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平気で表現を弾圧する破廉恥な宮崎大学医学部

◆関連記事「宮崎大学医学部教授会の表現弾圧にかんする覚え書き」も参照.

突然だがボクは地上の死を知っている地上の死の意味を知っているので,それを知りもしないバカに「命の尊さを冒涜するな」などと阿呆なことを言われても,そいつを《洗練されていない,文化的水準の低いクズ》と思うだけである.心の中では「いつ自分が命を冒涜した?」と思いつつも,口では「冒涜,面白いじゃないか.ハハハ」などと答えて,クズにはクズにふさわしい対応をしてあげることを心がけている.死の意味も芸術も分からない凡人に理解を求めても無駄だからだ.ところが,中には救いようもないバカがいて,力に訴えてこちらを黙らせようとして来たりする.そうなったら,こちらも抵抗せざるを得ない.

宮崎大学の医学部学生6人が,この手のクズ (医学部教授会) のうさぎ狩りにあったようである (西日本新聞の記事).死の意味も知らない輩に,「医学科学生としての倫理観を著しく欠く情報をインターネット上のブログに公開した」という理由で停学処分 (2年あるいは1年留年) を受けたのだ.気の毒なことだ.文部科学省学生支援課によれば,医学生が倫理観の欠如を理由に処分されたのは「国公私大を通じて過去に聞いたことがない」という.そりゃそうだろう.《内面の自由》の問題だからだ.宮崎大学は越えてはならない一線を越えてしまった.しかも一部情報によると,大学は 10 月に六人から事情聴取した際,(おそらく大学の関知していない) ブログの閉鎖を命じたらしい.呆れたものだ.処分を受けた方々には,ぜひとも大学と争って勝訴してもらいたい.

では,どういう情報をブログに載せたのか? 「医学生にしては下手すぎる解剖の様子の写真」だったから医学部が文句をつけたという説もあるようだが,それは冗談としても,とにかくバカバカしいのだ.詳細を知りたい読者には (コピーが多くてリンクをためらうが) こういうサイトでも見てもらうとして,最大の目玉は,車ではねたウサギを自宅で解剖した模様の (「残酷」とされる) 写真だろう.死体 (あるいは瀕死の患者) を前にして,こういう写真を冷静に撮れるというのは,医者にひじょうに向いてるんじゃないか? おそらく彼らは芸術あるいは冗談のつもりでやったのだろう.自分が当事者だと思えばなかなかできることではない.つまり,彼らは自分を第三者の立場に置いて物事を考えることができる冷静さを備えていたわけだ.医学を志す者はこうあらねばなるまい.

それにしても,宮崎では飼い犬が殺されて河原で食べられるという光景は,以前しばしば見られたようである.私の高齢の知り合いのひとりもその被害にあっている.野生の犬でなく所有者がいる犬を勝手に殺すのは正当化できないし今の時代はもう見られないと思うが,宮崎の住人にそういう文化を受け継ぐ人々がいたのは事実である.犬とウサギのちがいはあるが,特定動物にたいする残虐行為で処分するというのは,特定文化にたいする嫌がらせと受け取られる可能性がある.魚の活き造りの写真はよくて,なんで死んだウサギだとだめなのか? あまりにも恣意的だ.現代にあって,このような異文化への許容の欠如した差別的な処分を平気でやってしまう連中に,「倫理観の欠如」などと言われたくないものだ.

あと,大学の処分と関係あるかどうかは分からないが,「ウサギ狩り部」の掲示板に「気味の悪い」書き込みがあった事実もある.たとえば

「たくさんの魚や貝、蟹を殺してきました」
「あの時のみんなの生き生きとした顔をみると人間の奥の部分が見えたような気がします」

といった書き込みが問題らしい (笑っちゃう).これは魚や貝やカニを捕って楽しかったというだけのことで,小学生でも経験あることだ.この書き込みをした部員 (?) は,この楽しい行為もじつは殺戮であるという厳然とした現実を直視したにすぎない.生命への尊厳があってはじめてできる,ある意味優しい書き込みなのだ.(ちなみに上記引用文の間に「こうやって生き物の命の上に私たちの命が支えられているということをしみじみと感じました」ともある.医学科アドミッションポリシーにある「患者の痛みや苦しみを共感できる豊かな人間性を有している人 」に該当するのはまちがいない.)

こんなことも理解できない宮崎大学医学部の佐藤泰範総務課長は「魚取りしても、貝取りしても(学生らは)『殺した殺した』と。そういった表現をすることは、言葉の芸術だと、そういう感覚」とコメントしている.そして,これで学生たちの行為を批判したつもりのようだ.(「言葉の芸術なのだから尊重すべき」という弁護かと最初は思ったが,じつは「言葉の芸術に過ぎない」と芸術をこき下ろすのが真意だろう.思想は自由だが,なんでこんな人間が大学にいるんだろう.文芸学部でなくて,医学部だからか?)

言葉の芸術が生まれるためにどれだけ覚悟が必要か理解しようともしない人間に,説明は通じないかもしれない.代わりにその他の良心的な方々のために,田村隆一の「四千の日と夜」から書き出しを引用しておく.この詩集『四千の日と夜』は,私がこれまで意識的に触れた日本語のなかで,まぎれもなくもっとも数多く繰り返して読んで来たものである.私が生きて来た人生の底流をなしてきた曲が,この詩集のユーモラスともいえる一遍一遍だ.

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない、
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

宮崎大学の学生はウサギ狩り部ブログについて,「命の尊さを冒涜する行為で、同じ医学生として恐ろしい」などの苦情を大学に多数寄せたそうだ.「決めつけるなよ!」と言いたい.ボクには命の尊さを強く打ち出した優しい表現にしか見えない.仮に冒涜していたとしても,そんなことは表現者にとって自由である.現代日本という特殊な環境における常識に反しない表現しか許されないならば,そもそも《表現の自由》の意味がない.つまらない苦情を寄せてウサギならぬ言葉狩り (表現の自由の弾圧) をする大学の手助けをする暇があるなら,田村隆一の詩でも四千回くらい読んでみたらどうだろう.参考に,田村隆一の詩の断片をいくつか載せたサイトと私の好きな「立棺」から断片を挙げておく.

わたしは地上の死を知っている
わたしは地上の死の意味を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの死が墓にいれられたためしがない
河を流れて行く小娘の屍骸
射殺された小鳥の血 そして虐殺された多くの声が
おまえたちの地上から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ

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【2005/12/16 00:57 】
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