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経済理論家のカルチャー→公理的方法→オブジェクト指向→MBA

前回の記事で書いた経済学者と工学者のカルチャーのちがいはどこから来るのか.鍵になるのは以下の真実だ:

  • 真実 E. 経済理論家は各人が最適化した結果,社会がどうなるかに関心がある.どう最適化するかという問題自体にはほとんど興味がない.

「経済学者」がいつのまにか「経済理論家」になっていたり,横尾らの指摘とややずれる (最適化の結果,社会がどうなるかというのが均衡;経済学者が均衡に関心があるなら,その計算に関心を持ってもおかしくないはずだ) 問題は重要でないから無視する.

経済学者にもいろいろあるが,ミクロ理論,特に一般均衡理論の専門家は真実 E の傾向が強いはずだ.この分野の古典である Debreu (1959) Theory of Value: An Axiomatic Analysis of Economic Equilibrium に微分は出てこないことからも想像できるんじゃないかな---と最近の大学院生に言っても通じないかもしれないが,Mas-Colell et al. のテキスト出現以前は一般均衡理論の学習に欠かせない一冊だった.経済理論家は「最適化といった泥臭い研究はオペレーションズ・リサーチとか応用数学でやってくれ」と思っているふしがある.いわば「丸投げ」だ.

「丸投げ」ってのはオブジェクト指向的といえるかも.じつは「オブジェクト指向ってよくわからないんだが,対象物をブラックボックスとしてあつかえるのは,オブジェクト指向の特徴のひとつだろう.オブジェクトを呼び出す側は,それを使えればいいのであって,その内部の仕組みを理解している必要はない.

経済理論を構成しているひとつひとつの概念にたいする考察がまず重要だと経済理論家は考えるだろう.極端な言い方をすれば,「均衡を解明するようなテクニック (たとえばエッジワースボックスとかトポロジーとか) なら重要だが,最適化のための数学テクニック自体は他分野なり数値計算ソフトウエアなりに丸投げすればいい」と考えるのでは.で,初心者にトポロジーで教えるコストは高いので,ミクロ経済学を教えるときはエッジワースボックスで厚生経済学の第一命題を教えることになる.

補足.ひとによっては真の鍵は真実 E ではなく,以下のような単純な真実だと主張するかもしれない.

  • 真実 E2. 経済理論家は概念に関心がある.計算にはほとんど興味がない.
  • 真実 E3. 経済理論家は美しい技巧に関心がある.泥臭い技巧にはほとんど興味がない.

これらも上記の議論には矛盾はしないが,説明すべき事実にあまりに近すぎるので没とした.

蛇足.なんでも Ruby では for よりも each というのが愛用されるらしい.たとえば「ある配列 array = [a0, a1, ..., a99] のすべての要素について」とやるとき,普通のプログラミング言語なら for (int i=0; i<100; i=i+1) といった記述をする.「添字 i の値を 1 つずつ上げていって,i が 100 以上になったら止める」といった操作を具体的に指示するのだ.しかし数学で頻繁に現れる "for all i" とか "for each i" を書くとき,その添字 i をどういう順番で動かしていくかなんて操作は意識しないことが多い.Rubyist なら array.each {|a| ... } とやるだろう.「array のそれぞれの要素 a について」という感じだ.これって,抽象的というか高レベルな思考をそのまま表現できているわけで,なかなかすごい (べつに Ruby だけの特徴じゃないけど)!「計算より概念」の例になってるよね.

公理的方法を駆使する社会選択理論家のばあい,上記の経済理論家の傾向はより尖鋭的に現れる気がする.公理的方法は (意思決定) ルールにひじょうに抽象的に左翼的にアプローチする (ルールのみたすべき性質を列挙する) 一方で,ひじょうに具体的に右翼的にもアプローチする (与えられた性質を満たすようなルールを構築する).だから思考は偏らないはずだとも思えるんだが.抽象的なアプローチをできる能力を持っていても,それを発揮する必要はないからだ.しかし理論家はついついその能力を発揮してしまうのが現実なんだろう.ルール内部の仕組みや構造を理解しなくても,どういう性質を持つか理解できれば仕事の半分は片付いた気になってしまうとこがある.自分自身に対してはそうでなくても,ひとに教えるときはそれが当てはまりやすい.具体的な細かい話をするより,抽象的な話をして納得してもらったほうが簡単と思うわけだ.(もっとも経済理論家のばあい,ある性質をみたすルールの存在が分かれば,それが具体的にどんなルールであるかにはまったく関心をもたないと言えるかも.古典的な経済理論家のほうが尖端的か?)

文章が乱れまくっているので,読者はだんだんわけが分からなくなってきたことだろう.これはパクられないための配慮である.将来,これらの断片を経済学方法論と組織マネジメントにかんする革新的研究にまとめる予定だ (ウソ; ただし後者はべつに目新しくはない).ボクが IT 系 (オブジェクト指向って宗教系?) のこんな知識を仕入れているのは,単に失職に備えるためとか,Web サーフィンをしていたら運悪く関連ページが延々と続くページに引っかかってしまって中断できなくなったためといった消極的理由 (だけ) ではないのだ.オブジェクト指向を導入することにより公理的方法をアップデートしたうえで,あらためて社会科学的対象 (普通は社会現象という) にその方法を応用し,その応用プロセス自体をアップデートしたその方法で捉え直すという,壮大な積極的理由があるのだ.手法の開発,社会科学的対象へのその手法の応用,その応用 (これ自体は社会科学の実践) へその手法の応用…….なんだかすごいことになりそうだ…….などというと,ポストモダンが流行ったニューアカデミズム時代 (?) の論調を思い出すなあ.いや,ちっとも読んでないけど (笑).

要するにボクとしては,

「経済理論家というのは公理的方法を指向する伝統があって,
公理的方法はオブジェクト指向的で,
オブジェクト指向というのは MBA 教育にふさわしい」

という案配に議論を展開しようと思って書き始めたのだ.でも面倒くさくなってきたのでやめる (笑).以下は断片.

公理というのはオブジェクト (意思決定ルール) の中身を問題にせず,その性質 (パフォーマンス) を見る.

ここで MBA (経営学修士) にふさわしい人物像を探るヒントとして,システム開発の例を考えてみよう.ITpro のカリキュラム一覧で,「ITアーキテクトに必要な基礎を学ぶ17講座」と「ソフトウエア開発者になるための基礎知識」の二つを比較してもらいたい.(どうでもいいが,こういう eLearning サイトを見ると GSM なんかますます必要ない気がして来る.) 図式的にまとめると,顧客に近い上流工程のひとはシステムの性質というか,システムがどういう要求を満たすべきかに関心をもち (抽象的乃至公理的アプローチ左翼),マシンに近い下流工程のひとはその要求を具体的にどう実現するかに関心をもつ (構築的乃至公理的アプローチ右翼).前者の「高レベル」な役割はマネジメントに近いひとの仕事で,後者の「低レベル」な役割は末端のプログラマーの仕事ということになっている.分野を無視すれば,MBA が目指すべきモデルは前者よりもさらに上流であり,彼らはどう計算するかを悩むよりもだれに計算を任せるかを気にした方がいい.ただし計算結果の意味は分からないといけない.もちろん上流のひとは下流の仕事がすべて分かったうえで,上流にしかできない部分に集中するのが理想だ.それらを同時に実現する思考方法こそが,じつは左右両翼を持つ「公理的方法」なのである.

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【2007/08/24 17:17 】
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