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「モヒカン族」って,

ある種の特殊な髪形をした人々のことだと思ってた.そうじゃなかった.自分じゃん!

いや,ボクがモヒカン族かどうかはどうでもいい.(規格至上主義というのを除けば,書かれていることほぼすべてが当てはまるけど.「馴れ合いよりはむしろ殺伐とした議論を求める」とか,「言葉」を使うならあたりまえじゃないか? だって言葉って馴れ合いのための手段としてはあまり効率よくないだろ.それにしてもモヒカン族ってのは,経済学者とかアスペルガー症候群の傾向に近い気がする.)

ただ,大学というのは---こちらが病気になりそうなくらいどうしようもなく---「ムラ社会」だなと感じる.

このブログはモヒカン族を歓迎する.

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【2007/08/26 06:16 】
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経済理論家のカルチャー→公理的方法→オブジェクト指向→MBA

前回の記事で書いた経済学者と工学者のカルチャーのちがいはどこから来るのか.鍵になるのは以下の真実だ:

  • 真実 E. 経済理論家は各人が最適化した結果,社会がどうなるかに関心がある.どう最適化するかという問題自体にはほとんど興味がない.

「経済学者」がいつのまにか「経済理論家」になっていたり,横尾らの指摘とややずれる (最適化の結果,社会がどうなるかというのが均衡;経済学者が均衡に関心があるなら,その計算に関心を持ってもおかしくないはずだ) 問題は重要でないから無視する.

経済学者にもいろいろあるが,ミクロ理論,特に一般均衡理論の専門家は真実 E の傾向が強いはずだ.この分野の古典である Debreu (1959) Theory of Value: An Axiomatic Analysis of Economic Equilibrium に微分は出てこないことからも想像できるんじゃないかな---と最近の大学院生に言っても通じないかもしれないが,Mas-Colell et al. のテキスト出現以前は一般均衡理論の学習に欠かせない一冊だった.経済理論家は「最適化といった泥臭い研究はオペレーションズ・リサーチとか応用数学でやってくれ」と思っているふしがある.いわば「丸投げ」だ.

「丸投げ」ってのはオブジェクト指向的といえるかも.じつは「オブジェクト指向ってよくわからないんだが,対象物をブラックボックスとしてあつかえるのは,オブジェクト指向の特徴のひとつだろう.オブジェクトを呼び出す側は,それを使えればいいのであって,その内部の仕組みを理解している必要はない.

経済理論を構成しているひとつひとつの概念にたいする考察がまず重要だと経済理論家は考えるだろう.極端な言い方をすれば,「均衡を解明するようなテクニック (たとえばエッジワースボックスとかトポロジーとか) なら重要だが,最適化のための数学テクニック自体は他分野なり数値計算ソフトウエアなりに丸投げすればいい」と考えるのでは.で,初心者にトポロジーで教えるコストは高いので,ミクロ経済学を教えるときはエッジワースボックスで厚生経済学の第一命題を教えることになる.

補足.ひとによっては真の鍵は真実 E ではなく,以下のような単純な真実だと主張するかもしれない.

  • 真実 E2. 経済理論家は概念に関心がある.計算にはほとんど興味がない.
  • 真実 E3. 経済理論家は美しい技巧に関心がある.泥臭い技巧にはほとんど興味がない.

これらも上記の議論には矛盾はしないが,説明すべき事実にあまりに近すぎるので没とした.

蛇足.なんでも Ruby では for よりも each というのが愛用されるらしい.たとえば「ある配列 array = [a0, a1, ..., a99] のすべての要素について」とやるとき,普通のプログラミング言語なら for (int i=0; i<100; i=i+1) といった記述をする.「添字 i の値を 1 つずつ上げていって,i が 100 以上になったら止める」といった操作を具体的に指示するのだ.しかし数学で頻繁に現れる "for all i" とか "for each i" を書くとき,その添字 i をどういう順番で動かしていくかなんて操作は意識しないことが多い.Rubyist なら array.each {|a| ... } とやるだろう.「array のそれぞれの要素 a について」という感じだ.これって,抽象的というか高レベルな思考をそのまま表現できているわけで,なかなかすごい (べつに Ruby だけの特徴じゃないけど)!「計算より概念」の例になってるよね.

公理的方法を駆使する社会選択理論家のばあい,上記の経済理論家の傾向はより尖鋭的に現れる気がする.公理的方法は (意思決定) ルールにひじょうに抽象的に左翼的にアプローチする (ルールのみたすべき性質を列挙する) 一方で,ひじょうに具体的に右翼的にもアプローチする (与えられた性質を満たすようなルールを構築する).だから思考は偏らないはずだとも思えるんだが.抽象的なアプローチをできる能力を持っていても,それを発揮する必要はないからだ.しかし理論家はついついその能力を発揮してしまうのが現実なんだろう.ルール内部の仕組みや構造を理解しなくても,どういう性質を持つか理解できれば仕事の半分は片付いた気になってしまうとこがある.自分自身に対してはそうでなくても,ひとに教えるときはそれが当てはまりやすい.具体的な細かい話をするより,抽象的な話をして納得してもらったほうが簡単と思うわけだ.(もっとも経済理論家のばあい,ある性質をみたすルールの存在が分かれば,それが具体的にどんなルールであるかにはまったく関心をもたないと言えるかも.古典的な経済理論家のほうが尖端的か?)

文章が乱れまくっているので,読者はだんだんわけが分からなくなってきたことだろう.これはパクられないための配慮である.将来,これらの断片を経済学方法論と組織マネジメントにかんする革新的研究にまとめる予定だ (ウソ; ただし後者はべつに目新しくはない).ボクが IT 系 (オブジェクト指向って宗教系?) のこんな知識を仕入れているのは,単に失職に備えるためとか,Web サーフィンをしていたら運悪く関連ページが延々と続くページに引っかかってしまって中断できなくなったためといった消極的理由 (だけ) ではないのだ.オブジェクト指向を導入することにより公理的方法をアップデートしたうえで,あらためて社会科学的対象 (普通は社会現象という) にその方法を応用し,その応用プロセス自体をアップデートしたその方法で捉え直すという,壮大な積極的理由があるのだ.手法の開発,社会科学的対象へのその手法の応用,その応用 (これ自体は社会科学の実践) へその手法の応用…….なんだかすごいことになりそうだ…….などというと,ポストモダンが流行ったニューアカデミズム時代 (?) の論調を思い出すなあ.いや,ちっとも読んでないけど (笑).

要するにボクとしては,

「経済理論家というのは公理的方法を指向する伝統があって,
公理的方法はオブジェクト指向的で,
オブジェクト指向というのは MBA 教育にふさわしい」

という案配に議論を展開しようと思って書き始めたのだ.でも面倒くさくなってきたのでやめる (笑).以下は断片.

公理というのはオブジェクト (意思決定ルール) の中身を問題にせず,その性質 (パフォーマンス) を見る.

ここで MBA (経営学修士) にふさわしい人物像を探るヒントとして,システム開発の例を考えてみよう.ITpro のカリキュラム一覧で,「ITアーキテクトに必要な基礎を学ぶ17講座」と「ソフトウエア開発者になるための基礎知識」の二つを比較してもらいたい.(どうでもいいが,こういう eLearning サイトを見ると GSM なんかますます必要ない気がして来る.) 図式的にまとめると,顧客に近い上流工程のひとはシステムの性質というか,システムがどういう要求を満たすべきかに関心をもち (抽象的乃至公理的アプローチ左翼),マシンに近い下流工程のひとはその要求を具体的にどう実現するかに関心をもつ (構築的乃至公理的アプローチ右翼).前者の「高レベル」な役割はマネジメントに近いひとの仕事で,後者の「低レベル」な役割は末端のプログラマーの仕事ということになっている.分野を無視すれば,MBA が目指すべきモデルは前者よりもさらに上流であり,彼らはどう計算するかを悩むよりもだれに計算を任せるかを気にした方がいい.ただし計算結果の意味は分からないといけない.もちろん上流のひとは下流の仕事がすべて分かったうえで,上流にしかできない部分に集中するのが理想だ.それらを同時に実現する思考方法こそが,じつは左右両翼を持つ「公理的方法」なのである.

【2007/08/24 17:17 】
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ミクロ経済学をどう教えるか

大学は来年度の教養科目の担当者を決める時期だ.教養数学を担当する教員は,なぜか経済学部と法学部に皆無である (異常事態!) 一方,GSM には 3人もいる.教養科目をとる GSM 学生はゼロだが,できれば今後も教養教育への協力は続けていきたいものだ.その前提として,(法学部と経済学部がやっている) 夜間主の教養数学くらいは経済学部で担当すると期待したい.

補足.教養科目の受講生がゼロである GSM については特別の配慮をするというのは約束だ.実際問題として,(GSM の科目もほとんど夜間であることから) 夜間の科目を引き受けることはGSM の時間割編成への制約を著しく高めるので,できるだけ避けたい.経済学部には数学のできる教員は多いし,夜間主教養数学の開講は数年に一度だけなので,まさかやれとは言ってこないだろう.

上記の前提はクリアできたとして,教養数学の担当者を GSM からひとり選ぶためには,関連科目の担当も決めたほうがいい.そこで教養数学をローテーションして来た三人で意見交換した.担当自体はすぐ決まったが,議論はその他の科目,特に「経済分析」(はじめてのひとを対象にしたミクロ経済学) におよんだ.どういうレベルで教えるかである.

補足.内容についてはほぼ合意できている.部分均衡分析プラス一般均衡分析をもちいた標準的な価格理論だ.MBA プログラムだから組織経済学や Managerial Economics (ビジネス・エコノミクス) を重点的にやったほうがいいんじゃないかと個人的には思わなくもない.しかし,じっさいに取る学生がビジネス系は少ないことや,経済分析を要求する科目が価格理論を要求していることなどを考えると,それはむずかしい.満足できるような MBA 用の経済学の本はどれも分厚くて 2単位ではカバーできないという事情もある.自分が担当するとしたら,組織経済学を多少意識してシグナリングやエージェンシー理論といった情報経済学を一回入れるていどだろう.梶井の『戦略的思考の技術』も大部分は不完備情報の話だし,それが傾向というか現代職業人としての教養だろう.

具体的には,同僚の工学者のひとりが予算制約下の効用最大化をラグランジュ乗数法でやりたいという.彼がやる分には異論はないが,ボク自身はそういうテクニックに類することを教えるのは気が進まない.もっと直観的に

「無差別曲線の接線の法線ベクトル (効用関数がもっとも増加しやすい方向) が予算制約線と直交する.(無差別曲線の接線の法線ベクトルが予算制約線の法線ベクトルと同じ向き.) 要するに,予算線に沿ってどう移動しても効用の増加にはつながらない状態」

と言えば同じことだ.二次元の商品空間のグラフで説明すれば十分だと考える.もちろん経済学の科目が充実しているならば彼のように数学的にやりたいところだが,ミクロ経済学を2単位しか教えないという現実を前にすると,もっとほかに教えるべきことがあると思ってしまう.(経済学のプログラムを充実させる手もあるが,受講者が増えるとも思えない.じっさい過去二年の経済分析の受講者はほんの数名だった.)

補足.ほかにも同僚は自分の講義ノートで教えることにこだわりがある.自分の研究経験にもとづいて重要そうな知識を集めて,自分なりの教科書を作りたいそうだ.たいへんそうだ.経済学は既成のテキストを教えればいいと割り切る自分としてはすごいなと思うばかりだ.ただ,そのアプローチでは,現代の若手理論家はほとんど価格理論を教えないことにならないかなあ.研究で必要になる知識は,新たな研究の生産につながりやすい現時点での「限界生産性」の高い知識であって,学問体系から見て核心的知識とはかぎらないし.そういう注意は必要だろう.

ボク自身がテキストを用いるのは,学生に経済学者の書いたテキストを読んでもらいたいという思いもあるからだ.書物には講義ノートや講義では伝えられない思想---というか思考様式がある.数学ではそれらはそれほど重要ではないかもしれないが,経済学では重要だ.それらを学びとってもらいたい.数学が得意でない学生は「なにをやっているのか」を理解できてはじめて,数学モデルに進める.彼らが数学モデルからはじめても,式の展開に追われるばかりで,(式の展開を理解したら安心してしまい) 経済学的な内容が頭に入って来ないのがオチだろう.もちろん単位の制約を前提にした主張である.

さらに同僚は数学,経済分析,ゲーム理論,オペレーションズリサーチ,その他応用経済学科目といった,異なる科目で同じ話題を扱わないようにしたいともいう.しかしミクロ経済学のような抽象的な話は,何度もやってはじめて分かるものだ.(一年目「ミクロ経済学入門」で2単位,二年目「ミクロ経済学」で4単位,そして3年目「数理経済学」あるいは「一般均衡理論」で同じ話題を扱うというのが典型的な学部プログラムだろう.) 受講生が関連科目をほぼ完全にマスターしていたとしても,やる価値がある繰り返しは少なくない.ある程度の繰り返しは望ましいのだ.もちろん学期はじめの何時間もかけて復習ばかりやるというのは問題だけど,それぞれのトピックを始めるとき関連知識を手早く確認するくらいは積極的にやったほうがいい.学生はどうせ忘れているか,あるいは覚えていても,あらためて短時間でまとめたのを見ることにより理解が高まるはずだ.たとえば消費者選択からはじめてエッジワースボックスでの厚生経済学第一命題までを10分でやると,「とてもよく分かった」と感想をもらす学生がほとんどだ.弾力性にしても,なぜ傾きじゃダメなのか (単位に左右されるから) を指摘したうえで,パーセント変化分の比率を見ればその問題がおこらないという具合にもっていけば20秒でポイントは伝わる.ミクロ経済学のばあい細かい計算でなくて概念に集中すれば,一瞬で伝えられることが多い.計算にこだわるともちろん時間はかかるので,それには注意しなければならない.

こういった見解の相違は,個人的なものに過ぎないのかもしれないが,経済学者と工学者のちがいによるところも大きいだろう.たとえば『経済セミナー増刊 ゲーム理論プラス』(2007) で横尾真らは,経済学者 (ゲーム理論家だっけ?)と情報科学者のカルチャーのちがいを指摘している.経済理論家はナッシュ均衡の存在に関心をもち,情報科学研究者はナッシュ均衡の効率的な計算方法に関心を持つといったちがいだ.

哲学的な (?) 補足.たぶん経済学者は「概念的に言って,均衡というのは計算できる (べき) ものなのか?」と疑問を持つんじゃないか.均衡とは,ひとびとが状況の改善を求めていろいろ情報を集めいろいろ計算したところで改善が得られないような状態だと考えられる.定義を見ればだいたいそうなってる.計算の結果として求まる状態というより,いくら計算をやっても無駄な状態が均衡であると見るのが自然だろう.(もちろん理論家の観点からいえば均衡が計算できるのは望ましい.しかもゲームのプレーヤーはほかのプレーヤーの思考をシミュレートできるだけでなく,理論家の思考もシミュレートできると考えられる.そうするとプレーヤーが均衡を計算しようしていると理解しても的外れではないだろう.だから「概念的に言えば,だれも計算しようとはしていない」とは言わないことにする.)

計算がアルゴリズム的に簡単にできてしまうのは,(複雑さを無視すれば) 中央集権的な情報処理ができるということであり,分権的市場のモデルとしてはむしろ問題といえるかもしれない.均衡でない状態は「計算をうまくやれば離れたくなる状態」と言えるが,そういう計算・離脱を繰り返していればいずれ均衡に落ち着くというものではない.(クモの巣モデルを考えよ.) かりに落ち着くとしても,そこに至るステップ数が天文学的なものになるかもしれない.いや,そうであるべきと考えたほうがいいかもしれない.そこらへんは山勘が必ず当たるような計算機 (non-deterministic Turing machines) でも使って「うまく勘が当たればわりと簡単に計算できる」という具合にモデル化できるかもしれない.将来の研究者のための自由課題としておこう.

要するに,ある数学的概念があるからといって,それが (現実的に) 計算できると想定すべきではない.計算できると考えると,その概念の解釈に支障をもたらすことがあるのだ.

経済学者と工学者のこのカルチャーのちがいはどこから来るのか.鍵になるのは以下の真実だ.

つづく
【2007/08/23 17:11 】
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Ruby いいかも

オブジェクト指向言語 Ruby についてちょっと調べてみた.代表的なオブジェクト指向言語である Java とちがって,コンパイルなしで使えるのが魅力のひとつだ.(もっとも最近は掌田津耶乃の記事「コンパイル不要Javaの時代がやってくる!?」のような展開もあるみたいだけど.)

Ruby を使うと,プログラムが簡単になるとかいろいろいい点はあるようだ (熱烈な支持者が多いようなので,そちらを参照).プログラミング教育用なんかにもいいかも.試しに以前の記事「中学受験問題を無理やり解く」で書いたプログラムを Ruby 用に書き直してみた.(逆引きその他の参考書を引きつつ,文法知識ほぼゼロで作成.Java 用のファイルをもとにしたため,インデントにスペースとタブが混じるなどの不統一は残っている.) コードはアルゴリズムをほとんどそのまま書いた感じだ.

コードから分かるように,型を指定した変数宣言も不要.じつは上述の記事で java コードを書いたとき変数の型に関して問題が起こり,数値型を double にしたり long にしたりして問題を回避する必要があった.今回の ruby では,その種の問題は起きなかった.どうやら数値が大きくなったら,任意の長さの整数を扱える型に自動的に移るようだ.Ruby の紹介ではあまり強調されていないみたいだけど,個人的には重要なメリットと思う.

【2007/08/19 01:05 】
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Mac OS X で Octave を利用するもっとも簡単な方法

フリーの数値計算プログラム Octave は Matlab の代表的なクローンだ.Mac OS X で Octave を利用するためのもっとも簡単な方法を紹介する.

蛇足 1. 詳しくは知らないが統計分析にも利用できるらしい.「統計分析」の授業で使わされた SPSS を買えそうもないと思った GSM 学生も導入するといいかも.「微分積分と線形代数」「オペレーションズ・リサーチ」などの授業でも役に立つかもしれない.

蛇足 2. ボク自身は集中的な数値計算をすることはまずない.したがって Matlab も使ったことがない.いざとなれば汎用的な Mathematica を使えばいいと思っている (オープンソースじゃないプログラムは学術的にはちょっと問題があるが).今回 Matlab のクローンに興味を持ったのは,人助けがきっかけだ.線形代数のテキストを執筆している知り合いの数学者が,「計算が面倒でなかなか進まない」と言っていたためだ.「Mathematica でも使えば?」と聞くと,持ってないという.アカデミック版が20万円くらいだから高すぎないと思うなら買えばと伝えた.Maxima というフリーのもあるけど,表示を見やすくするには高度な知識がいるから,おいそれとは薦められないという事情もあった.

代替策もいくつか教えた.Excel のソルバ行列計算ライブラリを使う方法,JavaScript を使用して Web ブラウザで入力と計算をする方法など.特に後者は初心者にはいいんじゃないかと思ったが,なんせやれることが限定されている.(同様の情報は「excel 逆行列 固有値」「ソルバ」「ブラウザ」などのキーワードで検索できる.)

やっぱり行列計算だから Matlab クローンが向いてるだろうということで,Mac OS X にインストールする方法を調べてみた.これが予想通り面倒そう.たとえば FinkCommander を使ってインストールする方法はいけるんじゃないかと思ったが,すでに持っている pTeX や Ghostscript までインストールしようとするので止めた.(Fink のダウンロードMac OS X 10.4(Tiger) インストール覚え書きも参照.) もっともっと簡単な方法はないものか.探索の結果見つけたのがここで紹介する方法だ.これならその数学者にも自信をもって薦められる.

まず,こちらの数値計算プログラムの Mac OS X 用バイナリを置いたサイトからコンパイル済みのプログラムを入手する.画面上部の水色バーの Octave をクリックすれば該当場所に飛ぶ.

Intel Mac のばあい octave-intel-bin.tar.gz をクリックすると,ダウンロードしたファイルは勝手に解凍をはじめる (設定によるが).そのなかから octave-intel-bin.tarをホームフォルダに移して,他に作成されたファイルとフォルダは捨てる.

次に Terminal を起動して上のサイトに書いてある通り (ただしファイル名を修正) に
sudo tar -xvf octave-intel-bin.tar -C /
と入力すればインストールが始まり,1分以内に終了する.この時点で octave-intel-bin.tar は捨ててよい.

行列計算のやり方はたとえばこちらの操作例こちらのコマンド集を見れば十分だろう.さらに詳しくはこういうマニュアルもある.

とっても簡単!

【2007/08/05 05:50 】
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絞り出された問題教員

平成香川大学教員総合評価の問題点」で解説した教員評価の結果が出た.「改善を要する」とされる C 評価が総合評価で出たのは全学で 3 人しかいなかったらしい.医学部と地域マネジメント研究科にいたそうだ.後者にはうっかり提出しなかった (?) ボクもふくまれる.ひょっとして「提出すればだれでも B は確保できる」という我が指摘が,例外なく完璧に成立してしまったとか? (笑)

囚人のジレンマ構造ゆえに非提出者は限られるだろうことも以前指摘したが,ここまで徹底しているともう笑うしかない.わははははははははははははははははははははははははあはははっははははっはははっは.要するにこの教員評価というものは,研究とか教育とかを評価するものではなく,(くだらんペーパーワークをこなすといった) 理事の方針に従順に従えない教員を絞り出すシステムということになるだろう.それでもたしかに理事から見れば「改善を要する」のかもしれないが,従順になるように「改善」したところで本来の目的にはほとんど貢献しないだろう.

こういう評価はやるだけ時間と労力の無駄というわけだ.

多少予想外だったのは,圧倒的に A 評価の多い学部があったことだ (教育学部だって,うふっ).ほとんどの教員が B 評価になるように学部ごとに調整するかと思っていたんだが,教育学部は学部として当初想定した以上のパフォーマンスをしめした教員が多かったんだろうなぁ…….はじめから低めに基準を設けたというわけじゃあないだろうなぁ…….もちろん学部間の比較が目的ではないので,べつに圧倒的に C を出す学部とか圧倒的に A を出す学部があっても問題ないはずだが,なぜか大学はそれに文句を付けている.学部間比較は目的じゃあなかったんでは?

評価システムというのは,広い意味でボクの研究テーマでもある.専門家としてよりよい評価システムをデザインしてやってもいい気もするが,そのためにはコンサルタント料をたっぷりもらいたいものだ.その上でベストな評価システムとして「無評価法」でも提示しよう.どういうシステムか,それは秘密だけどね.

【2007/08/02 09:32 】
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女子学生を派遣してもらった

先週末ひさしぶりに外出したら体調が悪くなった.疲れが出たか冷房病にでもなったのかと思った.日曜月曜と下痢が続いてトイレに15回も行くは熱は出るはで,いくら胃腸の弱い自分でもひどすぎると思った.食中毒だったんだろうな.回転寿司の魚が生臭かったし.まともな仕事もできないので,病床でマネジメント研究科ケース教材のネタなんかを考えていた.

こういうときに備えてストックを蓄えてあるつもりだったが,食べようと思った「みろくプリン」も消費期限を一週間過ぎていた.この謎のプリンの味を知らずに捨てるのはしのびないが仕方ない.どうせ食欲もないし,悪い毒はさっさと身体から出してしまおうということで,山口産のストレートオレンジジュース一本500円弱とやらを何本もがぶがぶ飲んだ.

しかし飲んでは下痢,飲んでは下痢,……を繰り返しているとカラダもぐたぐたになってきた.食欲はほとんどないが,果物なら食べられそうだ.電話帳を開きながら,「食べて健康にならなきゃな.健康を運んで来てくれるのはどの業種だっけ…….医者の往診とか高そうだしなあ……」

女学院:はい.平成女学院大学学外インターンシップセンターです.

平凡助教授:平成香川大学の平凡助教授なんですけど,お宅で教授を募集していませんか?

女学院:はぁ?

平凡:いやぁ,ボクをイカせるにはなかなか技巧がいるんで,練習台になってビシビシ指導してやろうかと思って…….

女学院:男性の方なら,いまはドライバーしか募集してませんけど…….

平凡:あっ,分かってますよ.冗談です.気にしない気にしない.で,インターン学生をうちに派遣してもらいたいんですけど…….できれば平成香川大学の女子学生がいいんですが.あと,大学関係者だから学割効きますかねえ.

女学院:すみません,よその学校にも通っている女の子はいますけど,どこかまではうちでは把握してないんです.他大学にも通う女学院生という条件でよろしいでしょうか? それから,本当はお客様が学生でないとダメなんですけど,助教授さまということで特別サービスで学割にしておきますね.他になにかお好みはありますか?

平凡:いや,分からないならお宅の女学院生というだけで十分です.ただ,癒しが欲しいですね.

女学院:それでしたら,ちょうどいま待機してますよ.

平凡:単なる癒し系というだけじゃなくて,あのう,ナシを剥けるようなというか……なんというか.

女学院:……

平凡:いや,来る前にナシとかメロンとかブドウとか買って来てもらいたいんですが.で,来てくれたらナシを剥いて欲しいなと思って…….ヘンですかね.

女学院:あぁ,ぜんぜん平気ですよ.お買い物を頼まれるお客さまはときどきいらっしゃいますし.優良なお客さまが多いですよ.

ということで,ボクは文字通り癒し系デリヘル嬢に「癒し (healing)」と「健康 (health)」とを配達 (deliver) してもらったのであった.熱でえっちどころではなかったので下半身の方は求めなかった.だから高い買い物だとは思ったが,剥いてくれた「幸水」というナシがみずみずしくてすごくおいしかったから許す.

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この経験は GSM のケース教材に最適だろう.韓国ではなりたつ配達料理ビジネスを日本で成功させる方法を学生のみなさんに考えてもらいたい.病床にデリヘル嬢を呼ぶのはやっぱり懐が痛かったんで.

【2007/08/01 12:54 】
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さぬきうどんの小麦はオーストラリア産

と言ってもおもしろくもなんともないな.北海道のジンギスカン料理だってオーストラリア産のラムだ.おっと「ジンギスカン」だから北海道と関係なくていいのか…….いずれにせよあの国は日本と季節が逆なのによくやってくれている.さぬきうどんの原料としては,国産小麦はどうしてもオーストラリア産にかなわないらしい.

そこで疑問になるのはオーストラリア産を使わなかった昔はどうだったかだ.以下のどちらが正しいか?

  1. むかしの讃岐うどんはいまよりまずかった.
  2. むかしは香川でも現在のオーストラリア産と同じレベルの小麦が穫れた.しかし国内で生産するよりオーストラリアで生産するほうが安上がりになったから,国内で生産されなくなった.

答はとうぜん 1 なんだけど (いや,実のところはよく分からないが,そういうことにしておこう),重要なことはこの事実あるいは可能性のインプリケーションだ.いくら特定地域を重視するにしても,地元で調達しないのがベストなこともあるのだ.あたりまえの事実だが,わが大学の地域マネジメント研究科 (GSM) のスタンスに疑問を突きつけてはいないか.

【2007/08/01 11:48 】
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