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ナッシュ遂行では顕示原理は成り立たない

この記事は,ある問題にかんするある研究者との理解の不一致に端を発した覚え書きである.目的はボクの理解するところを伝達すること.用語の説明はかなり省略する.対象読者はメカニズム・デザインに触れたことがあるひと.まずは簡単に用語を復習しておく:

  • 社会選択対応とは選好列 (選好プロファイル) にアウトカム集合を対応させる対応.
  • メカニズム (ゲームフォーム) とはメッセージ (アクション) 列にアウトカムを対応させる関数.
  • 直接メカニズムとは各人のメッセージが自分のタイプ (選好) であるようなメカニズム.社会選択関数 (一価である社会選択対応) のこと.[追記.本稿の結果はこの定義に決定的に依存する.最後の「追記」を参照.]
  • 「メカニズムが社会選択対応を遂行する」とは,つねにそのメカニズムによる均衡アウトカム集合がその社会選択対応で選ばれるアウトカム集合と一致すること.
  • 「直接メカニズムが社会選択対応を正直遂行する」とは,つねに自分のタイプ (選好) を正直に申告する戦略列がそのメカニズムの均衡になり,かつ均衡アウトカムが社会選択対応で選ばれるアウトカム集合にふくまれること.(正直戦略以外の均衡アウトカムが社会選択アウトカムになっているかどうかは関係ない.)

顕示原理とは「ある均衡概念のもとで,あるメカニズムがある社会選択対応を遂行するとき, (その社会選択対応の selection である) ある直接メカニズムがその社会選択対応を正直遂行する」という命題である.この原理は均衡概念が支配戦略均衡あるいはベイジアン・ナッシュ均衡のもとで成り立つことが知られている.

ではナッシュ均衡のもとでは顕示原理は成り立つか? テキストなどではなぜかあまり触れられない疑問だが,ボクは成り立たないと思っている.しかし成り立つと信じているひとは意外に多いかもしれない.ここではどうしてそういう誤解が生じたのか (ベイジアン・ナッシュ均衡は完備情報化ではナッシュ均衡になるから?) は気にせずに,成り立たない理由を説明してみる.間違っていたら教えて.

ボク自身が成り立たないと思ったきっかけは,自分が証明に行き詰まったからだ (笑).たとえばベイジアン・ナッシュ均衡による遂行にかんする顕示原理の証明 (e.g., MWG, Prop 23.D.1) を辿ってナッシュ均衡による遂行の場合を証明しようとすると行き詰まる.その原因は以下の違いに起因する:

  • (ベイジアン・ナッシュ均衡を通常考える) 不完備情報での戦略とは,自分のタイプからアクションへの関数である (各自 i は自分のタイプθiのみ知ってアクション sii) を選ぶ)
  • (ナッシュ均衡を通常考る) 完備情報での戦略とは,タイプのプロファイルからアクションへの関数である (各自 i は全員のタイプθを知ってアクション si(θ) を選ぶ; MWG Chapter 23, Appendix B 参照)

より具体的に言えば,証明の最後近くで詰まるはず.g(si(θ'), s-i(θ)) のような形が出て来てきれいに分離できない.(もとの証明では g(si(θ'i), s-i-i)) となるところ.) つまり "Tell me your type" の部分で自分以外のタイプも申告してしまうわけだ.

もちろんボクが証明できないというだけではある命題が偽であることにはならない (←当然だよなあ).したがって反例を挙げることにする.(じつは反例を考えた記憶がない.指摘してくれた方に感謝.) これで「成り立つ派」も納得では?: 間接メカニズムである Walker メカニズムは Lindahl ルールをナッシュ遂行する.しかし Lindahl ルールにおいては正直に選好を申告することはナッシュ均衡にならない.したがってナッシュ遂行では顕示原理は成り立たない.納得してもらえたかな?

おまけ 1. 「正直遂行」が「遂行」の特殊ケースになっていないことに注意すれば,一般には顕示原理の逆は成立しないことが分かる.つまり「ある直接メカニズムがある社会選択対応を正直遂行するとき,あるメカニズムがその社会選択対応を遂行する」という (字面からは当然そうな) 主張は成り立たない.ところがこれが成り立つという誤解は少なくないようで,しばしば不適切な場面で「分析を直接メカニズムに限定してよい」という記述が見られる.(MWGや契約理論のテキストではメカニズムの均衡アウトカムのなかに社会選択対応で選ばれるものが入っていることをもって「遂行」としていることが多い.この場合,顕示原理の逆は当然成り立つので,分析を直接メカニズムに限定するのは問題はない.問題なのは「遂行」の意味が本文でしめしたものと同じであるにもかかわらず顕示原理の逆が成立すると想定してしまう場合である.)

おまけ 2. 実はまだゆっくり見てないのだが,Behavioral Mechanism Design Bibliography Database というサイトが便利らしい.

おまけ 3. メカニズムデザインにかんする入門記事としては,「ソロモン王のジレンマはセカンドプライス・オークションで解決できるじゃないか!」をすすめるが,専門用語を避けているためこの記事の理解のためには不十分である.この記事の理解のためには,三原麗珠の「メカニズム・デザイン: レクチャー・ノート」レベルの知識は欲しいところ.

追記 (10/24/2009). Osborne and Rubinstein (1994) によればナッシュ遂行では顕示原理は成り立つという! 「平凡助教授まちがってるじゃん!」って?---そうではなさそうだ.どうしてこういう違いが起きたかと言えば,彼らの正直遂行の定義 (Definition 179.2) では,ここでいう直接メカニズムに当たるゲームフォームで人々は (自分のタイプに代わって) 全員のタイプを申告することになっているためである.どうやら顕示原理も定義の微妙な違いによって成立したりしなかったりするようだ!

(HRM からの寄稿)

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【2009/10/23 22:43 】
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「問題だ!」と言う人がいちばん問題?

「「問題だ!」と言う人がいちばん問題なのだ」

イヤな言葉だ.こういう言葉は言われたくない.孔子様の「己の欲せざるところ,人に施す勿れ」の由来にしたがえば,他人には言ってみたい言葉ということになるだろう.だがボクの周囲には,本当に問題であることにたいして「問題だ!」と激しく指摘してくれる人がボク以外にいないので,使う機会はあまりなさそうだ.(おもしろいことに「そんなの自由でしょう.ちっとも問題ではない!」とボクより激しく主張する人はもっと少ない.) 残念だ.けっきょくはボクが言われる方になるのだろう.そのときは,

「「「問題だ!」と言うひとがいちばん問題なのだ」というひとがいちばん問題なのだ」

と言い返すことにしておこう.

ところでさいきんその言葉を口にした人がいる.いや,文字にした人が.武蔵野 (三鷹・小金井) の杜で学んだと思われるもと隣人で (思いちがいなら失礼!) ,いまは海を挟んだ隣人であるショウゴさんこと三野牧師である.そのブログ記事のタイトルは「その正論は間違っている」.勇ましいタイトルのわりに本文はソフトだ.(とりあえず「敵対的」トラックバックは送った.悪意はないけど,理解されない可能性はあるかも.そのときは仕方ない.というか,もともとトラックバックは受け付けてないぽいな.)

で,物好きなボクがそれにちょっかい出したら,ショウゴさんはさらにソフト度を増幅させ,「誤解を与えたようでしたら申し訳ありません」と応えてくださった.「牧師さんに謝らせるような偉~いあんたは誰様なの?」って? 我が輩は平凡助教授である.

どうちょっかい出したかって? 「正論を言わないことに激しく痛みや苦しみを感じるひともいるのです.言ったら言ったでまたべつの痛みや苦しみがあるのが悩ましいところですが」と言ったのさ.なにしろボクはある科学的測定結果によれば,自由を奪われることにかんして最低でも通常の日本人の64倍は強く痛みや苦しみを感じるらしいから.補足しておくと,自分自身が痛みや苦しみを感じなくても,正論が通らないことによって痛みや苦しみを受けるであろう多くの人々のことの方が目の前にいる相手のことより気になるという人もいるだろう.

いやあ,ショウゴさんゴメンなさい.べつにショウゴさんが上記の言葉を他人に向けて発したとは思ってませんよ.仮に発するとしても,かなり頑固な反戦主義者のようだから,相手とか状況を選んで,それなりに納得できるようなやり方で発することと推測します.ボクの方も冒頭で「こういう言葉は言われたくない」とは言ったものの,べつに利害関係ないひとに言われるだけなら,「あ,そう」という感じで,特に気にしません.

少し建設的な方向に話を進めよう.牧師さん曰く:

「物事や人を良い方向に導くのは正論であるかどうかという部分よりも、
相手や物事の本質と同じ目線に立とうとしているかが大きいと思うのです。

これもあまり嬉しくはないけど,じゅうぶん理解できる.ビジネススクールにいたことのあるゲーム理論家らしく言い換えれば,

「目標が正しくても,戦略が誤っていれば目標は達成できない」

とでもなるだろうか.ありがたみもへったくれもない世俗的な言い方だが,こういう言い方の方が大学教員にはふさわしいだろう.(牧師とちがって,大学教員とか経営者は「なにを精神論なんか言っている!」とバカにされる立場だから.) でも言い換え前の言葉にふくまれている精神はそんなには失ってないと思う.そのわけは面倒なのでここでは議論しないけど,ビジネスあるいは市場こそが道徳的だという理解は倫理学者にも広まって来ているからいいだろう.そもそも戦略的な行動を取ること自体は善悪とは関係ない.

「「問題だ!」と言う人がいちばん問題なのだ」という言葉を (好意的かつゲーム理論的に) 再解釈すれば,後ろの方の「問題なのだ」というのは,「悪い」という倫理的判断ではなく「戦略が下手」という,技巧にたいする評価だと理解できる.言われて嬉しい言葉とはいわないが,かなり客観的な命題に聞こえなくもない.

そういうボクはじつは戦略的に行動するのがとても苦手だ.問題を見つけしだい,犯人を探し出して罵倒して潰そうとするのが常だ.(いや,通常は問題というのは複雑なインセンティブから生じており犯人を特定できるものではないので,とりあえずだれでもいいから同じ問題で苦しんでいそうな「仲間」の前で怒りを表現してみる.笑) じっさい (あらゆる場面でとは言わないけど) いろいろと損をしていると思う.

それじゃ「ゲーム理論家として問題じゃないか?」と言われたら何と答えたらいいだろうか.「戦略的に行動できているからといって,それを認めることが戦略的に有利だとは限らないだろ.ふつうは不利になると思うよ.ボクがコンサルタントやってたり一般向けのゲーム理論の本を書く予定があったりしたらべつだけど,そうじゃないから,べつに戦略的行動が下手と思われてもぜんぜん困らない.能ある鷹は爪を隠すと言うじゃない.いや,いや,それは一般論で,ボクは単にバカなんだよ.いや,バカって言っちゃ創造主に怒られるからそれは撤回して,なんというか,日常的に戦略的思考とかしてたら疲れるので一切しないことにしてるんだ」とでも答えて煙にまけばいいかな.アハハ.

信じてもらわなくて結構だが,ボクは善悪にかかわるような問題については愚直に行動することにしている.戦略性はそこにはない.愚直に行動している.戦略性はそこにはない.愚直に行動している.戦略性はそこにはない.ホントだよ.ホントだってば.

うまく説明できないが,あるシチュエーションを戦略的にうまく乗り越えたとしても,似たようなシチュエーションは繰り返し起こりうる.短期的に見ればうまく問題を解決できるような戦略でも,長い目で見れば大きな失敗になっていることがある.(考えてみよ.たとえば市場がすばらしいのはそれが人知を越えているからだ.将来的に持続して正しく予想できるわけがない.)「ヤクザの脅しに乗ってカネを払ってしまったら,そのヤクザやほかの連中に将来つけ込まれることになるかもしれない」ということだ.もちろん「ヤクザの方もビジネスは続けたいはずなので,特定地域で長期的に活動しているようなヤクザなら信じて従うのが賢い」という反論も理解できなくはない.それでもボクは「問題だ!」と指摘することも行動することも止めたくないのだ.

なんかいつのまにかヤクザの話になってしまった.ボクの置かれた環境を表現するには泣きそうなくらい適格な比喩なので,笑ってしまいそうだ.

【2009/10/20 18:27 】
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