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極大要素の存在: 美人ホールを求めて

(n+1) 個以上のモノを n 個の集合に入れると, 少なくともひとつの集合はそれらのモノを少なくとも2 個以上ふくむ.

これは数学や言語学でときどき出てくる原理です. (たとえば regular languages の理論の pumping lemma の証明などで使われる.) 「ひきだし論法」とか「部屋割り論法」とかも呼ばれるだって.「美人ホールの原理」とでも訳せば, すごくわかりやすいんですけどね.でも二つ以上(同時に)入れるのは困難か.

れ・イジュ, Pigeon-Hole Principle (鳩の巣の原理).

予告した「極大要素の存在: 消費者理論より簡単」からタイトルを変更した.「ベスト・エレメントの存在: 美人ホールを求めて」なども考えたがやめた.できれば締まりがいいほうがよいのだが,どれが締まりがいいだろう.

前回の記事「選好」では,日本語の文「その個人は選択肢 x を選択肢 y よりも好む」を xPy と記号化した.単に記号化しただけでは,もとの文の意味が抜け落ちてしまう.だから,意味を再現するために記号化されたものに改めて条件を課す必要が出て来る.選好 P にどんな条件を課せば,xPy という表現が「その個人は選択肢 x を選択肢 y よりも好む」という意味をじゅうぶん捉えることができるだろうか? 例として《推移性 (transitivity)》を考えてみる: 任意の選択肢 x, y, z について,「もし xPy と yPz が成り立てば,xPz が成り立つ」ことを要求するのだ.つまり「x が y より,そして y が z よりも好ましいのならば,x が z より好ましいと自動的に言えるよね」というわけだ.選好がたとえば推移的であると仮定するのは,たんに「より好む」という言葉の通常の意味を反映させることを超えて,その言葉の使い方をより限定・明確化しているとも言える.(「より好む」が推移性をみたさなくても平気でその言葉を使うひともいるだろうから.)「より好む」という言葉で x 対 y そして y 対 z を順序付けしておきながら x 対 z の順序付けができないことはその言葉の使い方としておかしいといっていることになるから.そうすることにより,その言葉を発する主体である個人の思考に一定のパタンを想定しているともいえる.

他の条件をふたつ挙げよう.たとえばある選択肢 x について,xPx が成立することを許せば「x を x よりも好む」ということになり,日本語の「よりも」という意味に反する.よって通常は「どんな選択肢 x についても,xPx は成り立たない」という《非反射性 (irreflexivity)》を仮定する.また,「どんな選択肢 x, y についても,xPy と yPx の両方が成り立つことはない」という《非対称性 (asymmetry)》を仮定することも多い.

だがここでは,推移性よりも弱い《非循環性 (acyclicity)》という条件を考えたい.これは「サイクルを作らない」という意味だ.たとえば選択肢 x, y, z があって xPy, yPz, zPx となっているとき,選択肢列 (x, y, z) は《サイクル》であるという.x が y より好きで y が z より好きなのに,z が x より好きと言っているわけで,いわば「より好き」の矢印が巡り巡ってもとに戻って来ているわけだ (円周上に x, y, z が並んで,x→y→z→x の矢印が連なっているのをイメージせよ).一般的には,P における《サイクル》とは (ある有限な数) k 個の選択肢の列 (x1, x2, ..., xk) であって,x1Px2, x2Px3, ..., xk-1Pxk, かつ xkPx1 となるものと定義される.そして,選好 P がいかなるサイクルもふくまないとき,P は《非循環的》という.(テキストによっては,P がいかなるサイクルもふくまないとき,R を非循環的と定義する.ただし xRy とは not yPx のことである.)

べつの言い方をすると,選好 P が《非循環的》であるとは,任意の選択肢 x1, x2, ..., xk について,もし x1Px2, x2Px3, ..., xk-1Pxk ならば,not xkPx1 となることである. サイクルには同じ選択肢が2回以上現れてもいいとする.選好 P が非循環的なとき,P は非反射的かつ非対称的である (練習問題).選好 P が非循環的なとき,R は完備性をみたす.すなわち任意の x, y について,xRy or yRx となる (練習問題).

選択肢の集合 S の「ベストな要素」とはなにか,きちんと定義しよう.ある選択肢の集合 S に属する選択肢 x が選好 P についての S の《極大要素》であるとは,yPx となるような S に属する選択肢 y が存在しないこと (言い換えれば,S の任意の要素 y にたいして,not yPx がなりたつ,すなわち xRy となること) である.x より好ましいものが存在しないというわけだ.x が P について (S の) 極大要素のとき,x は R について《最大要素》と言える; その理由は明らかだろう.

だいぶ前置きが長くなってしまった.アジェンダ S とは選択肢集合 X の任意の「有限な」部分集合だった.任意のアジェンダが「ベスト」な選択肢 (選好にかんする極大要素) を持つかどうかがわれわれの関心だった.じつは,「任意のアジェンダ S が P について極大要素を持つための必要十分条件は,P が非循環的なことである」という定理が成立する.

P が推移的で非対称的ならば,非循環的である (練習問題).したがって,P が推移的かつ非対称的であることは,任意のアジェンダ S が P について極大要素を持つための十分条件であるのがこの定理から分かる.

消費者理論における最大化の基礎を理解する (トポロジーの概念の理解が要求される) のにくらべれば,この定理の証明は簡単だ.アジェンダは選択対象を有限個しかもたないためだ.詳しくは説明しないが,「穴」(あるいは「巣箱」) に「豆」(あるいは「鳩」) を入れて行く,あの「鳩の巣原理」が暗躍しているのだ.

まず P の非循環性が必要条件であること,つまり「どんなアジェンダ S でも極大要素を持つならば,P が非循環的である」ことを,対偶である「P が非循環的でなければ,あるアジェンダ S は極大要素を持たない」を示すことにより証明しよう.P がサイクル (x1, x2, ..., xk) を持つとする.すると,x1Px2, x2Px3, ..., xk-1Pxk から,x1 だけが極大要素の候補として残る.ところが xkPx1 から,x1 も極大要素になり得ない.よって,集合 S={x1, x2, ..., xk} 上に極大要素は存在しない.

次に P の非循環性が十分条件であること,つまり「P が非循環的なら,かならず S は極大要素を持つ」ことの証明をスケッチしてみよう.これも対偶「ある S が極大要素を持たないならば,P は非循環的ではない」をしめすことにより証明する.S が極大要素を持たないとする.つまり,S のどんな要素 x にたいしても x より好ましい (S の) べつの要素 y が存在する (yPx となる).いま任意の要素 x1を固定すると,それより好ましい x2,さらにそれより好ましい x3,……という具合にずっと S に属する選択肢の列が続くはずである.ところが S には有限個しか選択肢がないので,これらのいくつかは重複しているはずだ.たとえば x3= x7 といった具合に.(S の要素それぞれにたいしてひとつづつ「穴」が用意されているとする.[少なくとも 3 つの「穴」をすぐ思いついてイメージが定まらない読者は,自分のいちばん好きな「穴」一種類だけをイメージせよ.] 1日目,2日目,3日目……とより美しい要素を求めつつ,ある「パイプ」をそれらの穴に毎日ひと「穴」づつ突っ込んで行くと考えれば,「美人ホールの原理」そのものだ! 何日目かのある日,じぶんが以前突っ込んだ穴に再び突っ込んでいるのに気づくはずだ.もし「以前」というのが第一日目であれば,まるで「しあわせの青い鳥」ではないか!) もしそうであるなら,(x6, x5, x4, x3) がサイクルになるため,P は非循環的ではない.

上記の証明を声に出し図に描き AV (オーディオ・ビジュアル) 化してみるといい.「ある有限集合上で極大要素が存在しないこと」と「選好がサイクルをふくむこと」との同値関係を直観的にイメージできるようになればしめたものである.もしどうしてもそれができなければ,社会選択理論を証明レベルまで理解する資質はなさそうだ.大学院レベルの経済理論を理解するのは,もっとたいへんかもしれない.

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【2006/09/25 02:34 】
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選好

前回の記事で消費者理論が出て来たので,それを一般化して個人選択・社会選択を語る準備をしよう.詳しい議論は (行頭を右にずらした) 段落引用形式で記述する.

選好にかんするこの記事では,ほとんどのテキストで触れられていない基礎的な事柄の説明に重点を置く.読者がこれまで引きずって来たであろう疑問を解消できれば幸いだ. 通常は弱選好 R から出発して,強選好 P などを定義することが多いが,ここでは強選好 P のほうから出発した.

この記事で出て来る《選好》という概念をきちんと学びたい方は,たとえば田中靖人のサイトにある『社会的選択理論の基礎』のセクション 1.1「個人の選好あるいは評価」 を見たあとに,次回の記事の議論と関係が深い『社会的選択理論の展開』セクション 1.1「非循環性について」にすすむといい.(細かいことを言えば,前者で Ri と Pi の定義における「非対称性」「対称性」のラベル,「[連結性] が成り立たないと意志決定はできない」というクレーム,推移性の定義で「異なる選択肢の組」としている点など,自分ならそうは書かない記述はある.)

ところで田中のサイトからは 360 ページを超える中級ミクロ経済学の本格的テキストもダウンロードできる.日本語でも学部レベルの本格的な経済学テキストが無料ダウンロードできる時代になったものだと感慨深い.(英語のばあい,たとえば Online Economics Textbooks からいろいろダウンロードできる.) もっとも,ミクロ経済学全体とはいわず部分的なテキストなら,たとえば西條辰義による厚生経済学をあつかったものがかなり以前から入手できた.

まずは中級ミクロ経済学を学んだひと向けに簡単に用語の対応関係をまとめておく.消費者は《個人》と,消費集合は《選択肢集合》と,予算集合は《アジェンダ (議題)》あるいは《予算集合》と,消費者の選好は個人の《選好》あるいは《選好関係》と言い換えられる.消費者理論では予算集合上で選好を最大化する (すなわちもっとも好まれる) 消費を選び,選択理論ではアジェンダ上で選好を最大化する選択肢を選ぶ.(「アジェンダ上で選好を最大化する」というのはやや略した表現で,より正確には「選好関係についてのアジェンダ上の極大要素を求める」と言う.)

消費者理論では,消費集合は二次元以上のユークリッド空間の一部であり,そこには無限個の要素がふくまれている.要素が無限個あるばあい,一般には最大化できるとは限らない.さいわい,いくつかの財の価格がゼロになる例外を除けば,予算集合が「コンパクト」なので,選好が「連続性」を満たせば最大化できる---といった議論が展開できる.厳密な理解のためには,「コンパクト」とか「連続性」といったトポロジーの概念を勉強する必要がある.

消費者理論に比べれば,古典的な選択理論の厳密な理解は簡単だ.その大きな理由は選択対象が有限個しかない状況を考えるためだ.ある個人がある《選択肢集合》X から選択する状況を考えよう.X というのはあくまでも可能な選択肢全体のあつまりであって,無限個の要素があってもかまわない.じっさいにその個人が直面するのはその X の中の一部をあつめた有限集合 S (《アジェンダ》とか《予算集合》と呼ばれる) である.有限集合というのは要素を有限個だけもつ集合だ.たとえば X がその個人の住む高松市にある食事のできる店すべてをふくむとしたら,S はその部分集合で,たとえばその個人が今晩食事をしたいと考える店の集まりである.今晩食事をしたいと考えるからには,もちろんその場所の存在は (食事をする時点までに) 知っている必要があるし,今晩休業していることが分かっている店は S から除かれているはずだ.

いま,「その個人は選択肢 x を選択肢 y よりも好む」という文を xPy と記号化しよう. (P はたぶん "prefer" の頭文字からきている.P の代わりに不等号に丸みを持たせたような記号を使うことも多い.テキストでよく Pi のように個人名を表すインデックス i がサブスクリプトになっているのは,複数の個人を区別するためである.ここでは個人をひとりだけ考えているので,サブスクリプトに個人名を表示する必要はない.) この P のことを《選好 (強選好,strict preference)》と呼ぶ.いや,P だけだと単に文字なので分かりにくいかな.○と △ という 2つの「入力欄」を備えた装置○P△ が選好だと考えると分かりやすいかもしれない.入力欄の ○ や △ のそれぞれに,具体的な値である「モンゴルの嵐 (で食べること)」(県病院前のジンギスカン料理店; a と表す) とか「慎太郎 (で食べること)」(法経地ローキャンパス斜め前のクジラ肉が食べられる土佐料理店; b と表す) とかを入力すれば,その装置は「真」(aPb は正しい; 簡単に aPb と書く) とか「偽」(aPb でない; not aPb と書く) とか出力してくれる.いうまでもなく 「aPb が正しい」とは,「その個人はモンゴルの嵐 (で食べること) を慎太郎 (で食べること) よりも好む」ことを言っている.

文字 x とか y を,○とか△ 同様,いまだ特定されていない選択肢を表す「変数」と見るならば,xPy の真偽は定まらない.x とか y を特定の値 (具体的な選択肢) にしたときはじめて xPy の真偽が定まる.このため xPy を P(x, y) などと書いて,P(x, y) が (x, y) の値に応じて T (真) あるいは F (偽) のいずれかをとる関数 (命題関数; 述語) P と見ることがある. (たとえば関数 f(x)=2x+3 が与えられているとする.単に f(x) と書いただけでは,変数 x が 2x+3 に変換される関数 f 自体を表しているのか,それとも 2 などの特定の値の x に対応する f(x) の値である f(2)=2*2+3=7 などを表しているのか区別がつかない.xPy あるいは P(x, y) という表現も同様の問題がある.) x, y が変数のときには xPy の真偽が定まらないはずなのに, xPy とだけ書くことで,P(x, y)=T となるような (x, y) たちを考えていることを表現することがある.これは f(x)=7 と書く方程式が x の取りうる値の集合 {2} を与えるようなもので,要するに xPy が真となるような (x, y) の集合を与えている.言い換えれば選好 P は集合 X の要素のペア (x, y) の集合と見なせる.

集合の言葉で言えば《選好》は X 上の二項関係である.不等号という (実数集合上の) 二項関係 ≧ が,任意の実数 r, r' について,r ≧ r' がなりたつのか成り立たないかを決定できることを思い出して欲しい.X 上の《二項関係》 P というのは,X の任意の要素 (つまり選択肢) x, y について,xPy が成り立つかどうかを決定する.言い換えれば,xPy が真であるようなペア (x, y) の集合を与えている.

xPy の否定,つまり「not xPy」は yRx と書くことが多い.R は《弱選好》と呼べる.(ふつうは R を「選好」,P を「強選好」などと呼ぶが,ここでは P を「選好」と読んだために,R に「選好」という同じ言葉を宛てることを避けた.R という記号は "preference relation" の Relation から来ているんだろう.) これは「選択肢 x を選択肢 y よりも好む」の否定だから「選択肢 x を選択肢 y よりも好むわけではない」つまり「選択肢 y を選択肢 x 以上に好む」の意味になる.経済学以前の話であるためか,選好についてはプロの経済学者でも意外と誤解が多い.消費者理論を勉強したことがある読者で関心がある方は,以下の箇条書き部分を読むといい.

  • よくあるのは,消費者理論で無差別曲線が右上がりになっている誤り.財が好ましい (選好が《単調性》をみたす: 多いほど望ましい) ときは,これは起こらない.
  • xRy を「x は y 以上に好まれる」と読むのはいいとして,xPy を「x は y よりもすごく好まれる」と読むひとがたまにいる.これはとりあえずまちがい.もし xPy をそう読むのならば,xRy は「y は x よりもすごく好まれるわけではない」つまり「x は y よりだいぶ悪いわけではない」「y は高々 x とそう変わらない」とでも読むべきだ.単調性を仮定するのも無理がある.ある財の量がちょっと増えたとたんに「すごく好まれる」ことになってしまうからだ.
  • xPy を「x は y よりも嫌われる」と読むのはどうだろう? じつは次回挙げる P についての性質のほとんど (推移性,非反射性,非対称性,非循環性) が自然に仮定できる.これらの性質をリストしただけの段階では,なんの問題もなく「x は y よりも嫌われる」という解釈が成り立つ.ただ,単調性を仮定した頃からやや状況は変わって来る.単調性はより多くを嫌うということになり,望ましくない財をあつかっていることを意味するようになる.より不自然なのは,P についての最大化を考えることであり,これはもっとも嫌う選択肢を探し求める個人,つまり「最悪化する個人」を想定することになってしまう.「最適化理論」ではなく「最悪化理論」をやっているという意識があれば,最初の読み方で問題ない.
  • 選好理論自体にかんする誤解ではないが,xPy を文「その個人は選択肢 x を選択肢 y よりも好む」によって定義しようとするひとがいる.しかしこれは定義になっていない.定義はきちんとした言語で行われるべきであり,いまのばあい定義に用いようとしている言語は数学である.日常言語による表現を数学の表現に置き換えてあいまいさを除きたい.そのために数理モデルを作っているのだ.(もっとも自然言語であっても,「個人 x は個人 y よりも先に生まれた」というような表現ならば x, y に具体的な個人を入れれば真偽が明確に定まる (命題になる) と考えられる.こういうばあいなら,xPy を「個人 x は個人 y よりも先に生まれた」で《定義する》と言ってよいだろう.)
  • それでは逆に,文「その個人は選択肢 x を選択肢 y よりも好む」が xPy という記号によって「定義されている」というのか? そういってもいいのかもしれないが,これは単に上の文が xPy という記号表現で置き換えられているだけのことであり,「定義」というよりは「名付け」「記号化」「翻訳」とでも呼べばいい.(逆に xPy を「その個人は選択肢 x を選択肢 y よりも好む」と「解釈する」とはいえる.) 選好を P に記号化 (P で定義?) するのであって,その P 自体は無定義概念である.一方,上述の R は,その無定義の P を使って定義できる (xRy を not yPx で定義すればいい).こちらの方はまちがいなく「定義」と言える.さらにいえば,xRy は「x を y 以上に好む」を記号化した表現だから,「x を y 以上に好む」は not yPx で「定義される」と言える.さらには,すでに「x を y よりも好む」が xPy に記号化されたという理解のもとであれば,「x を y 以上に好む」は「y を x よりも好むわけではない」によって「定義される」と言ってもよい.

極大要素の存在: 美人ホールを求めて」につづく

追記 (9/25/2006). 段落引用形式部分をかなり修正.

【2006/09/17 23:50 】
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評価額と支払い能力にかんする基礎論: ハーヴィッツの呪い?

ソロモン王のジレンマにかんする前回のエントリーで採り上げた三原論文について,「ECONO斬り!!」で若干の議論があった.「商品にたいする評価額 (価値付け) と資金制約 (支払い能力) は分離できるんじゃないか」という,(論文の価値に致命的にかかわるというよりは) 発展的な議論だ.そこで出てきたのが Yeon-Koo Che and Ian Gale, Standard Auctions with Financially Constrained Bidders (Review of Economic Studies, Vol. 65, No. 1 (Jan., 1998), pp. 1-21) という論文だ.(大学院生とちがって最新の事情に疎いので,ちがっているかも.) 評価額と資金制約とを分ける考え方をはじめて本格的にオークション理論に導入したペーパーのようだ.Introduction では資金制約を考えることの重要性がいくつか説かれている.

Che and Gale のペーパーは評価額と資金制約を分離できることを出発点としてオークションを考察したものであって,分離できること自体を説明したものではない.分離して考えてだいじょうぶなのかどうかはそのペーパーではよく分からない.一方では三原のように (分離できないとは言わないものの) 分離しないで考えるひと (あるいは資金制約自体を無視するひと) もいる.三原は「支払い能力を超える評価額というのは解釈上ありえない.よって資金制約は問題にならない」という極端な立場のようだ.どちらもじゅうぶんな説明があったとは言いがたいので,ここで両者の立場の「基礎論」を考えてみたい.「基礎論」とはいうものの,ここで展開するのは消費者理論の導入部に過ぎない簡単なものだ.

ふたつの「商品」を考える: 子供と「お金」だ.二次元空間を考え,横軸に子供の量 c を取る.いま考えているのは特定の子供なので,可能な量は 0 か 1 しかない.(子供に価格がついたりするのが分かりにくい読者は,ネコの子供でも考えてくれ.) いいかえれば c は集合 {0, 1} に属する.その消費者にとって,その子供は持たないより持つほうが望ましいとする.縦軸には「お金」m を取る.これは経済学で「ニューメレール」と呼ばれる合成財であり,ここでは「来期以降」(将来) の消費に回すため今日残すお金と考えよう.「お金」の残高が高いほど将来消費がたくさんできるので効用が高まる.借り (マイナスの残高) が大きいほど将来の消費が減るので効用が下がる.点 (c, m) の集まりは,二次元空間の一部を形成する.

消費者の選好は「消費集合」上で定義される.では,「消費集合」をどう考えるべきだろうか? いくつか考え方がある:

  1. 消費集合を {0, 1}×(-∞, +∞) とする.つまり m を任意の実数とする.これは特に準線形 (quasilinear) 効用関数を考えるときには標準的な仮定だ.(ここではそうしないが,じつは m を「ニューメレール」と呼ぶ場合,準線形の効用関数を前提にしているのがふつう.)
  2. 消費集合を {0, 1}×[-B, +∞) とする.つまり m を少なくとも -B 以上の実数とする.ただし B は借り入れられる資金の限界よりも大きな非負の実数である.
  3. 消費集合を {0, 1}×[-b, +∞) とする.つまり m を少なくとも -b 以上の実数とする.ただし b は借り入れられる資金の限界を表す非負の実数である.

初期保有 (現在持っている財の量の組合せ) は点 (0, w) とする.つまり,子供は持たないが「お金」を w だけ保有している状態だ.この点は「現状」であり,可能な消費量の組合せなので,とうぜん消費集合上にある.

「この子供にたいするこの消費者の評価額は v である」,つまり「この消費者がこの子供を v だけ評価する」とは,初期保有 (0, w) と (1, w-v) とが無差別 (同じ効用) ということと理解できる.その子供を獲得するために,お金を v までなら取り崩しても構わないというわけだ.ひとつの問題は,点 (1, w-v) が消費集合上にあるかどうかだ.異論も多少あるかもしれないが,「選好は消費集合上で定義される」ということを受け入れれば,とうぜん (1, w-v) も消費集合上にあると考えられる.初期保有との比較ができている以上,その点は消費集合上にあると考えられるわけだ. (1, w-v) が消費集合上にあるとなれば,上記 3 の消費集合を考えたばあい,w-v ≧ -b つまり v ≦ w+b となり,評価額 v は得られる資金 w+ b に自動的に収まることになる.この消費集合は三原の解釈をサポートする一方,Che and Gale 流の評価額と資金制約の分離はサポートしない.

それでは消費集合 1 または 2 ならどうか.ここで「消費集合」の解釈を思い出そう.ボクがまず思い出すのは,ハーヴィッツ (Leonid Hurwicz; メカニズム・デザインの創始者) が授業のときに言っていた解釈だ.彼によれば,消費集合に属する点はいずれもその消費者が生きて行けるようなものでなければならないという.上記 1または 2 の消費集合を考えた場合,消費集合上にありながら,-b の水平線より下の点,すなわち借り入れオーバーの点が存在する.これら借り入れオーバーの,ありえない組合せは,(若干論理のギャップはあるかもしれないが)「生きて行けない」と言っていいのでないか.よってこれらの消費集合を考えることは不適切となる.Che and Gale 流の評価額と資金制約の分離はサポートできないことになる.

ハーヴィッツの解釈の「呪い」に取り憑かれた「ハーヴィッツの捕囚」であることを止めなければ,Che and Gale に希望はない.ここでボクが思い出すのがオーディシュック (Peter C. Ordeshook; 実証政治理論の大物) の授業だ.彼はあるゲーム (正確にはゲームフォーム) を黒板に描くときに, 表の中に "death" (死) と書き込んだのだ! 「死」というのは,まさに生きて行けない状況だ.しかしたしかに考えることはできる.消費集合で言えば,生きて行けないような消費点を考えること自体にそれほど問題ないかもしれない.以下ではこの極端な立場をやや弱めた立場を取る.すなわち消費者自身は (1, w-v) で生きて行けると思っているが,それを実現するほどの借り入れはできない状況を考える.そういう状況を考えることはできるという立場を取る.「主観的には生きて行けるが客観的には生きて行けない (ありえない) 状況」と言えるかもしれない.図はこの状況を描いたものだ.

solomon0609.jpg

極端に借り入れが大きい状況は主観的にも死を意味するので消費集合から除かれる.それが借り入れが B を超える部分 (-B の水平線より下の部分) だ.一方で,この消費者は主観的には (1, w-v) で生きて行けるので,w-v ≧ -B,つまりその点が -B の水平線以上の位置にあることになる.他方, (1, w-v) が -b より下にあるのは,借り入れがオーバーしている「客観的に死んだ」状況だ.初期保有点,そして (1, -b) と (1, w) を結ぶ線分が赤くなっているのはオファーカーブ (価格をいろいろ変えていったときの,最適消費点の軌跡) を表している.(以下,ネコの子供であったとしても,特定のネコに価格がつくのは納得がいかない読者もいるだろうが,そこは我慢してもらう.) 子供の価格がなんであれ,価格線 (予算制約線) は初期保有点を通ることに注意して欲しい.価格が 0 ならば (1, w) を消費者は選ぶだろう.価格がゼロから上がるにつれて,(1, w) と (1, -b) を結ぶ線分と価格線の交点で与えられる最適点は下がって行く.価格が w+b に一致したとき最適点は (1, -b) となる.価格がそれを超えれば,借り入れ限度額 b を超えるため c=1 上の点を選ぶことはできない.よってc=0 上かつ予算線上で最も望ましい初期保有 (0, w) を選ぶことになる.図は価格が評価額 v に一致したときの価格線を描いたもので,青緑に塗った部分は c の値が 0 か 1 しかありえないことを無視したときの予算集合である.言い換えれば -b は予算集合の最低ラインを表していると考えられる.

いま,図よりも傾きの絶対値がやや小さな予算線を考えると,それは価格が評価額 v よりもやや小さい状況に対応する.子供は評価額以下なのに,手に入れるためには限度額 b を超える借り入れをしなければならないため,じっさいには手に入れられない状況を表現している.Che and Gale 流の評価額と資金制約の分離が実現したと言えるだろう.

まとめると,消費集合 1 と 2, 特に 2 は Che and Gale の分離をサポートする.その際,消費集合上の点は客観的生存を要求するという解釈は取らない.一方,消費集合 3 は三原の解釈をサポートすることになる.w+b という資金制約に直面する合理的な消費者が,その制約を超えた評価額 v をつけるものかどうか. Che and Gale のように,明確に yes と言えるだろうか? (彼らの挙げた例のひとつである購買担当部署に部外から予算を割り当てるような状況ならほぼ明確に yes と言えるかもしれない.しかし,ソロモンに訴え出たふたりの女のような,生存が問題になりそうな状況はどうだろうなあ.)

追記 (4/14/2007). 「林貴志『ミクロ経済学』」という紹介記事も参照.その本では,準線形選好の議論がすっきりと展開されている.

【2006/09/15 14:42 】
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ソロモン王のジレンマはセカンドプライス・オークションで解決できるじゃないか!

ソロモン王のジレンマ (King Solomon's dilemma)」という非分割財配分の有名な問題にたいする最新の解決法を紹介する.(この文章のために敷かれた伏線を知りたい方は以前の記事から遡ってもらいたい.)

まず,問題を記述しよう.ある赤ん坊を自分の子供であると主張しているふたりの女がいる.ソロモン王は本物の母親にその子を渡したい.女たちはその子供にたいしてある「評価額」 (その子を獲得するためにぎりぎり払っていい値段) を持っており,真の母親による評価額の方がもう一方の女による評価額よりもすくなくともδ>0 だけ高い.この一定のギャップがあることはソロモンをふくめて皆の知るところだ.女たちは子供にたいする自分の評価額は知っているが,相手の評価額は知らない.しかし,じぶんが本当の母親であるかどうか---いいかえれば自分の評価額が相手のより高いかどうか---は知っている.

セカンドプライスであれなんであれ,オークションをやってその子を買ってもらうというやり方ではダメである.ソロモン王の目標は,お金の受け渡しをせずに真の母親に子供を渡すことにあるからだ.

何人かのメカニズム・デザイナーがこの問題を解決するメカニズム (「ゲームフォーム」とも呼ばれるルール・手順) を提示している.(ここでは女性たちは互いの評価額を知らないと仮定している.互いの評価額を知っていると仮定した初期の研究については,別記事最終段落を参照.) Perry and Reny (1999) は以前の記事に出て来た second-price all-pay auction をもとにしつつ,「やっぱりやめた」と降りることができる権利 (ex post option to quit) を獲得者に認めるというメカニズムを提示した.Olszewski (2003) はセカンドプライス・オークションをもとにしつつ,ソロモン側から両方の女性へ追加的な支払いをするメカニズムを提示した.(前述記事の意地悪セカンドプライス・オークションでは,相手の入札額を追加的に支払うようになっている.一方,Olszewski では,相手の入札額を追加的に受け取った上で一定の参加費を取られる.これによって,そのオークションは評価額の低い女性にとって有利になっている.ヘンなオークションであることに変わりはない.) おっと,そのオークションの前段階として,そのオークションを実際に行うかどうかを決めるステージもある.いずれもかなり洗練された,手の込んだメカニズムだ.ほかにもこの問題に限らず扱える,つぶしのきく一般的メカニズムもあるが,いずれもかなり複雑だ.

しかし,そんなに手の込んだ方法が必要だろうか? そんなにヘンなオークションにもとづいたメカニズムじゃないとうまくいかないのだろうか? 3000 年間人類を悩ませ続けてきた (わけじゃないだろうなあ,ソロモンは一瞬で答え出したし) この問題に,恐るべき単純な解決法を与えたのが H. Reiju Mihara の以下のワーキングペーパーだ:
The second-price auction solves King Solomon's dilemma.

ちなみに「三原麗珠」というこの著者の名前に心当たりのある読者は少なくないだろう.このブログのモデルのひとりと考えられているためだ.実際ボクがこの著者のことを一人称で語るのは構わないという協定があるので,過去そのように語ったことがあるし以下でもそう語る部分がある.なんのまちがいか,18世紀のコンドルセとボルダそして 20 世紀真ん中のアローとともに (もうだいぶ以前にある科学教育サイトで) 名前を挙げられたことのある投票理論家 Mihara だが,今回は紀元前 900 年代に活躍したソロモン王のジレンマにたいする解答を,3000 年の歴史を超えて与えてくれたわけだ.その解決法の凄さは,中国?千年の歴史を結実して生まれたというインスタント・ラーメンの凄さにも迫るものがある.

こんなふうに書くと,三原はだれからも注目されない 3000 年前のどうでもいいことの訓古学的研究をやっているつまらない学者と思うひねくれた読者もいるだろうが,それはボクの本意ではない.すくなくとも社会選択 (三原の専門分野) あるいはメカニズム・デザイン (今回のペーパーの分野) という分野は最新の政治理論やコンピュータ・サイエンスにも注目されている先端的研究分野であることは指摘しておく.

三原のメカニズムもセカンドプライス・オークションにもとづく.ただし各女性から一定の参加費 (participation fee, entry fee) である δ を取るというところがちがう.もちろんオークションに参加したくない女性は参加しなくていいが,その場合は子供はもらえない.これだけだ.(よってタイトルを "The second-price auction with an entry fee solves King Solomon's dilemma " とでもすればずっと正確だ.) (ヘンなオークション方式に依存している) 先行研究にみられたような巧妙さ (ingenuity) もなにもあったものではない.Lack of ingenuity こそが,このメカニズムの最大の特徴とも言える.どうしてこれでうまくいくのか説明してみよう

セカンドプライス・オークション (第二価格秘密入札) でこの問題を解こうとすればどうなるかを,まず考えてみよう.それぞれの女性は,その子供にたいする評価額をそのまま入札することになる.(そうするのが弱支配戦略---つまりつねに最適---であることは,第二価格秘密入札にかんする理論を参照.) 真の母親 i は偽母親 j の入札した「第二価格」vj だけを払えばいいので,自分の評価額 vi との差額である vi-vj が「余剰」となる.したがって,その余剰未満である δ だけをソロモンが吸い取っても (参加費として支払いを要求しても) 母親はオークションに参加しようとするだろう.一方,オークションで子供を獲得できる見込みのない偽の母親の方は,参加費を払わなければならないならオークションに参加しないことを望むだろう.けっきょく「参加費を取るぞ」と「脅し」を与えるだけで真の母親だけが参加表明をすることになり,実際はオークションをわざわざ実行するまでもなく子供を真の母親に渡すことができるわけだ.ここで効いているのは,自分が真の母親であるかどうかをそれぞれの女性が知っているという仮定であるのはいうまでもない.本当はだれがどれだけの情報を持っているかを明確にした注意深い議論が必要だが,いずれにせよ単純な論理であることは分かるだろう.

特に数理系の人間は,「なんだ,そんなんで論文になるのか? だから経済理論はレベルが低い」と思ってしまうかもしれない.じっさい,ボクもこの著者からこのアイディアをはじめて聞いたときは,このブログで披露すればじゅうぶんだと思っていた.著者自身,「これほど自明な結果を論文にするのは初めてだ」と言いつつ,過去最短の時間でペーパーにまとめたようだ.しかし,できあがった結果は論文としてじゅうぶん整った形になっているし,どうして Olszewski らのメカニズムでは満足できないかについてもかなり説得的な議論が展開されている.そしてもちろん最大の強みは提案されたメカニズムの単純さ,lack of ingenuity にある.「そんな単純なアイディアで論文になるのか?」という疑問に直接答える代わりに,「そんな単純なアイディアだから論文になる」とだけ宣言してはぐらかしておこう.(これが真の答になっていないことは,ボク自身気が狂いそうなほど複雑なアイディアで論文を書いたことがあるから分かっている.) あとはどこのジャーナルが論文として認めるかの問題だ.

ところで,大学キャンパスでの駐車場配分について,以前,以下のように書いたことがある:

「クルマを所有する大学職員を貧乏人扱いする必要はない.カネを使えよ! 大学周辺の駐車場の 1.1 倍くらいの値段にすれば,多くの申請者は脱落するはずだ.いや,0.7 倍くらいでもかなり脱落するだろう.オークション方式でもいいかもしれない.」

上記のメカニズムを複数の「子供」(駐車スペース) をあつかえるように拡張すれば使えるかもしれない.じっさい Mihara のペーパーでは,n 人の個人なかの k 人に k 個の同一オブジェクトを配分する一般化された問題をあつかっている.駐車スペースにたいする自分の評価額がどのあたりにランクされるかは最初のうちは分からないにせよ,数回試行を重ねればだいたい分かるようになるだろう. (じっさいは自分が上から k 位内に入るかどうかが分かればじゅうぶんなはずだ.上記ペーパーは先行論文につられて上位 k 人がだれであるかをすべての個人が知っていることを要求しているが,たぶんそこまで要求しなくてもいいはず.) ただしメカニズムをデザインする方にとって,駐車場を強く欲しているグループと弱く欲しているグループの評価額の間に,δにあたる適当なギャップを見つけることは簡単ではないかもしれない.参加費であるδが小さすぎると,弱グループの参加をじゅうぶん排除できないかもしれない.参加費が高すぎると,今度はそのメカニズムにたいする学内の反対が強まって導入がむずかしくなるだろう.しかしこのメカニズムが仮にうまくいかなかったとしても,結果はオークションが実行されるだけのことだ.もともと自分は価格をもちいた解決でいいと言ってきた.非獲得者が参加費を払わなければならないという詳細のちがいはあるが,自分としては「失敗」じゃないのだ.

いうまでもなく,この参加費δはこの方式の提案者に支払うのが自分的には最適だ.法経地ローのキャンパス (どうでもいいが,五十音順に「経地法ロー」としたほうがかっこいいぞ) で得た収入だからといって,それをそれらの学部 (プラス専門職大学院) に還元しようとするとまたインセンティブにゆがみが出て来るからだ.あるいは,得た収入を別キャンパスの駐車場整備に使うということでも,参加者にとって得るところはないのでうまくいく.そちらをお好みだろうか?

他にも駐車スペースの数 k は実際は固定されているわけではなく,あるていど柔軟性があるソフトなものであることなど,いろいろと検討すべき課題はあるだろう.ただ,現段階でひとつ判明したことがある.「香川大学ビジネススクール要覧」というパンフレットで語られた三原麗珠の抱負がウソではなかったということだ:

「今後は大学や企業をはじめとする組織で起こる身近な配分問題をヒントにした理論研究に着手したい.もちろん最新の学問水準を保ちながら (あるいは押し上げながら) 研究をすすめ,なによりも経済学の発展に貢献したい.ついでに実務上の問題解決にも少し貢献できたら言うことはない.」

この抱負はビジネススクールに参加する一員としての行儀の良さを装った冗談とばかり思っていた.研究を捨てたわけではないというのは理解できるとしても,「身近な」「実務上の」などの言葉を用いるのはやり過ぎだと考えていた.しかし三原自身は地道にまじめにその抱負を実行に移したようだ.ビジネススクールに参加する教員の模範といってよいだろう.香川大学栄誉賞でも贈呈してはどうだろう.賞品はソロモン王にちなんで多数の「オンナ」にするのが適当だ.もちろん「平凡助教授の高い評価を得た」というのが表彰理由であるべきであり,プレスリリースにこの記事へのリンクを入れるべきであることは当然である.

追記 (三原麗珠からの投稿, 9/6/2006).

さて,平凡助教授による大げさな宣伝があったためか,若干の反響があった.宣伝が宣伝だったので,もしかすると匿名掲示板あたりで叩かれているのかもしれないが,そちらはチェックしていない.ここでは yyasuda の指摘へのリプライを補足する.(それにしても引っ越しの最中で忙しいなかペーパーにコメントしてくれた yyasuda さんにせよ,ボクのコメントにコメントしてくれたふっひーとさんにせよ,はるばる米国から賢いひとたちが出て来てくれたもんだ.ところでボクはメカニズム・デザインはもとより,非協力ゲームでペーパーを発表するのははじめてなんですよ.ノビスなんで,お手柔らかに.あと,ボクはおふたりを指導する立場にあったことはないんで「先生」とよばれてもなあ~.ま,たしかに同僚でも「先生」と呼んで来ることはあるんで分かるけど,研究者同士だから「三原さん」「麗珠さん」でじゅうぶん!)

ひとつ目の指摘は予想内のものだった.ボクの提示したメカニズム (参加費用つき自由参加型セカンドプライスオークション) が,完備情報のケースの解決として提示された Moore らのメカニズムに似ているというものだ.これは「言われてみればたしかに自明だが,思いつくのはかならずしも自明ではない」例といえないだろうか.似ているとされたメカニズムが発表されたのは 1992 年とか 1989 年の話だ.その後不完備情報ケースの解決として Perry and Reny が出版されたのが 1999年で,Olszewski は 2003年だ.これらはいずれも Moore らのペーパーを参照している.もし Moore らのメカニズムを知っているひとのかなりがボクのメカニズムをすぐ思いつくくらい似ていたとしたら,Perry and Reny にせよ,Olszewski にせよ,なぜわざわざ複雑なメカニズムを提示するのか説明があってもよさそうだ (レフェリーも指摘するだろうし).「ひとつの解決法としてアホでも思いつく単純な《参加費用つき自由参加型セカンドプライスオークション》があって,われわれとおなじ遂行概念で行ける.しかし,それはこうこうこういった欠点を持つ.そこでここではその克服としてこうこうこういうメカニズムを提示したい.結果としてメカニズムは少々複雑になるがそこは我慢してくれ」と.しかし,その種の正当化は彼らのパーパーには見当たらない.自明すぎて見落とされていた可能性が高いと思って,敢えてペーパーにしてみた.

二つ目の指摘は予想外だった.Olszewski のメカニズムでボクが欠点とみなしたことが,見方を変えれば長所とみなせるというものだ.これは Olszewski のメカニズムとボクの提示したメカニズムを比較するセクションである Discussion に出て来る話だ.現バージョンのそのセクションには,「全体的に見てボクのメカニズムのほうが優れている」という結論は書かれていない (読めばそう思うだろうが主張はしていない).あくまでもいくつかの個別の側面について,それぞれのメカニズムの特徴を「客観的に」リストしたつもりだ.Olszewski のメカニズムに長所があるなら,また,ボクのメカニズムに短所があるなら,書くのはまったく問題ない.ただ,短所とされたことというのが,参加者から (明示されていない支払い能力を超えて) お金を取る可能性を排除していないことなのだ.明示していないんだから「支払い能力は制約にならないと仮定している」といえば済むかもしれない. [しかしそんな仮定をしなくても,(参加費が特に大きくない限り) 支払い能力を超えてお金を取られる可能性は「評価額」の解釈上ありえないというのがボクの立場だ.起こりえない問題だから書かないほうがいいと現段階では考えている.(この角括弧内の説明は「評価額と支払い能力にかんする基礎論: ハーヴィッツの呪い?」を参照.)] ただ,指摘自体は新たな視点から問題を考え直すことを示唆していておもしろい.

他分野のひとに言わせれば,ボクが社会選択で書いて来たペーパーはむずかしいと言われることが多かった.それは多くの読者になじみのない問題をあつかっているためであり,ボクの書き方が悪いためではないはずだ.(たとえば投稿して蹴られる場合,レフェリーに well-written と言われた上で蹴られることが多い.もっとも,それだと書き方は上手だが内容がないみたいに聞こえてしまうが.) 今回はわりと有名でやさしい問題をあつかったため (学部授業の副読本にでも使えるかも),すぐ読者が現れたうえ,ありがたいことにラィティングが悪いわけでないことを指摘してくれた.(光栄ですよ,yyasuda さん!)

「論文自体は簡潔で非常に読みやすく大変勉強になりました。本稿のように大きいテーマについて書かれた論文は読んでいても楽しいですね♪」(yyasuda)

参考文献

H. Reiju Mihara. The second-price auction solves King Solomon's dilemma. August 2006. [教材としてもバシバシご利用ください]

追記 (7/19/2011).

「あとはどこのジャーナルが論文として認めるかの問題だ」と書いたが,その解答が出た:

H. Reiju Mihara. The second-price auction solves King Solomon's dilemma. Japanese Economic Review, 2011, doi: 10.1111/j.1468-5876.2011.00543.x

より新しい無料バージョンがあるため,上記「参考文献」に挙げた古いバージョンは取り消し線で消した.

YouTube の解説ビデオもある.

【2006/09/03 00:31 】
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