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自分のタイプを知るのにコストがかかる "multi-party computation games"

ある学部が新しい教員を採用しようとしているとする.論文リストなどにもとづく前段階の評価で,候補者はふたりに絞られた.5人からなる採用委員会の過半数3人以上が支持する候補者が選出されるとする.各委員は絞られたふたりの候補者の提出論文を読むように言われた.提出論文を丁寧に読むのは面倒だ! しかし,この学部にふさわしい優秀な候補者を選ぶという目的は委員に共有されているはずだ.そうならば,自分ひとりがいい加減な評価を下したところで影響はないだろう.つまりほかの委員の努力にただ乗りすればいい.みんながそう考えた結果,論文リストはすばらしいが論文の中身はあまりない,見かけ倒しの候補者が選ばれてしまった!

このシチュエーションは,以下のペーパーが "multi-party computation games" (複数関係者計算ゲーム) とよぶ状況の例である.(著者らの要約が,関連分野の研究者も見落としてしまいそうな要約になっているのが少し難点.)

Rann Smorodinsky and Moshe Tennenholtz, Overcoming free riding in multi-party computations--The anonymous case, Games and Economic Behavior, Volume 55, 2006, Pages 385-406.

社会選択やメカニズムデザインのありがちな設定では,各人はタイプ (通常は選好) を持っていて (かつはじめからそれを知っている),自分のタイプから見て望ましい結果を実現しようと躍起になるのが普通だ.ところが multi-party computation game では結果の望ましさにたいする意見の対立が問題ではない.(その意味では「正しい」選択肢を選ぼうとする「コンドルセの陪審定理」の状況に似ている.) それ以前の段階ともいえるかもしれない,自分のタイプを知るためにコストがかかるところがポイントだ.(上の例で委員のタイプは,残りの候補者ふたりのどちらを支持するかという選好をふくむ.) どういうふうにルールをつくれば,各人がそのコストを自発的に支払ってまでも自分のタイプを知ろうとするようにできるか,というのが問題だ.この種の状況は分散型計算 (distributed computing) ではありがちなものらしく,このペーパーはまちがいなくコンピュータサイエンスの影響を強く受けている.

教員採用の例に戻ろう.いま,論文を読むコストの低い3人から意見が集まったとする.どちらの候補者が望ましいかについて,もしこの3人の意見が一致していれば,この段階で決定を下すことができる.ほかの2人の意見は少数というわけで,彼らに論文を読むための努力をしてもらう必要はもはやない.たが,もし最初の3人の意見が一致していなければ,残りの2人の委員の意見が重要になって来る.この段階で意見を求められた委員は,いっせいに5人の委員に意見を聞かれた状況に比べて,自分の意見が結果を大きく左右することが分かる.一歩すすめて,たとえば 4人目の委員の意見を聞いた結果,支持する候補者が2対2に分かれた状況を考えよう.この状況では5人目の委員の意見によって採用者が決まる (その委員が pivotal になっている) ということだから,その委員はきちんと論文を読むインセンティブが高まる.

このように自分のタイプを知るためのコストが低い委員から順に意見を求めて行く方式は,ある望ましい性質を持ってるようだ.この方式のバリエーションとして,たとえば

  • どういう順序で意見を集めるか (たとえば3人の委員からの意見がすでに集まったとして,次に4人目の意見を求めるときに誰に聞くか),
  • どういう情報を伝えるか (たとえば3人の委員からの意見がすでに集まったとして,次に4人目の意見を求めるときに,それまでの集計結果をどのように伝えるべきか)

をいろいろ変えたルールを考えることもできるわけだ.

このペーパーのあつかう状況はいろいろな分野と関係ありそうだ.参照したペーパーの Section 4 にも関連文献がかなり挙げられている.

Multi-party computation games の変種としては,各エージョンが他のエージェントには計算結果を知らせずに自分だけ計算結果を知りたい状況や,自分のタイプをほかのエージェントに漏らすことなく計算結果だけ知りたい状況などがあるようだ.(たとえばテレビスタジオに集まった女子大生のなかの非処女の数を集計して掲示するシステムは,どの子が非処女か本人たちや視聴者には分からないようになっていたなあ.ああいう感じか.ま,全員が非処女ボタンを押せば分かるから,それを期待しつつ見ていた記憶がある.もっとも本人の申告による情報だから過剰な期待はしなかったが.) 情報セキュリティ分野もゲーム理論の進出の余地があるということか.

Section 4 にあるもの以外にも教育市場のシグナリング (教育を受けるという努力を払うことにより,自分の能力をしめすかどうか) なんかにも共通する部分があるかもしれない.おなじみのように見えて,じつは新しい問題設定になっている (ホントか?) ところがいいのだろうな.

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【2006/04/29 21:01 】
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四国中央市の逆転鯉のぼり

キーワード.こいのぼり,順序問題,男女差別,人種差別

死にかけた祖母を見舞うために九州に向かって運転していたときのことだ.(もう二ヶ月前から死にかけていたのだが,こちらもいろいろごたごたしていて行けなかったので死ぬのは待ってもらっていた.べつに延命処置をしてもらっていたという意味ではないけど.) とりあえず佐多岬半島の三崎を目指して高速道路を走っていた.高速道路のところどころに鯉のぼりが吹き流し代わりに (?) 掲げてあって,強風のため棒のようにぴんと張っていた.

そうするうちにクルマは四国中央市という町に突入した.「海に面しているくせに《中央》ということはないだろう」と思ったのだが,トポロジー的に,つまり高速道路のつながり具合で考えるとあながちウソでもない名前だ.どうして《四国中央》なのか,さらなる正当化は市の紹介・概要でも見てもらおう.(ちなみにその紹介にある「当市は……四国で唯一4県が接する地域となります」というのはウソで,徳島県三好市もほかの三県に接する.主語が「当市と三好市をふくむ地域」ということなら問題ないが.)

四国中央市ではそれまでと変わったことがあった.鯉のぼりの順序がおかしいのだ.鯉のぼりを取り付ける順序は基本的に上から吹流し・真鯉(黒)・緋鯉(赤)・青鯉(ブルー)ということになっている.おおきさも黒,赤,青の順序になっているのが普通だ.その日ボクが見た高速道路の鯉のぼりは2匹のことが多かったので原則通りにはいかないのだが,それでもいちばん上に赤が来ることはなかった.ところが四国中央市ではなんと赤がいちばん上の鯉のぼりがあったのだ! しかも赤鯉のほうが黒鯉よりも大きくなっていたかもしれない.

この地域の鯉のぼりの鯉の順序を決める権限が四国中央市にあるのかどうかは分からない.もしあるとしたら,これには四国中央市の意図が隠されているかもしれない.たとえばフェミニストの発言力が強い町なのかもしれない.というのは通常,真鯉はお父さん,緋鯉はお母さん,青鯉は子供ということになっており,

「男性を象徴する真鯉が女性を象徴する緋鯉よりも上になっていたり,大きかったりするのはけしからん!」

ということかもしれない.二匹の組合せが赤と黒なら,男性が女性よりも上になることを拒んでいるのかもしれない.二匹の組合せが赤と青なら,母子家庭のすすめなのかもしれない.

しかしこれらはフェミニストらしからぬ論理だ.というのは色と性別の対応関係は伝統的なものを受け入れてしまっているからだ.単に「真鯉は大きな女性あるいは男性を,緋鯉はやや小柄な男性あるいは女性を表す」とすれば済んでしまう話だ.(それ以前に,五月の節句自体を否定してしまえばいい話だけどね.節句や鯉のぼり自体は否定できないことを前提とした上での,セカンドベストを考えていることになるだろうか.) もしかすると「肌の色で差別するのはけしからん!」ということなのかもしれない.それなら少し分かりやすいが,わが国のコンテキストではあまりぴんと来ない.

今回は残念ながら証拠写真を撮ることはできなかった.みなさんにはぜひ証拠写真を撮るために四国中央市を目指してもらいたい.こう考えると,四国中央市の本当の意図は単に目立つことをして人寄せをしたいということ,つまり「町おこし」の一環なのかもしれない.これは分かりやすいが,高速道路を通る人はあんまり町には入ってこないと思うので,これだけでは効果のほどは疑わしい.おそらくこれ以外にも,一見見落としそうな微妙な細工がいたるところに仕掛けてあるのかもしれない.その名称以外にも仕掛けありということか.

さて,祖母は脳梗塞で半身不随になっていて,左半分があの世で右半分がこの世という感じだった.霊界通信ができるかもしれない.右に転べば生きた家族のところへ,左に転べば死んだ祖父のところへ行けるわけで,どちらに転んでも幸せかもしれない.(自分が所有しているアパートの家賃がどうのこうのといったことが気になるらしいけどね.) でも,いまの中途半端な状態は「苦しい」と言っていた.話はできるが食事はできないいまの苦しい状態が続くのは可哀想なことだ.

追記 (4/30/06). 「通常,真鯉はお父さん,緋鯉はお母さん,青鯉は子供ということになっており」ってのは間違えたかも.こういう記事とかこういう記事とか見つけた.

【2006/04/27 19:48 】
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庄内半島でラッキーなモーセ体験

これは香川県西部にある庄内半島に出かけた一日の日記である.

昼食は坂出のがもううどんでと思っていたのだが,昼も過ぎていたので予定を変えて市内にあるるみおばあちゃんの池上製麺所に初めて行ってみた.昼過ぎだったがまだ開いているようで,店らしき看板もない崩れかけた小屋の前に行列ができていた.[追記.enjoy さぬきうどんの記事.リンク先の delmo のうどん写真館の写真を見れば,崩れかけた小屋というのも納得できるのでは.] 行列にならんで店内に入るとばあさんが持ち帰り用の箱入りのうどんを売っていた.宣伝する気があるようなないような.ひと玉あたりの値段はその店で食べるよりもだいぶ高いのだが,日曜日でよそ者が多いせいか (?) よく売れていた.店で食べるうどんの支払いは honor system というべき,必要額を勝手に置いて勝手におつりを取るシステム.ただしお札は別だったと思う.ボクは天ぷらなどは載せず,地味にうどんと生卵を食べる.(これで百円.夕食を食べたサンマルク系のすし処函館市場の最安値の一皿以下.二玉でも170円.函館市場の安い方から二番目の一皿並み.) 味と値段は文句なし.水は飲めるのかどうか確認せず.店の前に自動販売機があった.

この店の最大の問題は (上記リンク先にあるように) 駐車場か.近くのスーパーマーケットの駐車場入り口には,客以外は駐車禁止とわざわざ大きく掲示されていた.この製麺所は外部不経済を与えながら経営を続ける店の例になりそうだが,1000円ちょっと分買い物した自分のように,ついでにそのスーパーで買い物する客も少なくないだろう.外部経済を与えている側面も強いはずだ.お互い平和共存をはかる方法としてはばあさんが駐車場代をスーパーに,スーパーがばあさんに客寄せ料を払うということになるのだろうが,差し引きではどちらが払うべきなんだろうな.より現実的には,池上製麺所のうどんをそのスーパーで売るなり,製麺所でそのスーパーの米なり水なりの割引券を配るなりの方法はあるかもしれない.もっとも現実的には,現状の駐車禁止掲示方式で客に自発的な罰金を促すのが解決法ということになるかも.

庄内半島の詫間に着いたら,まず先祖の本籍地を数件訪れた.なかでも下高瀬1311番地は中州にあり,三野町のはずだが詫間町の汐木浄水場になっていた.よく分からないが,詫間町の施設が三野町にあるということなんだろうか? こんな川の中に実際ひとが住んでいたのかどうか疑問に思った.いまは路地の狭い,古い住宅街になっている付近を散策すると,横澤石材店のすぐ西にあった石碑そばに,その地は昭和12年までは汐木港という港であり,会社や銀行もあって北前船も出入りしていたとあった.北海道と交易もあったのだろう.(もっとも北前船の有名な寄港地としては付近に粟島がある.) 詫間から択捉に行った先祖にとって,北方領土はそれほど遠くなかったのかもしれない.

リマーク.さっき見つけた「香川県と北方領土」という web ページに「1890年(明治23年)屯田兵を士族に限らず広く募集することになったので、県民も応募し、旭川・美唄・高志内・茶志内・南一己・北一己・西・東秩父別・納内等北海道東部から中央部にわたって入植しました。1899年(明治32年)で移住は終わり、その間の移住者数は2,005名で石川県に次ぐ第2位を占めていました」とある.香川県と北海道の結びつきは意外に強かったようだ.「1891年(明治24年)7月、貴族院議員鈴木傳五郎・県会議員大久保?之?らによって北海道移住の奨励を協議する会が開かれ、官民一体の『香川県北海道移民奨励会』が結成されました。その趣旨は、香川県が面積に比して住民が多く、人口密度が次第に高くなり、県民の生活が貧困化するのを防ごうというものでした」とあるのがおもしろい.昔は香川も人口過剰で悩んでいたのだ! 規模にかんする収穫逓減が「土地の呪い」によって不可避となっていた時代なのだ.いずれにせよ,このページからは1900年頃に択捉島など北方領土と香川との間にひとの行き来があったのかどうかは分からない.

その後,紫雲出山に桜を見に行った.桜はよく咲いていたが,黄砂のため瀬戸内海がよく見えなかったのが残念.ここは山頂一帯に弥生時代中期の高地性集落の遺跡がある場所だ.今だったら誰も住もうとは思わないようなこんな山の上では,魚を捕りに海まで漁に出かけて戻って来るだけで一日が終わりそうだ.ヒマを持て余した弥生人が,未来の考古学者を悩ませるために冗談で作った集落なのかもしれん.それにしても水はどうしていたんだろうか.

そんな疑問を抱きつつ,帰りにある島に寄ってみた.この付近に満ち潮時に陸と離れる島があると聞いたことがあったからだ.正確には引き潮時に陸とつながる島と言うべきか.クルマがやっと通れる道を海岸まで行くと,目の前に丸山島 (こちらは大学教授になってしまったひとによる,ややドラマチックな解説記事) という名のその島があって,砂浜でほとんどつながっており,その脇には青のりに覆われたコンクリートの道がその島まで続いていた.海面ぎりぎりのその道を渡って島に渡ったときは,すでに今来た道のいちぶが水面に沈んでいた.慌てて引き返すが,海水に足を濡らさずには戻れなかった.浜に戻ると戻って来た道はもうだいぶ海面に沈んでいた.浜辺にはやどかりがいっぱいいた.陸と離れる前後の島を見れただけでなく,ぎりぎりのタイミングで島に渡れたわけだ.旧約聖書のモーセみたいではないか.靴の中はびっしょりになってしまったが,ラッキーだったと言えよう.


丸山島に渡る直前


丸山島から戻って来た直後


丸山島から見た陸.時間的には上の二枚の間.
まずい! 潮が流れ込んで,いま来た路が切れかかっている.

【2006/04/10 21:36 】
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経済学部新プログラムの外部評価

新年度のこの時期は修学案内やシラバスを熟読するのが慣例になっている平凡助教授だ.法学部や教育学部の修学案内はときどきしか入手していないが,経済学部や経済学研究科のものは他組織に移ったあとも入手している.今年度,経済学部サイトからボクの名前は消えてしまった.ボクは経済学部の併任を解かれたようだ.ただ,わが研究科の専任教員全員が解かれたわけではない.経済学部教育について熱心に発言するようなやっかいな教員が外された模様だ.おそらくボクは今後,経済学部の科目担当を要請されることはないであろう.それなのに相変わらず修学案内と全科目のシラバスは暗記するほど読んだ.そうする大きな理由は,ボクがまだ学部教養教育の担当を外れていないことにある.教養科目を担当するためには,その科目の分野に近い学部でどのような科目が提供されているのかを知っておく必要があると考えるからだ.経済学部はわが大学院研究科の潜在的な人材供給源であるのも理由である.関心ある分野の有力テキストをシラバスで知ることもある.だが,そんな理由を度外視しても,今年度の経済学部修学案内は面白いものだった.カリキュラム改革があって,プログラム (カリキュラム; 履修規定) が刷新されたためだ.

ほとんどかかわりのないリマーク.新年度とは言ったが,まだ春休みは終わっていないはずだ.春休みにした印象深かったことといえば,(温泉宿あらぬアパホテル泊で金沢に行き) ほとんど客のいない金沢蓄音器館で蓄音機の生の音色を聞いて来たことだ.さすがに生の音はネットでは聞けない.11台もの蓄音器の実演を一時間近くかけて試聴できるとは期待していなかった.円筒状のロウのものをエジソン社の蓄音器でプレイするのを聞けたり,なかなか満足度は高かった.二,三おもしろい展示もあった金沢21世紀美術館よりも満足度が高かったかも.オーディオマニアは一度は行くべきだろう.ちなみに自分はオーディオマニアではないけど.しかし本文からかなり脱線してるな,このリマーク.

以下,経済学部新プログラムについて気づいたことを思いつくまま列挙する.(システマティックに整理するのは面倒だからね.) ボクは経済学部とは関係ないので,これは「外部評価」ということになる.

  • いちばんの進歩は,各学科の科目について複数の履修モデルを示したことだろう.ボク個人もかつて示したことのある私的な履修モデルほどではないにしても (同僚への遠慮などあるのだろう),重点を置くべき科目などを文章で示した意義は大きい.(モデルとして挙っている表自体は重点が分からないのであまり良くない.) 履修モデルは進路別に「公務員」「大学院進学」「総務系経営管理部門」「経済記者担当」「新聞社の海外部門」「県観光振興課など」など,一部には真面目だか冗談だか分からないものもある.おせっかいかもしれないが,モデルであって規定ではないのでいいだろう.
  • 各学科に複数の「コース」(プログラム) が設けられた.履修モデルがあるのに,「コース制」まで導入するのはパターナリスティックというか,余計なお世話かもしれない.工夫すれば学科単一プログラムで対応できたのではないか.事実,経済学部は「コース制」を無意味だということで数年前に廃止したばかりだ.モデルはモデルとして自由に作ればいいが,規定にしてまで各学科を細かく分ける必要はなかったのではないか.受験生へのシグナルとしてはモデルで十分ではないだろうか.
  • コース制でいう「コース」を決めるのが早すぎる.「各学科の学生は2年次から学科が開設しているコースに所属する」となっている.コース科目をとらないうちに所属コースを決めろということか.一方,所属コースによって演習を履修できる教員が制限されるわけではない.コース決定は卒業 (申請) 時で問題ないはずだ
  • コース科目として憲法や民法などの法学部科目を入れたことは大きい.たしか過去には他学部科目として法学部科目がリストされているだけで,プログラム上の位置づけは低かったと思う.ただ,コース科目としてカウントされる法学部科目はたかだか6科目14単位である.他学部科目として取らせることもできたはずだ.(ちなみに前年度までの規定では他学部科目を16単位まで卒業要件に入れられた.) 時間割上の連携をするなどでない限り,この画期的な変更もボクには単なるパターナリズムに映る.ちなみにボク個人が学部生だったころは社会科学科所属だったが,理学科の数学の授業を大量に取っていた.
  • 大学院科目を特別講義として履修できるようにしたのも評価できる.ただ,実現するまでがひじょうに長かった.
  • ほとんどすべての科目が 2 単位になった.実施方法によっては,これが最大の問題だと思う.集中的に学ばなければ結局はマスターできない科目は多い.ミクロ経済学を一週間一コマで一年もかけて教えることを想像するとぞっとする.(分かりにくい人は,コンピュータプログラムを一週間一コマずつ勉強して行くことを想像してはどうだろう.これも分かりにくいか.要するに間が空くと無駄が多いのだ.) 本来4単位で教えるべき内容は,たとえ2単位2科目に分割されたところで,同一学期の前半と後半で続けて教えるといった工夫が必要だろう.
  • 提供科目は増えたかどうか.4単位科目が2単位ものに分割されたりしたために,見かけ上は科目数は増えている.しかし経済学科の常設科目は実質減っているように見える.たとえば4+2単位だったミクロ経済学 I, II は 2+2 単位になった.労働経済学は消えてしまった.(4/10/06 追記: 2004 年度にかなりの教員が GSM に移った以前は,非協力ゲーム理論,協力ゲーム理論ほか,さまざまな地域科学の科目もあった.) ただ,ボク個人は常設科目は絞った方がいいと主張していたので,科目自体が減ることは問題にはしない.特別講義で (やや望ましさは落ちるが演習でも) 柔軟に追加科目を出せばいい.

リマーク.「パターナリズム」で,春休みに読んだ永谷 (2003) 『経済学で読み解く教育問題』(東洋経済) を思い出した.学生を甘やかし過ぎと言う著者の教育批判が痛快だった.だいぶおかしくなっているわが大学はじめ,すべての大学の教員に薦められる本である.これを学部新入生に読ませたら勉強するようになるだろうか,それとも逆効果だろうか.入学式の学長式辞のネタに使えば,効果がプラスかマイナスかは分からないが,ひと味ちがった式辞になるだろう.教育経済学の「テキスト」としては使えないだろう.しかしいちぶの議論 (教育政策手段としてのバウチャーと価格補助金,契約理論,比較優位など) はミクロ経済学のテキストを補完するのにいいかもしれない.

【2006/04/08 23:57 】
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大学教授にセックスしてもらえる特区

香川大学は3月に準強制わいせつの罪で懲役二年の実刑判決を受けた岩月謙司教育学部教授を懲戒解雇した (四国新聞).わいせつな行為をしたということで相談者の女性に訴えられていたものだ.その女性は,教授の著作などでその独特な心理療法を知って自発的に教授を訪れていた.教授側はその女性の意思に反することはなかったと言っているので,なんらかのコミュニケーションの失敗があったのだろう.

で,懲戒解雇の理由はなんだったのだろう? 国立大学法人香川大学職員就業規則に以下の記述がある.

(諭旨解雇又は懲戒解雇事由)
第69条 職員が次の各号の1に該当する場合は、諭旨解雇又は懲戒解雇する。ただし、 情状により、諭旨解雇又は懲戒解雇以外の懲戒処分にとどめることがある。

  • (1) 正当な理由なく、無断欠勤が1月の内に21日(連続している場合は休日を含む。) 以上に及び、再三にわたる出勤命令に応じない場合
  • (2) 他の職員、来訪者、学生又は患者に対して暴行・強迫行為に及んだ場合
  • (3) 倫理又はハラスメントに関する規定に対する重大な違反行為があった場合
  • (4) 大学法人の名誉又は信用を著しく傷つけた場合
  • (5) 故意又は重大な過失により、大学法人に重大な損害を与えた場合
  • (6) 禁錮以上の刑に処せられた場合
  • (7) その他前各号に準ずる事由が生じた場合

報道によれば,懲戒解雇にいたった理由は以下のようなものだ.実刑判決に加え,公判を通じ同教授が約二十人の相談者と「タントラ」と称して性行為におよんでいたことが事実認定された点を重視し,「大学教授の行為としては許されない」と判断した.また,一井学長は「社会的使命を担う大学の名誉と信用を失いかねない事態を招いた」と謝罪している.こららの報道から考えると,上記の理由で該当する可能性があるのは 3, 4, 6 あたりだろう.

  • (3) 相談者は大学関係者ではないのでハラスメントとは考えにくい.倫理規定についても,大学のコンプライアンス・ガイドラインや行動規範に反するようなことは見当たらない.一般的な学問倫理,医療倫理に反するものとしては,たとえば対象となる人間の同意を得ていなかったというのがあるだろう.しかし,これについては相談者の女性と岩月側の主張が一致していないので本当のところは分からない.
  • (4) 岩月教授の行為が大学の名誉又は信用を著しく傷つけたとは学長さえ言っていない.それらを「失いかねない事態を招いた」と言っているだけだ.じっさいのところ,一教授の行為は大学が公式に行ったこととはちがうので,(いちぶその区別が分からないバカが騒ぐのは仕方ないとして) 大学の名誉にはほとんど影響しない.「大学教授の行為としては許されない」とされた性行為にしても,なにが不名誉なのだろう.大学教授が同意の上で学外の女性とセックスをするのは許されないのか? 人数が多い (?) から駄目なのか? 何人だったら問題ないのか? 学外でやったから駄目なのか? いろいろと疑問が出て来る. そもそも学者が自分の信じる主張をすれば,社会常識に反するばあいがある.それを「大学法人の名誉又は信用を著しく傷つけた」として処分する規則の方が問題だろう.
  • (6) 懲役二年の実刑判決を受けたので,これは該当する.ただし岩月元教授側は判決を不服として控訴している.

香川大学は教授を解雇などせずに特区申請でもすればよかったのだ.異端の心理療法や治療を一般人が (もともと資格のない岩月のような研究者から) 受けられる環境を整えればよかった.それは香川大学のめざす地域貢献にもなる.

たしかにひとりの女性とはコミュニケーションの失敗があったかもしれない.しかし人間を相手にする以上,百パーセントの成功というのはありえない.育て直しのような異端の療法を施せば,一割や二割くらいから苦情が来るのは当たり前だろう.たとえ不満足がいちぶあったとしても,犯罪など致命的な欠陥がない限り (今回はおかしな裁判官の趣味で犯罪とされてしまったのだが) やり続けていい.そして,大部分の「顧客」が満足しているなら,やり続けてもらうほうが社会的には望ましい.(社会的に望ましくても,教授個人にとってはコストが大きいため提供するのが損ということはある.) もし続けていれば美容整形やペットや占いと同様あるいはそれ以上に,多くの女性を救うことができたはずだ.希望者にはおむつプレーのみならず「タントラ」なるセックスも提供できたかもしれない.素晴らしいことではないか.

たしかに岩月教授の研究やそれから派生したと思われる療法は異端だったかもしれない.(私個人は彼の一連の研究を「科学」とはみなしていない.反証可能性」など「科学」の条件を供えていないからだ.) しかし異端であるとか科学でないというだけでは大学から追放すべき理由にはならない.主流派経済学からみれば,マルクス主義経済学は根本から誤っている異端であり,マルクス主義自体は信仰であって科学ではない.だからといって,マルクス経済学を大学から完全に追放した方がいいということにはなっていない.学問では,なにが正しいかについて最終的な決着はついていない.今日の異端は明日の主流になるかもしれない.この大学の一井眞比古学長が最近メールマガジンに寄稿しているように,大学は多様性を認めなければ学問的使命をまっとうできない.学長にはリップサービスだけではなく,大学と学問にとって必要な自由を真剣に守ってもらいたかった.

【2006/04/08 23:36 】
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