合の方が彼女の利得は高い」といった具合に.このアプローチは Suzumura (1999) の提案するところと大差ないと言えないだろうか?

以上から分かるように,現代経済学,とりわけゲーム理論は帰結主義を乗り越えることができる.ただし,できることと実際にやることとはちがう.経済学の伝統的な帰結主義的傾向を実際に正面から見直して来たのは,ゲーム理論家というよりは,鈴村らをはじめとする社会選択理論家だったと言えるだろう.

(HRM からの寄稿)

追記 (2/27/2009). 「第1段階で「自然」の取りうる選択肢は3つある: 11 (患者夫婦の子を妊娠させる); 00 (他人の子を妊娠させる); nat (流産させる)」とあったのを「第1段階で「自然」の取りうる選択肢は3つある: 11 (患者夫婦の子を妊娠させる); 00 (他人の子を妊娠させる); nat (妊娠に失敗する)」と修正.面倒なので図はそのままにしてある.

【2009/02/23 07:27 】
| 社会科学 | コメント(3) | トラックバック(1) |
<<選択の苦悩: 行動経済学的仮説 | ホーム | 近所で起きた受精卵取り違え: 被害感情を想像してみる>>
コメント
HRMさんにお尋ねしていただけるとありがたいのですが、展開形で書けば同じ「アウトカム」でも最後の節が違えば異なる効用を置けるので、経済学=帰結主義ではないということがこの寄稿の主旨なのでしょうか?それはただ単に元々のストーリー(効用を割り振る根拠)を無視して、最後の節ごとに違うアウトカムのラベルを貼るのとは何か異なるのでしょうか?
(それなら結局は利得に還元できそうな気がしますし、展開形の定義としてはプレイヤー、ツリーのつながり、情報集合と利得で十分だったと思うのですが。)

「非帰結主義」を考える意義と言うのは、ストーリーとして何かスタンダードなモデルがある上で(たとえば一般均衡やバーゲニング)、そのスタンダードでは同じ効用を割り振っていたnodeに「非帰結主義」的に効用を変えることで何か意外な結果が出てくると言う感じなのでしょうか?

質問ばかりで申し訳ありません。
【2009/02/24 15:46】
| URL | 社会選択素人 #-[ 編集] |
ううむ,ボクのエディティングが悪かったみたいですね.

> 展開形で書けば同じ「アウトカム」でも最後の節が違えば異なる効用を置けるので、経済学=帰結主義ではないということがこの寄稿の主旨なのでしょうか?

「経済学は帰結主義である」という批判のなかには,本来区別して扱うべきアウトカムを同一視してることをもって,そう批判しているものがあるということです.図でnilとあるアウトカムは本来 nil1, nil2,...のように区別すべきだし,それはできます.それをせずに,すべての nil を同一視するのはアウトカムの吟味不足の問題であって,ゲームの記述力や経済学自体の問題ではないということです.

>それはただ単に元々のストーリー(効用を割り振る根拠)を無視して、最後の節ごとに違うアウトカムのラベルを貼るのとは何か異なるのでしょうか?

もともとのストーリーを無視せずに最後の節ごとに (ちがえるべきところは) ちがうアウトカムのラベルを貼ろうということです,展開形を考えないと,ついストーリーを無視して同じラベルを貼りがちだけど,展開形を考えることでプロセスを意識できれば,アウトカムに貼るラベルは区別すべきというのは自ずと分かると思います.

> (それなら結局は利得に還元できそうな気がしますし、展開形の定義としてはプレイヤー、ツリーのつながり、情報集合と利得で十分だったと思うのですが。)

利得に還元できるけど,単なる「帰結」というよりはプロセスの記述までふくめたものにたいして利得を定義できていることになります.だから狭い意味の「帰結主義」よりは非帰結的情報を取りんだ「拡張された利得」ということになります.Suzumura 論文では「拡張された選好」と言ってます.

> 「非帰結主義」を考える意義と言うのは、ストーリーとして何かスタンダードなモデルがある上で(たとえば一般均衡やバーゲニング)、そのスタンダードでは同じ効用を割り振っていたnodeに「非帰結主義」的に効用を変えることで何か意外な結果が出てくると言う感じなのでしょうか?

鈴村教授に聞いてください.笑.その質問自体が経済学徒ぽいですが,哲学的意義とかあるんじゃないですか.意外な結果が出るかどうかは知りませんが,扱える問題が増えることは確かでしょう.配分ばかりに注目していた厚生経済学の射程が狭かったという問題は確かにあると思います.

> 質問ばかりで申し訳ありません。

あまりうまく答えられていないかもしれません.満足できなかったら,またコメントしてみてください.

【2009/02/25 12:24】
| URL | 平凡助教授 #4TQqPKZU[ 編集] |
丁寧にありがとうございます。参照されていたSuzumuraもざっと眺めてみました。非帰結主義というのはモデルの作り方に対する「主義」なのだろうと理解しました。
【2009/03/01 12:31】
| URL | 社会選択素人 #-[ 編集] |
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「経済学はプロセスを無視して帰結だけに注目するか?」であつかった意思決定問題を再び考える (「元ゲーム」と呼ぶ; 第1段階で「流産」とある... ある平凡助教授の,なんということもない日々【2009/02/27 11:43】
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