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非循環性なしの社会選択理論---その後
非循環性なしの社会選択理論が出現!」で紹介した論文がジャーナルにアクセプトされたようだ:
Masahiro Kumabe and H. Reiju Mihara (2010). Preference aggregation theory without acyclicity: The core without majority dissatisfaction. Games and Economic Behavior (2010), doi:10.1016/j.geb.2010.06.008. (MPRA paper としても入手可)

以下は著者のひとり三原麗珠からのメッセージである:


以前書いた「非循環性なしの社会選択理論が出現!」という寄稿では,
「『[非循環性なしの社会選択理論を提示したことが] すごいことなの?』って? 経済理論を教える大学教授にでも聞いてくれ.」
と書いたが,今回ゲラ刷りをチェックしていて,我ながら「すごいな」「よくこんなラディカルなことをやったな」と思った.といっても以前書いた論文を読み返すと,「すごいな」「よくこんな難しいことができたな」「神がかっていたみたいだ」などと思うのは毎度のことなので,参考にはならない.

今回ボクにとってよかったのは,はじめてゲーム理論プロパーのジャーナルである GEB に掲載が決定したことだ.ゲーム理論を学生に教えて来た身としては,ゲーム理論のジャーナルに論文が掲載されたことがないというのは (特に問題ではないものの) あまりうれしい状態とは言えなかった.たしかにトップクラスの経済学ジャーナルはカバー範囲が広くて,タイトルにもフィールド名なしに "Economics" とだけあるものが多い.しかし「ゲーム理論」とか「社会選択」といったフィールド名のあるジャーナルは,愛着というか帰属意識というか土着性というか,そういうものを感じやすいのだ.ゲーム理論という「土着性」を感じられる場で,いつか自分の論文を発表してみたかった.思考がローカルな人間なのかもしれない.

これでボクも自信を持ってゲーム理論家を名乗っていいかな?」と思わなくもないが,たぶん「ダメだ!」と言いたいゲーム理論家もいるだろう.じっさい上記論文は,ボク自身がもっとも正統なゲーム理論とみなしている非協力ゲーム理論とはあまり関係ない.協力ゲーム理論とは不可分ではあるけど,ほぼまちがいなく社会選択理論の論文である.そう,そういう社会選択の論文をゲーム理論のジャーナルに載せたことこそが,隣人の領域を侵犯したような,これまでにない心地よい感覚を与えてくれているのだ.

男子トイレの臭さに我慢できなくて,女子トイレを使ったときのような感覚……いやちがうな,我慢できなかったわけじゃないから.器械体操が (昔は) 得意だったボクが,(女子の種目である) 段違い平行棒で入賞したような感覚……これもちがうな,自分の普段やる種目で競技したわけだから.べつに男湯に不満はないが,たまには女湯にでも入ってみようと入ってみて,なんの文句も言われずに上がって来れたような感覚か.とか言うと,「そんなにすごいのか?」と言われそう.笑
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【2010/07/17 16:53 】
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教育改革にかんするシンポジウムに行って来た
わが大学で行われた教育改革にかんするシンポジウムに行って来た.「教養学部設立で苦しんでいるので協力してくれ」という話かと思ったら,そうじゃなかった.少なくとも「教養学部」という言葉はほとんど出て来なかった.かわりに大学教育の置かれた時代背景 (?) にかんする一般的な話がほとんどで,わが大学固有の問題としては教養教育の体制にかんすることが大部分をしめた.「人生とキャリア」という科目で道徳倫理を教えるとかね.「21世紀型市民」とか「身体的コミュニケーション」とか「平成香川大学スタンダード」とか,ヘンな言葉がいろいろ出て来て吹き出しそうだった.

「平成香川大学スタンダードでは,女子学生との身体的コミュニケーションスキルをもっと伸ばさないと,21世紀型市民としての倫理的適格性を備えた大学教員にはなれないかもなあ~」
という具合に使えばいいのかしらん.

ひさしぶりに学内の教育にかんする議論を聞いて,「この大学の教員はいまだにこんな改革議論にみずからの能力を浪費しているのか」という感じがした.大学院マネジメント研究科や図書館の勤務が長く続いたボクは,どうやら教育改革にたいする熱意をだいぶ失ってしまったようだ.

それにしても大学教育開発センター長の認識は甘い.学生から見てありがたくもない教員内の分担で「進んでいる」と言っても仕方ないだろ.ボクが学生だった当時の国際基督教大学やミネソタ大学と比べてもいまだに遅れていると思わざるを得ない.特に4単位科目がほとんどなくなったいまは15年前のわが大学に比べても教育の質が後退している.

コミュニケーションの重視など方向性としては大きくはまちがってないかもしれない,しかしなにかヘンだ.いまの改革には夢も希望も感じられない.理由はよく分からない.ただ,ボクの出身大学ではコミュニケーション能力を確かに重視はしていたが,そのために教員の強みを殺しているという感じはほとんどなかった.たぶんコミュニケーション能力の育成は,目的というより手段だったのだろう.就職は強かったが,卒業直後にどこに就職するかなどといった個人の責任と選択の問題にすぎないことを大学はそれほど重視してなかった,じっさいフリーになるひとも多かった.そこあたりに違いがありそうだ.

シンポジウムの内容とはあまり関係ないが,教育改革がそろぞれの教員の強みを生かした良き方向に転換することを願いつつ,実現可能な簡単なことのみについて意見を書いておこう.

●一週間に一度しか授業がない科目は非効率.そういうペースで授業をしている世界トップ大学があるだろうか? 一科目の単位数は原則4単位以上とするのが望ましく,2単位科目にするなら半学期で区切るようにした方がいい.いちどに10科目以上も履修するようでは学生は集中して勉強できない.一年間だらだら続く4単位科目をせっかく90年代にやめて一学期で履修するようになったのが,2000年代には2単位科目2つに分割されて結局一年かけてやるように後退してしまったものが多い.

●科目のデザインは教員にまかせてもらいたい.特にシラバスでまちがった様式を押し付けないで欲しい.1ページだけでまともなシラバスが書けるかい? 横書き文書の学芸的伝統を大学が継承しなくていいのかい?---文書全体を意味もなく表にしたり縦の罫線を入れたりしてスタイルを無視して醜い様式にして,なにか得になるんだろうか? シラバスは教員がみずから進んでデザインすべきもの.枠に記入する役所の書式では,学生に「仕方なくやっている」という誤ったシグナルを送ってしまうことになる.たとえば文献や課題は項目を設けて列挙した方がいいかもしれないし,授業計画の中に入れてしまった方がいいかもしれない.そういう判断は教員自身でないとできない.印刷物を残さなければならないなら,最低限の項目だけを集めた便覧 (bulletin, course catalog) とし,シラバスは必要項目だけをしめしてあとは教員にデザインさせればいい.それらが区別されるべきものであることは,大学教育開発センター発行の教員ハンドブックにも載っている.

●高学年向け教養科目を解消してマイナー向け科目とするのは反対.ある分野のマイナーはその分野のメイジャーを構成する科目のサブセットで済むはずであり,マイナー向けの科目をべつに設置する必要性はほとんどない.単に高学年向け教養科目を担当して来た教員が既存学部から科目を出せないために,そういう逃げ道を考えたのではないか.高学年向け教養科目は,専門をあるていど学んだあとに視野を広げたり社会や学問における専門分野の位置づけを振り返るような科目として再定義して存続させればいい.

以上がほぼ固まった意見だ.なお,シラバスの問題は科目設計という教員の根本的な自由にかかわる問題である.多数決で統一的に決めてはいけない.たとえれば日の丸を講堂に揚げるかどうかという社会的選択の問題ではなく,個々の自宅に掲げるかどうかという個人的選択の問題だ.個々の教員にまかせればいい.ボクの考える様式をボクが他の教員に強制しないように,他の教員もボクに特定の様式を強制しないようボクは求めているに過ぎない.改善されなければ今後も厳しく追求して行きたい.
【2010/07/13 10:00 】
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展開形ゲームの作図に使える jPicEdt
LaTeX で作る展開形ゲームの作成に jPicEdt とやらを使ってみた.昨年いろいろ試して落ち着いた Osborne の egameps.sty とちがって画面を見ながら作図できる.描画用ウインドウ内上部で設定できるグリッドシステムを使えば,枝が微妙にずれることもなく楽に正確に描画できる.

あと,ソースファイルで展開形ゲームの利得だけを直接編集したいときは,egameps.sty 用のソースの方が分かりやすくて手を入れやすい.もっとも jPicEdt で開いて編集してもそれほど手間はかからない.ソース中の利得部分になんらかのマークをつけておく方法もある.

最低限の使用法しかためしてないが,こんな感じだった.絵を描き,PSTricks (.pst) その他で保存し,LaTeX ソースファイルの適当な場所に貼付ける.(出版社など他人に渡すとき複数ファイルになるのを気にしなければ .pst ファイルを \input で読み込ませてもいいはず.もとのファイルは再編集のために保存しておくといいだろう.) その際 LaTeX ファイル (filename.tex と呼ぼう) のプリアンブルに \usepackage{pstricks, ...} は必須.また,図の周りの余白は \begin{pspicture}(0,0)(77.14,40.00) という感じのサイズ変更用らしきコマンドの数値をいじることで消せるようだ.

ファイルが出来たら,通常の LaTeX タイプセットのあと,ターミナルで
dvips -Ppdf -z filename
その後
ps2pdf13 filename.ps
とやれば pdf ファイルが出来上がり.

jPicEdt を使い始めるときは Edit メニューから Preferences を選び,General タブで Default formatter を PSTricks に変更しておくといい.そうしないとたとえばゲームツリーの枝の先と根元のマーク (矢印とか黒丸など) が自由に選べなくなる.(昨日はこれに気づかずにだいぶ時間を使ってしまった.)

追記・修正 (7/11/2010)

以下の記述を削除した:「ただしその方法では枝が微妙にずれたりして手作業って感じが残る.でも egameps.sty を使っても文字の位置などは試行錯誤がいるから,大差はないかもしれない.」グリッドシステムを使えば目分量による微妙な位置調整は不要になる.

ソースで利得部分になんらかのマークをつけて識別する方法を追加.

いうまでもなく LaTeX のソースファイルに .pst のなが~いコメント部分をぜんぶ貼付ける必要はない.自分のばあいは,最初2行の生成情報および
%PSTricks content-type (pstricks.sty package needed)
以降だけを貼付けている.

ちなみに jPicEdt は以前このブログで触れた WinTpic からの乗り換えにおすすめらしい.後者が使えなかった Mac ユーザーには朗報である.
【2010/07/09 03:33 】
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