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中途半端な授業見物: もっと謙虚になれよ

経済学部では教員相互の「授業参観」をやるらしい.以前も実施した学科はあったが,今度は大学の要請を受けてやるようだ.

授業参観って,一回か二回かの講義に出るということか? それじゃ百害あって一利なしだろう.それぞれの科目には,その科目の方針というものがある.その科目なりのスタイルというものもある.

「それも分からんのか,ボケ! 貴様それでも日本男児か! 生きてる価値ない! さっさと死ね!」

って具合に,竹刀振り回しながら厳しくやるスタイルの教員もいるだろう.ボクが中学時代に受けた授業はだいたいこんな感じだった.公立だったんで教師もヤクザのようなもので,校内でヌンチャクを振り回していた.むかしはそれが普通だった.それが正常だったのだ.

「『実務的なスキルが身につかない授業は要らない』ってお前,スキルってものは学校で教わるものがすべてじゃないよな.大学入って以来,自らどんなスキルを身につけたんだ言ってみな.フェラチオぐらいなもんじゃないのか? フーゾクへの就職を目指しているんならそれでもいいが,そうじゃないならもう少し考え直した方がいいぞ」

とアカデミックな科目を擁護する一方で,適格な進路指導をする教員もいるだろう.(「あんたは東大 あんたは阪大 あんたはバカ あんたはエッチ」って感じの,高校教師による愛情あふれる有名な詩があったのを思い出したけど,正確ではない.) じっさいに殺したりなぐったりするのは問題だが,これらは問題ない.単なる発言なのでなんの物理的力も持たないからだ.これらは平均からやや外れるであろう例であり,ボク自身は必ずしも好きではないが尊重したいスタイルである.

(なにしろボク自身は「バカ」という言い方も---会津大学公式ページあたりに比べれば---戦略的にしかやってないつもりなので.それにしてもそこの教員一覧にさりげなく「バカな政治家がITを『イット』などと読んで浮かれ騒ぐずっと以前からコンピュータは既に社会の基幹として重要な役割を担っています」とか載ってるのは笑える.)

しかし世の中にはおかしな大学教員もいるもので,こういうやり方に難癖をつけたりするのだ.いや,意見として言うだけならいいんだが,問題は強制力に訴えてそういうやり方を排除しようとすることだ.学生と教員のあいだにそういうスタイルへの合意が明示的にも暗黙的にもできているのに,それをぶちこわそうとするバカがいるのだ! そういうバカにかぎって,環境問題とかフェミニズムとかで,まったく社会的にも受けられない主張を授業で堂々と展開していたりする.要するに自分の勝手な主張は展開するが,ひとの主張は強制力に訴えて (大学の統制によって) 潰そうとするわけだ.自らは学問の自由の恩恵を受けておきながら,ひとの学問の自由を奪おうとする腐ったやつらだ.

一回や二回の授業を見物するだけでは,その教員あるいはその科目独自の方針やスタイルは分からないだろう.参観した当日がたまたま特殊なスタイルをとった日 (たとえば質問に答えるだけの日; 質問が途切れれば授業終了) に当たるかもしれない.その教員の方針を理解したうえでなければ,的確に授業が行われているかどうか判断できるわけがない.単にその教員の目指す基準とは異なる勝手な基準で判断してしまうだけだ.評価される側から言えば,自分の目指す目標の実現に助けにならない意見なんかもらってもなんの参考にもならない.ひとによっては事前にシラバスを丹念に調べて教員にインタビューしたうえで参観するばあいもあるだろうが,スタイルなんてものは言語化できない要素が多いので,インタビューをしたところで正確に理解することはできない.ましてやそのような理解もしょうとせず,単に自分のやり方をおしつけるだけの意見なんか,単なる好みでありほとんど役に立たない.嫌われる教えかただからといって教育効果が高いとは言えないが,低いとも言えないのである.教育効果があがっているかどうかは,全体を見ないと分からないのだ.

ボク個人は平成香川大学着任以来,記憶にあるだけでも 6 科目以上の授業に参加した.それらすべての科目でほとんど全回通して参加した.(ほかに一度くらいしか参加しなかった授業もあるにはあるが,それは授業方法の評価が目的ではなかった.そんなやり方で公平な評価などできないのは分かっている.なんの参考にもならないだろうという前提で感想くらいは伝えるが,たぶん参考にはなっていない.) あくまでも学生の立場に立つならば,評価しようという姿勢は捨てた方がいい.ボクの科目を通して聴講してくれた教員も少なくとも 4 人はいる.授業について意見を聞くことのメリットは十分知った上で言っているのだ.

経済学部では,授業をビデオ種録し,それを見て「授業参観」としようとベテラン教授が提案したが,反対されたそうだ.「ビデオでは臨場感がない」というのが反対理由らしい.「臨場感」というのはよく分からないが,効果的にビデオに授業を収録するのはむずかしいというのならよく分かる.GSM ではすでに多くの授業を収録していて,それがひどいからだ.たとえばホワイトボードの一部しか映ってないなどの問題があって,とても見るにたえないのだ.こんな使えないシステムにいったい何千万 (何億だっけ?) 使ったんだという感想が残るのみだ.(それもあってボクは Macintosh PowerBook の QuickTime で録音した音声ファイルと教材のネット配信だけに留めている.) 経済学部のそのベテラン教授の授業をビデオで見たこともあるが,そちらは低予算ながら技術的にはマシだった.しかし,やはり全体像を捉えていない.

全体像を捉えていないというのはメリットもあればデメリットもあるわけであり,それを知ってビデオを利用すればいいだけの話だ.臨場感がないからこそ,冷静に見ることができるという面もあるだろう.ビデオをとおして自分の授業を学生サイドから見てこそ,他人の指摘が理解できるという面もあるかもしれない.(学生に人気の高いある准教授は「私は、黒板に書いた図を、教壇から離れてあえて学生のサイドからみて、わかりやすく書けているかどうかを確認するということの方が、ビデオでみるよりはるかに意味があると思っているんですよね」と発言したらしい.他人が確認できてもあまり意味はない.学生が教員に変わるだけだからだ.教員本人が確認するためにはビデオも使ったほうが [普通は] いいんじゃないか.ちなみにボクのばあい,ビデオを見ても自分が意図した通りになっていることが分かっただけであり,得られた情報はほとんどなかった.たぶんこれは自分が計算し尽くして授業に望んでいたためであり,やや特殊だろう.)

経済学部の連中はビデオを一部取入れるという発想はなかったんだろうか.デジタル思考がそれほど得意でもなさそうな人間にかぎってデジタル思考しかできなかったりするのはなんとも皮肉だ.そもそも一回やそこらの参観で済ます時点でまちがっているのだから,その一回で全体像を捉えていないからと言って拒絶するのは目くそが鼻くそを笑うようなもんだ.

とにかくやることが中途半端な連中だ.やるなら徹底的にやれ.それができないなら一切やるな! おっとデジタル思考だな,これ.笑

追記 (7/16/2007). ボクの科目を聴講した教員は 3 人ではなく最低 4 人いたことを思いだしので本文を修正した.非協力ゲーム理論でひとり,メカニズムデザインでひとり,規範経済学への公理的アプローチでふたり.ボクがこの大学で受講した科目は以下をふくむ: 非協力ゲーム理論,協力ゲーム理論,中級ミクロ経済学,投票制度分析,日本政治にかんする外書購読,生産管理システム論.ボクの授業への教員の参加は歓迎だが,(毎回出席しないまでも) まずは学ぶ姿勢が欲しい.それがないとアドバイスをくれても「あ,そう」って感じでボクを素通りするだけだろう.一度や二度の「授業参観」に効果があると考える連中は通りすがりのアドバイスが相手の役に立つなどと期待してるのだろうが,かなり傲慢だと思う.かれらの何がおかしいのかなかなか分からなかったけど,けっきょくは謙虚さがないというのが真実だろう.今後ボクは「平凡かつ謙虚な助教授」とでも名乗ろうかな.

【2007/07/13 15:55 】
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