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林貴志『ミクロ経済学』

昨日大学のレターボックスをチェックしたら,ミネルヴァ書房から本が届いていた.中級ミクロの本だ:

  • 林貴志. ミクロ経済学. ミネルヴァ書房, 2007.

著者名は Hayashi, Takashi とよみ,テキサス大学の新進気鋭の研究者だ.「4月20日初版第1刷発行」とのことで,この本の存在はまだ知らなかった.したがってこの本はボクが注文したわけではない.「謹呈」のしおりは見あたらないので,あとで代金を請求されるんじゃないかと不安もないわけではない.が,おそらく「授業で学生に買わせろ.それが無理ならブログで宣伝しろ」ということなのだろう.

蛇足.ビジネススクールの経済学者という立場上,残念ながら中級ミクロ経済学書を使えそうな授業を担当する予定はない.日本語の中級書は,たしかに学部上級科目や (わが大学レベルの) 経済学大学院修士課程の科目のためには存在意義があるだろう.しかし多くの大学で科目の単位数が 2 単位になっている現状を考えると,しっかりした本は使いにくい現実がある.最近の日本語中級のミクロ経済学書としては,ほかにも次のものに注目している.林 (2007) を「古典的」というなら,こちらは「現代的」といえるかもしれない.

  • 塩澤修平, 石橋孝次, 玉田康成 (編). 現代ミクロ経済学: 中級コース. 有斐閣, 2006.

入門書までふくめれば,ブログで紹介してみようかなと思った本は最近いくつかある.(とりあえず絵を眺めているだけで楽しい畑村洋太郎『技術の創造と設計』とか.メカニズムデザイナーなど,緻密な思考を要求される数理的理論家に求められる創造性の水準はもっと高い気もするが.) 経済学とはどんな科学かを説明した部分がひじょうに気に入った入門書『ミクロ経済学をつかむ』,そしてマクロ書としてはほんとうにひさしぶりに買った『マクロ経済学をつかむ』などだ.特に後者は overlapping generations model (重複世代モデル) が学部入門書で徹底的に展開できる時代になったかと感慨深いものがある.(「これならマクロ経済学を教えてもいいぞ!」とか血迷ったりしそうだ.ああ,でもこの本の導入部は分かりにくい.) そのモデルはボク個人は Neil Wallace に大学院ではじめて習ったもので,あのころこんな本があればミネソタのマクロにももっと楽に入れたであろう.

というわけで,この本の印象を述べてみよう.読んではいないけど,全体に渡って眺めたので,「印象」くらいは述べられる.

蛇足.ざっと眺めて最初に印象に残ったのは以下のような点だ.iv 頁にある「経済学的に需要でないと判断したとき」は「経済学的に重要でないと判断したとき」じゃないか.274頁に無羨望な配分としてあがっている x** は図中の位置がおかしいんじゃないか.揚げ足取りはこのくらいにしておこう.

執筆のスタンスはなかなかボク好みだ.一言で言えば,「理論を吟味する視点が濃厚である」とまとめられるだろうか.ところどころに見られる注釈的な解説 (著者は「くどさ」という) が,中級者にありがちな誤解を解いてくれることだろう.特に効用の意味と無意味についての議論には力が入っている.(ただ,55 頁にある「効用最大化というのは……それ自体には何の経済学的意味もない」という言い方には賛成できない.おそらく著者の意図するところは「最大効用 (最大化された効用) というのは……何の経済学的意味もない」ということだろう.)

第6章「便益と余剰」は例外的にきちんと読んだ.著者が重視している章であることはまちがいない.要するに「効用」と「便益」(財を取得するために支払ってもよい額; ニューメレール単位で測られる) は区別せよというのがメッセージだと思う.個人的には,以前の記事「評価額と支払い能力にかんする基礎論: ハーヴィッツの呪い?」で展開した議論を思い出した.「そんな中途半端な議論を展開しないで,ちゃんとオレの本を読め」というメッセージを込めて,著者はこの本をボクに送って来たのではと思えるほどだった.(その記事の議論が中途半端であるのにはわけがあって,著者が73頁で「以下の議論は『苦しい』」と書いていることにもかかわる.) というわけで,その記事で頭が混乱した読者にもこの章を薦めておく.読めば疑問の一部は解けるであろう.

追記 (4/15/2007). 昨日は指摘するほどではないと思っていたけど,やはり気になることがあるので指摘する.280頁に「社会厚生関数的な」例としてボルダ・ルールが挙げられている.だが,ボルダ・ルールにはその直前で展開された「基数効用にもとづく」という批判は当たらないと思う.選択肢がぜんぶで m 個あるとき,「ボルダ・ルール」というのは,選択肢に各個人が (最悪の選択肢に1点,……,最善の選択肢に m 点という具合に) つけた点数を合計した得点によって選択肢を順序づける方法である.各個人がつける点数自体を効用と考えれば,その効用を合計していることになるので,たしかに効用に依存する概念に見えないこともない.しかしこの点数自体を効用と考える必要はない.ようするにこの点数は,特定選択肢よりも好ましくない選択肢の数を数えて1を足せば求まるわけであり,(すべての選択肢にたいする) 選好だけに依存する概念である.(特定の選択肢の点数は,その選択肢よりも効用の低い選択肢の数で決まる---よって効用関数には依存しない.) このような意味で,ボルダ・ルールは基数的効用に基づいているとはいいがたい.以上から,「無関係選択肢からの独立性」を個人の序数的選好のみに依存することと同一視する281頁の議論には注意が必要だろう.(ボルダルールは独立性を破る一方で,序数的選好のみに依存している.)

批評だけではつまらないので,少し創造的になって,上の議論からおもいついた研究テーマを提示してみよう.社会選好を決めるルールが《効用主義的》とは各人の効用関数が存在して,社会選好が効用の合計によって決まることと定義する.社会選好を決めるルールが《厚生主義的》とは各人の効用関数とある社会厚生関数が存在して,社会選好が社会厚生関数によって決まることと定義する.ルールが効用主義的になるための条件は? 効用主義的であることと,基数効用に依存することとの関係は? (ボルダ・ルールはここに提示した意味で効用主義的であるが,基数効用に依存しない.) こういった問題を考察することができるだろう.たぶん研究されていると思うけど.

追記 (6/15/07). 関連サイトを以下にいくつか挙げる.

  • 正誤表 (著者のページ). 誤り募集中みたいなので,みなさんどしどし応募しましょう! 現時点では上の「揚げ足取り」で言及した iv 頁のタイポにはじまり,これまたそこで言及した 274 頁の図のミスで終わっている.ボクが著書を最初と最後からそれぞれミスが見つかるまでスキャンしたみたいに見えるかもしれないが,単なる偶然だ.
  • よりバランスのとれた書評 (Essay, dated. by tazuma)
  • 書評の予告?(ECONO斬り!! by yyasuda)
【2007/04/14 16:09 】
| 社会科学 | コメント(4) | トラックバック(0) |
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コメント
御書評いただき有難うございます。
献本先の決定については編集の方に一任しておりますので、私の方としては何も含む所はありません。あしからずご理解ください。「謹呈」の紙が無かったのは確かに?ですね。代わってお詫び申し上げます。

ボルダルールに関してですけれども、各人の「効用」を個人間比較可能な所与の要素として扱うルールの範疇には正確には入らないので、私もこれを例に使うのは少々逡巡したのではありますが、敢えて使うことにしました。

理由1:比較的簡単で教科書向け。
理由2:「ボルダルールは、選好が与えられればユニークに結果が定まるので基数効用を前提にしていない」というご主張に関してですが、これは「僕の最善(最悪)とあなたの最善(最悪)は同等に扱う」という仮定があるおかげでそうなるんであって、この仮定部分で基数効用概念を使ってる、ということも出来ます。まあこれは本文できちっと書かなかった私の責任ですが。。
【2007/04/16 14:54】
| URL | 林 #180P4soA[ 編集] |
さっそく見つかってしまいましたか! 献本が出版社からとなるとブログのネタとしては面白みが落ちますが,ありがたく受け取りました. (冗談にお詫びされると多少戸惑いますが.)

本文ではその印象が弱くなったかもしれませんが,独特なこだわりを持った,大いに持ち上げたい種類の本です.こだわりがボクに似ているような気がします.

ボルダ・ルールはボクの想定している定義ではどうしても序数的になるのですが,理由2のとおり個人間比較はしていると考えるべきかもしれません.「個人間比較」を定義するとしたら,ボルダ・ルールが該当するように定義したほうがいいような気はたしかにします.そうすると序数的かつ個人間比較にもとづく例が存在することになって興味深いです.

ああ,でも,理由2は (個人に重み付けをしたボルダ・ルールはもちろん)ふつうの多数決や,重み付けした多数決にも当てはまりそうなので,いま書いた「ボルダ・ルールが該当するように定義したほうがいいような気はたしかにします」という感想を主張とすることは保留にしておきます. 多数決のばあい,「選択肢 a, b にたいする僕の順序付けとあなたの順序付けとを同等にあつかう」ということだから,ちがうといえばちがうのですが.
【2007/04/16 19:12】
| URL | 平凡助教授 #TfAYej.g[ 編集] |
>「僕の最善(最悪)とあなたの最善(最悪)は同等に扱う」という仮定

これは不正確でした。これだと、多数決ルールもそういう要求をしていることになるから、多数決ルールも"基数効用的"ということになってしまう。
ということで、以下のように書き換えます。

"僕の最善(最悪)とあなたの最善(最悪)は同等に扱い、その間の刻み幅も個人間で同等に扱う"

本書では教科書という性質上、
序数的と基数的の間の線引きはアロウのIIAですることに固定したので、その限りではこれも基数的扱いということになります。

もちろん、これが唯一のconventionではないでしょうから、別のところに線を引くことも考えられるでしょう。
【2007/04/17 04:41】
| URL | 林 #180P4soA[ 編集] |
前回コメントの最後に言いかけたことですが,
-ボルダ・ルールは任意の「ひとつの」選択肢の選好順序における絶対レベルを問題にしているのという意味で「基数効用的」で,
-多数決は任意の「ふたつの」選択肢にたいする順序づけだけを問題にしているという意味で「序数効用的」
とは言えそうですね.こう理解すれば区別はできます.林さんの直前コメント前半はそういうことかと思います.(ややこしいのはボルダ・ルールが選択肢にたいする順序づけだけを問題にしているところです.つまり多数決について書いた上文から「任意のふたつの」を除けばボルダ・ルールに当てはまるのです.)

なるほど林さんは IIA (無関係対象からの独立性)で序数的と基数的の線引きをしたわけですね! ボクの想定していた「序数的」よりだいぶ意味が強いです.たしかに convention がちがいますね.

ボクの立場では,特定のふたつの選択肢 x, y の社会的順序を決めるときに異なる選択肢 z にかんする個人の選好データを使うからといって序数的でなくなることはありません.IIA のようにふたつの選択肢に注目するのは,言われてみれば「序数的」の一面を捉えている気もしますが,どうしても「ふたつ」(というか,選好の一部だけを取り出す考え方)というのが恣意的に思えるからです.あるいは選好の一部だけ取り出す考え方は「序数的」かどうかとは無関係に思えるからです.

とりあえず立場のちがいは明確になりました.林さんのコメントのおかげです.
【2007/04/17 14:24】
| URL | 平凡助教授 #TfAYej.g[ 編集] |
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