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宮崎大学医学部教授会の表現弾圧にかんする覚え書き

宮崎大学医学部教授会の情けない逸脱への怒りが収まらない.大学が大学の責務を忘れて学生の表現行為に停学処分を下した,破廉恥な言論弾圧事件のことだ.「うさぎ狩り部」を名のる学生たちがウサギの解体写真をネット上に掲載して「世間をお騒がせしたこと」にたいする,医学部としてのお詫びということらしい.

事件の本質

今回の事件は,大衆の「集団的サディズム・集団的狂気」に宮崎大学医学部教授陣が屈したのが本質だ.その大衆とは,医師予備軍のなかのある部族の独特な (ウサギの) 死体の弔い方をとやかく批判した者たちだ.諭せば済むところを,教授陣まで大衆といっしょになって医学部低学年の未熟な学生をウサギいじめのように痛めつけたのは,医学の先輩としてふさわしい態度ではない.

「倫理」は強要するものではない.「処分」という形で強要した時点で,お前たちは「倫理」を語る資格を失う.

信条の自由と表現の自由を守らなかった一点だけでも,大学側が100パーセント悪いと断言できる.それらを否定してしまっては大学の存在価値がなくなる.学生たちの行為を「本学の教育理念・教育目標から著しく逸脱したもの」とする宮崎大学の教育理念とは,表現の自由をそんなにも軽視するものなのか.

だいたい,「世間をお騒がせ」して何が悪い.それが悪いというお前たちの研究からは,なにも世間を騒がせるものは生まれないであろう.

もちろん大学には規則が存在する.そしてそのいちばん重要なものが,表現の自由や学問の自由だ.それこそは大学の根本的な原理である.「大学は表現の自由を尊重する」という大前提のもとで学生と大学は契約を交わしている.だから,その契約を破るような規則は無効だ.

表現の自由が個人の権利を奪うときどちらを優先すべきかについては,「少なくともこういう権利よりは優先すべきだ」というおおよその共通理解がある.今回は,他人の権利をなにも侵害していない表現 (しかも大学のサーバにも置いていない) や内面的な倫理観を大学が規制しようとしたから問題なのだ.医学生が倫理観の欠如を理由に処分されたのは「国公私大を通じて過去に聞いたことがない」と文部科学省も言ったそうだ.ほんとうに前代未聞の馬鹿げた契約違反を宮崎大学はやってしまったのだ.もはや宮崎大学は「大学」の名に値しない.単なるクズの集まりだ.

生あるいは死の冒涜か

学生たちがウサギを殺したかどうかは処分に関係なかった.クルマがぶつかった事故でウサギは死んだと調査委員会の報告書にある.ウサギの死体をどう扱ったか,その一点で処分は下された.

一般に,死体をどう扱ったかという行為を見るだけでは,その行為が死への冒涜かどうかは判断できない.「弔い」かどうかは内面的な問題なので,外から判断できると思う方がまちがいだ.そしていうまでもなく弔いの形態はいろいろある.

  • 大学に表現の自由を奪われて自殺した大学教員がいるとする.同僚の私がその死体をキャンパスに持ち込んで内蔵を切り刻み,バラバラにして試食会を開いたとする.(その死体の所有主でないから現実にはできないかもしれない.) この行為を「死への冒涜」と言うのだろうか.死者の遺志を受け継いで大学に対して無力なメッセージを発するこの弔いの儀式を,私は「冒涜」とは呼ばない.
  • 棺桶を太鼓のように叩いて楽しく冗談のように死体を扱うことを自分はやったことがある.それは私にとって「さようなら」を言うための儀式であり,死者への慰めであった.冗談でひとを葬るのも弔いの一形態である.
  • 死体への「礼意」というのは,最終的には故人あるいは遺族の思いに沿うやり方ということに収束するだろう.自分の信条に反しない限りで,できるだけ彼らの意思にしたがうことだと思う.たとえば死者に小便をかけてあの世へ送り出す部族では,あなたがそれをどう感じようと彼らにとってはそれは冒涜ではなくあの世へのはなむけである.だから,あなたも小便をかけてやるのが正しい弔い方だろう.もちろんあなたにも信条があるはずなので,その部族のやり方に完全にしたがわなければならないということではない.
  • 学生たちには,学生たちなりの弔い方があったはずである.彼ら自身が「冗談」と認識したそのやり方が,彼らの弔い方だったのだ.あるいはそれは「芸術」と言えるかもしれない.
  • 一匹のウサギの死にあれほどの意味を与える行為を「冒涜」とは言わない.神に捧げる生けにえを命の「冒涜」とは言わないのと同じだ.

仮に彼らが「弔い」としてやっていなかったとしても,それは内面的な問題 (外的な暴力ではない) だから,外的な力に訴えて変えさせることを正当化しない.彼らが倫理的でないと思うならば,「停学処分」という実力に訴えずに説得すべきだった.

「《解剖》と《解体》は別物だ」という議論も処分を正当化できない.言葉使いを誤ったことにたいする処分は停学ではありえない.せいぜい試験で落とされるくらいである.

そして言うまでもなく,ウサギは人間ではない.学生たちがウサギを解体したことと,彼らが人間の死体をどう扱うかとは何の関係もない.「医育機関としての責務として学生の再教育」をするという医学部の理屈を受け入れたとしても,再教育すべきことなどなにもない.

食べるためなら殺戮が許されるとしたら

仮にウサギは殺されていたとしよう.虐殺されたとしよう.なぜ,食べるためにウサギを殺戮するのは正当化されるのに,芸術のためにウサギを虐殺するのは正当化できないのか.食べるためなら許されるというのは,人間の生存のための殺戮なら正当化できるからか.つまり,生存という低いレベルの欲求を満たすためなら正当化できるというのか.芸術という高いレベルの欲求を満たすためには正当化できないのか.それはおかしい.ウサギを食べる行為は,生存レベルの問題ではない.かなり高いレベルの欲求である美食にかかわる問題だ.芸術とちがわないレベルであるはずだ.

おかしな批判者たち

わざわざアドレスを入れて,あるいはリンクをたどって,見ようとしなければ見えない場所にあるのだから,普通の意味の「公衆の面前」に置くこととは区別される.見なくて済むものをわざわざ自分の意思で見た上で,「気持ち悪い.冒涜だ! ネットに載せるな!」と文句を言っている連中はどういうサディストなんだ.

本物の職業倫理を

「献体してくれる者がいなくなるから」という短期的な理由で医師にたいする期待レベルを過剰に高めることは,結局は医学界全体,特に大学医学部の首を絞めることになる.期待を裏切られたときにこそひとびとは反応するからだ.今回,集団的サディズムに宮崎大学医学部教授会が屈したことによって,医師の資質と直接関係ない部分で社会一般の期待レベル (虚像) を過剰に高めてしまったことは,その意味においても失敗である.医師の資質と無関係な部分についてはもっと本音でやってもらいたい.

ウサギの死体をどう扱うかという,ほとんど好みの問題などよりも,医師としてきちんとすべきことはいろいろあるはずだ: 医学の最新動向を学んで技術を身につけること,時間を守ること,(酒に酔いやすい医者のばあい) 飲酒手術をしないこと,診察室で一日中煙草を吸わないこと,患者に嘘をつかないことといった.

不当な処分を受けた学生たちを救えないか

不当な処分を受けた学生たちを救いたい.だが私にはほとんど何もできない.悪いことに,学生が行動を起こして裁判で勝っても,彼らにとってたいしてメリットはないのかもしれない.しかし,今後似たようなケースで処分を下そうとする破廉恥大学 (合法的な表現行為を曖昧な学則で処分しようとする大学) にたいしていくらかの抑止力にはなる.そのことだけは言っておきたい.

追記.いろいろな考え方があるだろうから,ご自身の遺体を正常解剖のため宮崎大学に寄贈することを生前に約束している方々 (宮崎医科大学白菊会・宮崎大学白菊会の会員) に直ちに献体登録を取り消すことを呼びかけるものではない.ただ,献体登録も取り消さずに今回のような表現弾圧事件にたいして沈黙を保つことは,たとえそれが善意から出たものだとしても,かえって大学のありかたを狂わせ学問の進歩を阻害することになる.そのことを理解して上で対応を考えてもらいたい.

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【2005/12/25 18:26 】
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気が向いたらいっしょにセクハラでもしようね

お元気,占占家さん?
(ボクのことを知らなかったら人違いなので気にしないでください.
若くてかわいい女性なら気にして返事してくれていいけど.)

冬休みだね.
今日でボクの今年の授業はおしまい.

マンション買ったの? 泊まりに行っていい?

気が向いたら研究室にでも遊びに来てください.いっしょにセクハラでもしましょうね.
占占家さんの友達はあんまりセクハラさせてくれなかったけど.ハハハ.

じゃあね,

平凡助教授でした

占占家 (うらせんけ) さんはいわゆる地方名望家の娘さんだ.わけあってわが大学図書館の臨時職員だか非常勤職員だかとして働いている.
「入手できないってのはどういうつもりだよ? ドイツの古本屋にあるからそこに頼めといってるだろうが,お姉ちゃんよ.カネに色目 [ママ] はつけねえ.世界中でそこしかない希少本なんだ.図書館のくせにドイツ語できるスタッフがいないってことはねえだろ!」
いつどんな苦情を言いに怒鳴り込んでも,ニコニコと笑顔で対応してくれるお嬢様だ.「エッチなことを頼んでもニコニコと受け入れてくれるんじゃないか?」ずっとそういう気がしていた.実際のところどうなのか確かめたい,真実を解明したいという社会科学者的探究心が抑えがたくなっていた.最近,お父さまにマンションを買ってもらったと聞いたとき,ボクは彼女のマンションで彼女とエッチをしようと決意したのだった.いや,できなくてもいいから,彼女に尋ねてお返事を聞いてみよう,と決意した---といった方が正しい.そして,授業の最終日でハイな気分になっていたある朝,ボクは上のメールを送ったのである.(実際は,全員向け補講と欠席者向け補講であと数回授業を年内にしなければならないはめになったが.) もちろん,タクシー代の気になるこのシーズンであるから,街中に宿泊先を確保しておきたいという思いもあった.

夜間の授業のために研究室に行ってメールをチェックすると占占家さんからのメール.「いいですよ.お好きなだけ私にセクハラしてくださいね」なんてお返事を期待しつつ開封.まずは「寒いですねえ」とどうでもよさそうな挨拶に混じって,「大学に仕事にいかないと家の暖房代がかかってしょうがありません」とある.そうか暖房代が気になるほど広いところに住んでいるのか! 行けるかも! ところが「私は28日まで、きっちり勤めさせていただきます」と休みはまだだということを強調してる.あ~,なんかダメそうだな.そして,極めつけは次の言葉だった:

マンションは買いました。
が。先生は泊まれません。・・・・フフフ。

な,な,なんなんだ?! 「フフフ」って,オトコでもいるのか,このお嬢様は? 純真そうに見えるし,占占家のお嬢様だから処女だとばかり思っていたのに! ボクのセクハラの夢は消え失せてしまい,ボクは絶望的な気分で空を見つめていた.

何分経っただろうか,研究室でやる授業の始まる時間が20分過ぎていた.それなのに7人いる受講者のだれもまだ現れていなかった.かわりに,きょうは欠席すると二人から連絡.ボクは「これから出る本」なんかをチェックしつつ,占占家さんのことで落ち込んでいることを忘れようとしていた.

最初に研究室に現れたのは♀子学生 (といっても勤め人) だった.国際的な職場に勤める,占占家お嬢様にも劣らぬ清楚さを漂わせた女性だ.彼女と二人きりになるのははじめてだ.「あ,うれしいかも.このどん底の気分を癒してもらいたいわん」なんて思いながらも,中途半端なところで「これ本」を中断したくなくて数分間ほぼ無視した愛想の悪いボク.

その間,ボクの本棚を見ていた女子学生,ボクが顔を上げると「ミクロ経済学の本とかゲーム理論の本とか,買おうと思ったんですけど.読むときに買おうと思って止めたんです」と.そして,ボクの机のそばにつかつかと近づいてきて,「その本は何の本ですか?」(いや,題名を口にして新しい本かどうかを聞いたのかもしれない) と,机の隅にあった『感じない男』(森岡正博) を手に取った.「それは女子高生のミニスカートとかパンティーとかにボクが魅かれる理由を書いた本らしいけど,まだ読んでないのでよく分からないや」と答える代わりに,

「これ書いたひと,大学の先生だって.この本のことは授業で話したくないらしい」

とだけ答えた.処女の雰囲気さえ持つその女子学生の聞きたい話かどうか分からないので,それだけに留めた.つまり彼女の選好が分からないのでそう答えたのだった.(もっともエッチな話を好む処女も多いので,処女かどうかは選好の判別にはあまり関係ない.) もしかしたら,ボク自身が話したがっていないと取られたのかもしれないが,決してそんなことはないので希望があれば申し出てもらいたい.

しばらくは和やかな時間が流れていた.「社会政策の授業なんかで教授と一対一になること,けっこうあったんです」なんてことを彼女は言っていた.

そのあと,二人が顔を近づけて見つめ合う事件があった.「何かいつもと違ってることに気がつかない?」と顔を寄せて見つめるボクに,少し当惑した表情 を見せつつ (←おもしろかった.いやあ,ごめんごめん) 「赤いマフラーですか?」と答える女子学生.「いや,目の付近だよ」.ボクを見つめる彼女の目にときめいてしまって,占占家お嬢様のことはほとんど忘れていた.しばらく見つめたけど,彼女は気づかなかった.じつはボクはその日あるしょうもない理由があって,眉を鉛筆で描いていたのだ. (しょうもない理由というのは,目の上の毛を剃ろうとしてまちがって眉の下半分を剃ってしまったというもの.) 彼女は「東京辺りには,若いおしゃれな男性で眉を描いているひといますよ.先生のは自然で分かりませんでした」と言いつつ,「どうして鉛筆 (眉ペンだっけ?) を持ってるんですか?」と攻勢に出て来た.「いや,家に誰かがむかし置いてったみたいで」.じつは,妹が来たとき置いて行っただけなんだよ.だから気にしない気にしない.

二人きりの時間は20分も続かなかった.

【2005/12/21 14:17 】
| 女子学生とつづる純愛アルバム | コメント(1) | トラックバック(0) |
社会選択理論家はビクビクしながら生きて行かなければならない運命か?

今朝メールで届いた社会選択のジャーナル SCW (Social Choice and Welfare) の目次はいつもとちがっていた.やたら history とか interview という単語が目につくのだ.冊子であったなら,ぱらぱらとページをめくるだけでいつもとちがって数学がひじょうに少ないということにすぐ気づいたことだろう.普段が数学のジャーナルの感じとすれば,今号はまるで人文科学の三流ジャーナルみたいだ.どうやら,今号は社会選択理論の出発点となったアローの "Social Choice and Individual Values" 出版 50周年記念に開かれた The History of Social Choice from Condorcet to Arrow and Beyond というカンファレンスの特集号ということのようだ.

歴史にあまり関心のないボクは,読むべきペーパーもないだろうと思いつつも,けっこう時間をついやしてしまった.アローの本が書かれるまでの経緯とか,社会選択と厚生学会ができるまでの事情などを書いた思い出のような論文 (?) をダウンロードした.後者には,たとえば Econometrica という経済学トップジャーナルが 1979 年に

「社会選択と投票理論の論文の投稿がひじょうに増えているので,その分野のペーパーを厳しくレフリーしてもらいたい」

という通達を載せたという有名な話が載っていた.その著者で SCW のエディターでもある Maurice Salles は,その通達の影響が今日も続いていると思っているようである (あるいはそう思っていると読者を思わせたいようである).あまりに日本人的な「いなかの経済学者」だったサルさんは,自国であるフランス国内に社会選択を研究している数学者グループがいることは知っていたが,畏れをなして会えなかったとも書いている ("I was too shy and, perhaps, was scared of a possible contemptuous attitude they could have for a young provincial economist").

いや,表題にある「ビクビクしながら生きて行かなければならない」というのは,このサルさんのような意味ではない.以下に引用したロシア人のエッセイを眺めていて,現代日本と大差ないかもと思った次第だ.1980年代のソビエト連邦での様子を描いたものだ (Fuad Aleskerov, The history of social choice in Russia and the Soviet Union, Social Choice and Welfare 25:419-431, 2005):

Our paper, “Arrow's problem in group choice theory” [3] was almost ready for submission to the journal “Automation and Remote Control”, when Aizerman told me we would have to alter the words, ‘dictator’ and ‘oligarchy’, in the text. We would be in trouble if the published article included these words. I argued that everyone used them, and that they appeared even in Mirkin's book published in 1974 [35], but Aizerman was very firm. After about an hour of discussion, during which he suggested some alternatives that I rejected, he said: “Listen, I have been living under this regime for 70 years, and I will not allow you to destroy your career and life by using these words, which for certain will be misinterpreted.” After this I stopped arguing, substituted the words “decisive voter” and “decisive group” and finished the paper.

つまり,「独裁者」「寡頭政治」といった,投票理論でふつうに使われる言葉を論文に入れるだけでアブナかったわけだ.「キミの職業的将来,そして生活 (生命?) を台無しにさせるわけにはいかない」と年配の共著者に言われて,それらの言葉を削除したという.

現代日本では,特定の言葉を使うことで政治的圧力を受けるという「鞭」は少なくなったものの (かわりに「環境」とか「情報」といった特定の言葉を研究計画に入れなければ研究費が取りにくいという,「飴」による圧力はある),規範理論家がビクビクしながら生きて行かなければならない構図は上記ソ連の状況と大差ないのではないか.たしかに政治思想や用語でひっかかることはソ連ほどないだろう (それでもアナキストには辛い).代わりにセクシュアル・ハラスメントとか,生命倫理とか,環境問題とか,あまりにも表現の自由が制限される分野が増えているのはどうにかならないだろうか.純粋な思想や表現,そして素朴な想いまでが暴力と同列に扱われて処罰の対象となるのは困ったことだ.

現代社会における自由の抑圧者たちは「ひとを傷つけない,不安を与えない」ことを強く主張することが多い.そうであるならば,ひとが何に傷つき何を恐れるのか,もう少し考え直すべきだろう.ボクのばあい,いちばん怖いというか,不安であるのは,自由を奪われることである.規範倫理をあつかう社会選択理論家の運命として,あるていどの迫害は覚悟しているつもりだ.それでも毎日毎日,こんなにビクビクしながら生きて行かなければならないのは,やはりおかしいと思う.

リマーク.ところで SCW の目次が届くのがえらく久しいんじゃないかと思ったら,Volume 25 Numbers 1 の目次が届かず,見落としていたのに気づいた.少しうれしくなかった.その号を見ると,ボクのペーパーが数本引用されているのを発見した.少しうれしかった.そのジャーナルの Fulltext search をやってみたら,ボクを引用したそれらのペーパーはひっかからなかった.少しうれしくなかった.

【2005/12/17 07:31 】
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平気で表現を弾圧する破廉恥な宮崎大学医学部

◆関連記事「宮崎大学医学部教授会の表現弾圧にかんする覚え書き」も参照.

突然だがボクは地上の死を知っている地上の死の意味を知っているので,それを知りもしないバカに「命の尊さを冒涜するな」などと阿呆なことを言われても,そいつを《洗練されていない,文化的水準の低いクズ》と思うだけである.心の中では「いつ自分が命を冒涜した?」と思いつつも,口では「冒涜,面白いじゃないか.ハハハ」などと答えて,クズにはクズにふさわしい対応をしてあげることを心がけている.死の意味も芸術も分からない凡人に理解を求めても無駄だからだ.ところが,中には救いようもないバカがいて,力に訴えてこちらを黙らせようとして来たりする.そうなったら,こちらも抵抗せざるを得ない.

宮崎大学の医学部学生6人が,この手のクズ (医学部教授会) のうさぎ狩りにあったようである (西日本新聞の記事).死の意味も知らない輩に,「医学科学生としての倫理観を著しく欠く情報をインターネット上のブログに公開した」という理由で停学処分 (2年あるいは1年留年) を受けたのだ.気の毒なことだ.文部科学省学生支援課によれば,医学生が倫理観の欠如を理由に処分されたのは「国公私大を通じて過去に聞いたことがない」という.そりゃそうだろう.《内面の自由》の問題だからだ.宮崎大学は越えてはならない一線を越えてしまった.しかも一部情報によると,大学は 10 月に六人から事情聴取した際,(おそらく大学の関知していない) ブログの閉鎖を命じたらしい.呆れたものだ.処分を受けた方々には,ぜひとも大学と争って勝訴してもらいたい.

では,どういう情報をブログに載せたのか? 「医学生にしては下手すぎる解剖の様子の写真」だったから医学部が文句をつけたという説もあるようだが,それは冗談としても,とにかくバカバカしいのだ.詳細を知りたい読者には (コピーが多くてリンクをためらうが) こういうサイトでも見てもらうとして,最大の目玉は,車ではねたウサギを自宅で解剖した模様の (「残酷」とされる) 写真だろう.死体 (あるいは瀕死の患者) を前にして,こういう写真を冷静に撮れるというのは,医者にひじょうに向いてるんじゃないか? おそらく彼らは芸術あるいは冗談のつもりでやったのだろう.自分が当事者だと思えばなかなかできることではない.つまり,彼らは自分を第三者の立場に置いて物事を考えることができる冷静さを備えていたわけだ.医学を志す者はこうあらねばなるまい.

それにしても,宮崎では飼い犬が殺されて河原で食べられるという光景は,以前しばしば見られたようである.私の高齢の知り合いのひとりもその被害にあっている.野生の犬でなく所有者がいる犬を勝手に殺すのは正当化できないし今の時代はもう見られないと思うが,宮崎の住人にそういう文化を受け継ぐ人々がいたのは事実である.犬とウサギのちがいはあるが,特定動物にたいする残虐行為で処分するというのは,特定文化にたいする嫌がらせと受け取られる可能性がある.魚の活き造りの写真はよくて,なんで死んだウサギだとだめなのか? あまりにも恣意的だ.現代にあって,このような異文化への許容の欠如した差別的な処分を平気でやってしまう連中に,「倫理観の欠如」などと言われたくないものだ.

あと,大学の処分と関係あるかどうかは分からないが,「ウサギ狩り部」の掲示板に「気味の悪い」書き込みがあった事実もある.たとえば

「たくさんの魚や貝、蟹を殺してきました」
「あの時のみんなの生き生きとした顔をみると人間の奥の部分が見えたような気がします」

といった書き込みが問題らしい (笑っちゃう).これは魚や貝やカニを捕って楽しかったというだけのことで,小学生でも経験あることだ.この書き込みをした部員 (?) は,この楽しい行為もじつは殺戮であるという厳然とした現実を直視したにすぎない.生命への尊厳があってはじめてできる,ある意味優しい書き込みなのだ.(ちなみに上記引用文の間に「こうやって生き物の命の上に私たちの命が支えられているということをしみじみと感じました」ともある.医学科アドミッションポリシーにある「患者の痛みや苦しみを共感できる豊かな人間性を有している人 」に該当するのはまちがいない.)

こんなことも理解できない宮崎大学医学部の佐藤泰範総務課長は「魚取りしても、貝取りしても(学生らは)『殺した殺した』と。そういった表現をすることは、言葉の芸術だと、そういう感覚」とコメントしている.そして,これで学生たちの行為を批判したつもりのようだ.(「言葉の芸術なのだから尊重すべき」という弁護かと最初は思ったが,じつは「言葉の芸術に過ぎない」と芸術をこき下ろすのが真意だろう.思想は自由だが,なんでこんな人間が大学にいるんだろう.文芸学部でなくて,医学部だからか?)

言葉の芸術が生まれるためにどれだけ覚悟が必要か理解しようともしない人間に,説明は通じないかもしれない.代わりにその他の良心的な方々のために,田村隆一の「四千の日と夜」から書き出しを引用しておく.この詩集『四千の日と夜』は,私がこれまで意識的に触れた日本語のなかで,まぎれもなくもっとも数多く繰り返して読んで来たものである.私が生きて来た人生の底流をなしてきた曲が,この詩集のユーモラスともいえる一遍一遍だ.

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない、
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

宮崎大学の学生はウサギ狩り部ブログについて,「命の尊さを冒涜する行為で、同じ医学生として恐ろしい」などの苦情を大学に多数寄せたそうだ.「決めつけるなよ!」と言いたい.ボクには命の尊さを強く打ち出した優しい表現にしか見えない.仮に冒涜していたとしても,そんなことは表現者にとって自由である.現代日本という特殊な環境における常識に反しない表現しか許されないならば,そもそも《表現の自由》の意味がない.つまらない苦情を寄せてウサギならぬ言葉狩り (表現の自由の弾圧) をする大学の手助けをする暇があるなら,田村隆一の詩でも四千回くらい読んでみたらどうだろう.参考に,田村隆一の詩の断片をいくつか載せたサイトと私の好きな「立棺」から断片を挙げておく.

わたしは地上の死を知っている
わたしは地上の死の意味を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの死が墓にいれられたためしがない
河を流れて行く小娘の屍骸
射殺された小鳥の血 そして虐殺された多くの声が
おまえたちの地上から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ

【2005/12/16 00:57 】
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愛はあるのに技巧がない

宇治の予備校講師 (法学部学生) が小学生女児を刺殺したニュースを見たあと (宇治を通過して旅先にいたので普段は見ないテレビを見ていた),夢に出て来た詩に「愛はあるのに世界がない」という言葉があった.「愛はあるのに世界がない」という言葉がしつこく繰り返されていたため,「下手な詩だなあ」と夢のなかでずっと思っていた.その言葉がどういう意味を持つのか,そのニュースと関係あるのか,しばらく分からなくて数日間悩み続けた.今朝の産経抄を見ると「今年の世相を表す漢字が『愛』だといわれても首をかしげるばかり。京都府宇治市にある学習塾の教室で、小六女児を刺し殺した男の顔写真を見ていて、『ゆがんだ』という言葉を添えれば納得できた」とあった.どうやらまた「予知夢」か?

そういえば,米国産牛肉の輸入部分解禁が先週発表されたとき,その話をしていた相手に「やった! ぜったい国内で BSE 牛が見つかったのを [政府は] 隠してるはずだよ!」と冗談を言ってたら,ほんとに千歳市で21頭目の BSE 牛が見つかったな.こちらは夢ではなかったけど.

目覚めたときになんとなく分かっていたのは,「愛はあるのに僕 (たち) の居るべき世界がない」という解釈だ.なんとなく分かるだけなので,説明は試みない.経済理論家としては,「愛はあるのに技巧がない」と言い換えたほうがしっくり来る気がする.詩としてもそちらの方が少しマシだ.読者は,なぜぼくたちが技巧を求めるのかなんとなく想像できるだろう.女児を刺した予備校講師は法学部の学生ということだ.女児に対するある種の「愛情」は感じないでもないが,あまりにも技巧が稚拙だ.ちなみに「愛はあるのに技巧がない」のは法学部出身者の多くに強く感じることだ (「法と経済学」の議論なんかを参照).でも,彼らには同時に「技巧はあるのに愛がない」とも強く感じる.(彼らは経済学こそ「技巧はあるのに愛がない」というにちがいない.) この段落でボクは何を言いたいのか.けっこう説明が面倒そうだし,うまく伝えられそうにないので,暗示するだけで終わろう.

ちなみにボク個人は学生をひとりも刺殺したこともないし殺そうと思ったこともないので,我ながら偉いと思う.(やや特殊な来歴のある自分のばあい,あまり殺意の欠落を強調すると,死活的に重要な抑止力が失われてしまって困るが.) 事件に便乗してさっそくボクが「ああいうほかの教員とちがって,ボクはキミを無事生きて帰してあげるから,安心してボクについて来たらいい」と (児童ではないが) 女子学生をデートに誘うとき,ボクの言葉にウソはないのだ.(ドライブ中のクルマが瀬戸内海に落ちるといった,想定外の事故というのはあるかもしれないが.) ♀学生も生命の安全だけは約束してくれるボクを心から尊敬して,きっとフェラチオでも何でもしてくれるだろう.犬も歩けば棒があたると言うではないか.人徳ある教員が誠意を持ってアドバンス (前進,口説き) すれば棒があたるということだ.

それにしてもその法学部生は困ったことをやってくれたものだ.報道によると,以前大学で財布を盗んだのが見つかって警備員を殴って停学処分を受けたことがあるらしい.ひとを殴るような人間が殺人をするのはいけない! ひとを殴る人間にはそうでない人間よりも高いモラルが求められる.どうしても殺さなければならないならば,女児ではなく大人を殺すべきではなかったか.困ったことというのは,今回の事件により「ひとを殴るような奴だから人殺しもするのだ」という誤解が生じて,予備校講師として就職するのがむずかしくなることだ.「記念に何人か大学関係者を殴ってクビになってしばらく無職で過ごして銀行預金がゼロになったら学校経営のコンサルタントか予備校講師になろう」といった人生設計を描いている大学教員は少なくないだろう.同僚を殴るだけで予備校講師になれなくなれば,彼らの人生設計が大きく崩れるだけでは済まない.大学にたいする「喝」もなくなってしまい,大学が衰退して困ったことになるのだ.

【2005/12/13 23:45 】
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ガソリンも入れないで「クルマが動かない」と言われても: 教授会から中継

先日は「GSM・経済学部 合同教授会」があった (注 1).平凡助教授のブログで宣伝した甲斐あって教員公募に応募が殺到し,経済学部は危機を脱出できたようである.ひさびさに米国トップクラス大学の PhD も採用できて,他学部ごとながら,なにか自分のいる大学の格が上がったような錯覚を覚えて気分がいいこのごろである.「学問の自由を徹底的に守る気概のある,研究熱心な優秀な方」が採れたかどうかは知らないが,採用された方は機会あるごとに原点 (=平凡助教授ブログ) に立ち返って,自由なアカデミズムのより完全な実現に向けて精進して欲しい.採用された一人一人に向かって繰り返そう.「キミの原点はこのブログにあることを忘れるな!

てなわけで経済学部のアップグレードで気分はいいはずなんだが,合同教授会の内容自体は相変わらず GSM をボロクソに言う教員がいたりして,あまり気分がいいものではなかった.以下,E1, E2, E3 は経済学部教員,M1, M2, M3 は GSM 教員の発言:

E1: マネ研の妻居先生の授業に学生から苦情が来ているんですけど.「学生をバカにしながら授業をしないで欲しい」と.

M1: どこに苦情が来てるのかい? ネット上の書き込みとか?

E1: ハローボックスです.

M1: 「ハローボックス」?

M2 (平凡助教授): (小声で) 学務の目安箱ですよ.

M1: ああ,しょうもない名前だね.苦情の内容,もう少し具体的に言ってくれないか.

E1: たとえば質問を軸に授業を進めるとおっしゃっておきながら,学生が実際に質問すると「何で質問するんだ」と文句を言われたといったことです.

M1: E1 先生,きょうのパンティーの色は?

E2: なにが言いたいんだ,あんたは?

E1: 水色ですが.それが何か?

M2 (平凡助教授): ふ~ん,水色ですか.ボクは白の方がいいと思いますけどね.

M1: あのね,学生の質問内容によっては文句言いたくなるという例を挙げようと思ったんだがな.

M2 (平凡助教授): だいたい水色ってのはなんていうか,あんまりエッチな感じがしないっていうか,なんて言ったらいいかなあ,ほら~.

M3: 本題に戻ってはいかがですか.

M2 (平凡助教授): (うるせ親爺め.本題に奇麗につなげようとしてたのに,ごちゃごちゃ言うから分からなくなったじゃねえか.) M3 さん,あんたは GSM の味方なのか,敵なのかはっきりしたらどうなの. ええと,まあ,E1 さんは相当心の広い方か鈍い方みたいだから怒らなかったけど,そういうくだらん質問する 学生ってのはいるよね.(いや,絶対妻居さんの方がくだらん反応をしたんだろうが. あのひとコンテクストとかけ離れたことよく言ってるからなあ.なにも目の前で学生をバカにすることもないだろうに.)

M1: 学生に調査するたびに,「経済学部の教員にいやみたらしい態度の奴がいるとか,教育者としての道徳感や資質に欠ける」 って意見がかなり出てくるけどな.

E2: ハローボックスに苦情が来るほど救いがない酷い例は,妻居さんくらいだよ.アンケートの苦情もぜんぶ マネ研教員にたいするものじゃないのか.非道で邪悪な教員はぜんぶマネ研の連中じゃねえの.ほうっておいたら レイプとかやりそうな殺人鬼ばかりじゃねえか.

M2 (平凡助教授): 目安箱にたまたま来た苦情一本を GSM 教員ぜんぶに一般化するなよ. だいたい,苦情を言って来るのは,どうにか改善できるかもしれないという希望があるから言って来るんじゃないの. (妻居さんのは心の病ぽいから,改善はできんと思うが.)

E3: 苦情の集め方は工夫しなければなりませんね.はてなアイディアみたいなのでいいかどうかは分かりませんが, もっと工夫は必要でしょうね.つまりですね (以下7分ぶん省略).

M1: しかし E2 先生も口が悪いね.自転車の交通整理をさせたりして教員を abuse している学部に言われたくはないよ.

M2 (平凡助教授): 枠入りの誤ったシラバス様式を教員に押し付けるような学部だし.印刷屋の使う style のガイドブック見れば,ああいう表形式はまちがいだとすぐ分かる.なんでも表にすりゃいいってもんじゃない.表のなかに縦線が許容できるケースはまず無いことも知らない奴らに言われたくないよね.おっと,シラバス様式は全学か.こりゃ失礼.

E3: あのうアビュースしているとご発音したようですが,アビューズすると言わなければならないんでは?

M3: サ行変格活用動詞「する」をつける名詞あつかいでは? それよりも E3 さんの謙譲語の使い方おかしいですよ.

E3: あ,そうですね.

E2: だいたい,そういう関係ない事例をもちだす時点で,マネ研の連中は態度が悪い卑屈で無法者な集団の連中てのが明らかじゃねえか.

E3: あのう,「連中」が重なっていますが.「集団の連中」ってのも…….

M2 (平凡助教授): GSM の特殊事情も分からないで,勝手な判断してんじゃないよ.俺たちは,ビジネススクールなの.組織内の問題行動者に対処するってのも自ら実戦訓練を積まなきゃいけないのよ.少しでも実戦訓練になるようにこうやって問題ケース作り上げ互いに錬磨してるんじゃないか.それも分からないのか,ボケ!

M3: えっ? そんな配慮をしていただいていたんですか? ファカルティ・ディベラプメントというわけですね.

E1: あのう,お話が拡散しているんですけど.

M1: え~と,なにあれ,ほら,水色パンティーのねえちゃんよ.

M2 (平凡助教授): 「ハローボックス」でしょう.(あんまり繰り返させるなよ.このしょうがない言葉を聞くたびに,これを発案した S さんの苦悩の教授会発言がひとことひとこと蘇って涙が零れ落ちそうになってしょうがねえじゃないか.あの学生に熱心に心理相談を受けさせた S さん---けっきょくその学生は講義棟から飛び降り自殺することで幕が下ろされたのだが.)

M1: で,そのハローボックスのことは妻居さんには伝えたのか.

E1: お伝えしたら,怒って授業を放棄するとおっしゃって来たのです.

E2: サイテーだね.マネ研が責任取れよ.

E3: 妻居さんはご病気ですから周囲の理解が必要なんですよ.

M2 (平凡助教授): E3 さん,あんたはどっちの味方なんだ.でも,そうだよ.「彼はそういう反応をするものだ」と こちらの期待レベルを低めにしておけば,べつに危害を加えられるわけでもないし.なんの問題もない.(ホントか?) だいたい,こういうのは往々にして苦情を言う「お客」側にも問題があるじゃないの. 「お客様第一」とか言うけど,市場観としてはおかしい.対等な個人というのが市場の関係だから. 契約が守らずに文句を言ってもね.

M3: 「契約が」ではなくて「契約を」ですよね? 契約を守らないとは?

M2 (平凡助教授): というか,「取り扱い説明書に反する使い方をして文句を言ってる」と言った方が分かりやすいかしらん.ガソリンを入れないで「クルマが動かない」と文句言ったり

E3: お湯をかけもしないで,「このカップラーメンは食えたものでない」と言ったりそういう初歩的なことも自分でやらないで,文句を言ってる学生というのは確かにいますね.ですから,ハローボックスではダメで,はてなアイディアのような仕組みが必要だと申しているのです.

E1: ですけど,それは事前にすべきことの議論ですよね.妻居先生がすでに授業を放棄されたからには,事後的な対策を考えなければならないんではありませんか?

トひとつの配分問題の解決に向けての交渉が始まる.

ガソリンなしにはクルマは動かない.ガソリンなしにはクルマは動かない.ガソリンなしにはクルマは動かない.ガソリンなしにはクルマは動かない.学生の皆さん,授業を受けるからには,最低限の予習復習はしましょう.単位制度から言って,授業90分にたいして予習復習4時間はするというのが「契約」です.自分が契約内容を守って初めて,相手が契約を守っていないと苦情を言う資格が得られるのではないでしょうか.

注 1: GSM は地域マネジメント研究科の略称.経済学部との合同教授会なんてものはかつて存在したことがない.将来も存在しないだろう.よって,この文章は (部分は別として) 全体としては事実とは関係ないと思ってもらっていい.あくまでも教授会の雰囲気をありのまま伝えることが目的である.この他に,専門能力の欠如を互いに非難し合うといったことは業界人ならだれでも経験しているだろう. (あるいは専門自体の攻撃も: 「お絵描きしてりゃいい,バカでもできる分野じゃないか」とか「訓古学で『研究』とか言ってるんじゃないよ」とか.) 採用決定者が心構えをするための手助けになれば,筆者にとってこれ以上の喜びはない.

【2005/12/04 19:08 】
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