いや,それは言い過ぎだった.経営学は学問じゃないから.あはは. ま,ジョーダンはこのくらいにしておこう.価値のないのは経営学じゃなくて経営「学者」だもんな.で,ミクロ経済学が「価値」を中心概念とするのはまちがいない.なんせ「価値の理論」と呼ばれるのだから. 経済学と経営学のちがいはなにか? 研究対象のちがいという基準と方法論のちがいという基準との二次元で分けたり (by 伊藤秀史),均衡論かそうでないかという方法論のちがいで分けたあと,新制度派経済学がどちらであるか分類しようとしてやっぱり混乱したり (by 菊沢研宗).(「パレート均衡」ってのは「パレート最適である競争均衡」といった意味だろうけど,ちょっと略しすぎかも.) まあ,他人はいろいろと試みているようだ. 自分にとって正直,ある研究が経済学であるか経営学であるかはどうでもいいことだ.社会選択理論が経済学であるか政治学であるか倫理学であるか情報科学であるかなんて,どうでもいいじゃないか---というのと同様だ. しかし自分の参加する組織 (GSM) が,学問のマナーを知らない野蛮人に支配され,彼らの論理で数々の組織的隠蔽行為が正当化されるとき,そして彼らの論理で自分が狂った評価を受けなければならなくなったとき,
と思う. ということで区別を試みてみた.要するに,経営学者は目が悪いのだ.視野が狭いんだろうな.ボクらに見えるものが彼らには見えないらしい.
この記事に手を入れてるあいだに,早くも↓拍手が届いた.Thanks! 追記 (2/25/2008) 「見えざる手」が見えないひとたちは,「マクロ経済学だって個々の企業が見えてないし,ミクロ経済学だって企業内部が見えてないじゃないか」と反論するかも.(古い) マクロ経済学にとっては,たしかに個々の企業は見えないと言えるかもなあ.でも,ありゃあ経済学じゃないから,はっはっは.ミクロ経済学についてはちがってるぞ.企業の内部が「見えない」わけじゃなくて,「見ない」だけだから.で,経営学者は「見ようと思えば「見えざる手」を見ることはできるけど,必要がないから見ないだけだよ」って言えるのかな? |
|
|
|
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2008/02/28 10:08】 | | #[ 編集] | 経営学者の多い組織に参加する,人格者からのコメントには切実なものを感じます.
方法論好きが非難されるなら,ボクの方が非難されそう.じつは学問的手続きの正統性にこだわっているのは自分だから.安易に「守秘義務」を持ち出してチェック不可能な実証結果を並べられたら,ボクは 「「でっちあげ」とか「捏造」と言われてもしょうがないやり方ですね」 と,つい挑発してしまいます. (ただし「経営学だから挑発された」と感じるのは受け取る側の問題.経済学者でもアンケートやインタビューに頼ることはあるだろうし,そのとき企業名を伏せたりすることもある.ただ,経済学者は言葉よりは行動を重視すると思うが.) (もちろん学者がでっちあげなんかしたのが発覚したら学界から追放されるメカニズムは少しはあるだろうし,信頼を基礎にしないと成り立たないのが学問だから,最後は程度問題なんだろうけど…….度が過ぎてると指摘せざるを得ない.) 残念ながら紀要にはアクセスできませんでした. 法学同様「コンサルティング業の下級代替品」の機能はボクも認める.しかし法学よりはもっと科学たりうる分野として高い期待をしているからこそ,経営学には頑張って欲しいと思うわけです. 「伝統的な法学研究が「悪かった」わけではない.各分野の判例を集めて筋の通った理屈を当てはめることは,法曹界に役立つことであるから,判例を整理した従来の研究を実業界に対するサービスと考えればよい.また,法制度の改正に関する意見も,その制度の経済的効果を全く誤解していることが多かったにもかかわらず,特に発表すべきでなかったともいえないので,この伝統的な規範研究が価値判断の発表にすぎなかったとしても,その発表が「悪かった」わけではない.しかし,何れも社会科学ではなかったのである. 」 (マーク・ラムザイヤー. 法と経済学:日本法の経済分析. 弘文堂, 1990; 168-169) このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2008/03/22 17:55】 | | #[ 編集] | はじめまして。私も経済学徒ですが、なぜか経済学者(特に日本人)は排他的な人が多く、そのような態度には鼻じらむものがあります。あのマクロは経済学じゃないとか法学や経営学は社会科学じゃないとか宗教原理主義者や人種差別主義者と同じレベルじゃないでしょうか。大人なら、社会から役に立たないと最も批判される社会科学が経済学であることを内省した上で、謙虚克つ寛容に他の社会科学の問題点を具体的に指摘し、だからこの方向性で経営学は大いに発展の余地がある、くらいの発言を経済学者はしてほしいいと思います。批判的コメント失礼しました。
【2008/06/12 13:50】 | URL | sin #-[ 編集] | あはは,ボクは宗教原理主義者みたいなもんだから,なに言っても効き目がないかも.あと,sin さんの言うことろの経済学にたいする態度がホントなら,排他的なあつかいを経済学者が受けているからこそ排他的に対応しているだけかもしれないなとも思いました.
まあ,経営学者も経営学って学問じゃないって言うし.法学が社会科学じゃないからって道徳的に悪いわけではないし.旧マクロ経済学が経済学じゃないのは一般的認識であり,だからといって悪いわけじゃないし. 単にある観点から見れば劣っているというだけであり,存在価値がないとまでは普通の経済学者はいいませんよ.いや,口先では言うかもしれないけど,本気にしなくていいでしょう.ただ,ある特定の観点からものごとの優劣が判断できる目を養うことは重要だと思います.相対論でも構わないので,自分の信仰を確立することです. 他分野にたいして寛容な言い方することは,学問の発展を促す可能性も阻害する可能性もあるので,どちらがいいというものでもないでしょう.sin さんの好きなやり方でやればいいんでは.なにをするにしても,自らが信仰に値しないと決めた分野の死をむやみに遅らせる必要はないでしょう. ところで「ある観点」とは言ったものの,学問には最低限のマナーがあります.捏造しないとか情報のソースをしめすといったことです.しかし経営学では企業名を伏せた調査結果なんかが見受けられます.そうする事情があるのは理解できるとしても,どこまで伏せていいのかという問題は残ります.(まともなジャーナルではそんなことはないと思いたいが) レフェリーもまったくチェックしないとしたら,それは問題でしょう.たとえば経営学部の昇任審査のために,一度も査読を受けていない論文を同僚が評価するとき,調査結果に捏造の疑いがあったとしましょう.著者本人が「経営学では企業名を伏せるのは問題ない」と言いさえすれば事実関係が曖昧なままで昇任が認められるとすれば,経営学のありかた,あるいは単にその学部の人事体制になにか問題があるとボクは感じます. >排他的なあつかいを経済学者が受けているからこそ排他的に対応している
他分野の研究者の名誉のために言っておけば、研究者から経済学使えないとい話をきいたことはありません。私の経験で経済学が使えないとコメントが出るのは実業界からです。研究者で排他的なこといってるのは一部の経済学者からしか聞いたことありません。 学問上のマナーを問題にするならそれは建設的です。しかし、社会科学じゃないとかコンサルの下級代替品とかいう傲慢な物言いは、正直、研究者であること抜きに人として不快です。学問上どころか人としてのマナーにも反していると思います。自分の信仰をもつのは結構ですが、その結果他の宗教を蔑むのはやめてください。
【2008/06/13 12:28】 | URL | sin #-[ 編集] | だから「社会科学じゃないって」のは自分たちの定義する社会科学じゃないってだけで,べつにやってはならないという意味じゃないんですよ.挑発的な言い方かもしれんが,じつは自らを律する言葉であり,ひととしてかな〜り立派なわけです.
そういうのをいちいち不快に思うのは精神衛生に悪いし非生産的.師に出来るひとの選択肢を極端に狭めてしまいます.痴漢や殺人者からでも学べることは多いのに,師にできないのは悲しいでしょう. 同意できないなら,「自分と同じ経済学徒にもバカなことを言う人はいるんだな.選好はいろいろだ」とおもしろがって拍手ボタンでも押したほうが人生明るくなりますよ. 娯楽70パーセントの記事にたいするまじめすぎるレスで,ボクも恐縮してしまいました. |
|
|
|
|
|
| ホーム |
|

