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構造と意味: 公理とそのコンテクスト

最近,公平配分にかんする担当科目の単位数を2単位から4単位 (2単位×2科目) にすることを希望として出した.研究科開設当初から 4単位を主張していたのだが,「一科目あたりの単位数は2単位」というよくわからない理由でこれまでは認められなかった.来年度以降,2単位科目を複数担当する教員が増える.今度は認められるのではないか.

もし4単位になれば,もう少し新しい話題を取り入れたりして内容を充実させることができるかもしれない.たとえば Moulin (2000 Econometrica) Priority rules and rationing methods の Section 5 にある Theorem 1 を内容にふくめようかどうしようかなどと考えている.非分割財のケースで,優先順位による配分方法を特徴づけた定理である.その話を書いてもいいんだが,費用配分の公理的分析について次の少し妙な問題があるので,そちらを書こう.

3人でみかんを3個,5個,7個ずつ買うことになった.単なる客寄せか利益の地元還元か何なのかは知らないが,3人のグループで買えば10個まではタダで,11個目からは1個につき100円であるという.各自は何円ずつ払えばいいか? Moulin と Shenker の提案した serial cost sharing にしたがえば,それぞれ 0円,150円,350円となる.3個しか要求しないひとは何も払わないことになっている.

3人でメロンを作ることになった.仕事の投入量は,3, 5, 7 単位である.投入した仕事の最初の 10 単位はペーパーワークなどに浪費されてメロン生産にはつながらず,それ以降の1単位につき100個づつ生産できるという.各自は生産された 500個 (メロン現物でなくて換金したものでも同じこと) を何個づつにわければいいか? 特に,3単位しか仕事を投入しなかったひとには何個のメロンを与えればいいだろうか?

1つ目の問題は費用関数が C(z)=100 max{0, z-10} (z はみかんの個数)で,
2つ目の問題は生産関数が F(z)=100 max{0, z-10} (z は仕事の投入量) で表される.構造的にはまったく同じ問題である.前者では 3 個しかみかんを要求しなかったひとは支払いを要求されないのが自然で,後者では3単位しか仕事をしなかったひとがメロンをもらえないのは不自然ということになっている.読者も同感だろうか? それとも両方の問題はやはり同じように扱うべきだと考えるだろうか?

最初の問題で,3個しか要求しない人は何も支払わなくていいという条件を詳しく見てみよう.これは各人 i が払うべき額 yi はたかだか (n 人いる) 全員がそのひとと同じ要求 xi をしたときに払う額を人数で割った額に等しいという条件 (Unanimity Upper Bound: yi =< C(nxi)/n) から来る.上記の問題では,全員が3個のみかんを要求すればぜんぶで 9 個になりタダだから,もともと3個しか要求しなかったひとは何も払う必要がないことになる.なお,この条件は限界費用が増加する費用関数を想定している.

Serial cost sharing は,この Unanimity Upper Bound などの条件を満たすように作られたコスト分担方法である.Unanimity Upper Bound という公理を見て,ボクは「こんなのでも公理になるのか」と直感的に思ったが,まあ,「みんなの××が同じであれば」という操作は公理を作るときの常套手段であるからいいだろう.同僚が問題なく受け取れるようなものも,健康などの理由であまり求めもせずに生きて来た自分である (たとえばいまの大学に就職してからの海外渡航回数は2回のみ).もしかしたら,自分のかかわるなんらかの交渉に使える日が来るかもしれない.それより注目すべきは,それによってできた公理が,コンテクストによって自然なものになったり,そうでなくなったりする例になっていることだ.

世界は構造だけでなくて意味も持っているということかも?

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【2005/11/26 06:38 】
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信仰とは

深夜,市内のラーメン屋でのできごとだ.鶏の唐揚げを注文したんだが,あとから店に入った客に同じ品が先に行ってしまった.店長を呼んでそのことを伝えると,「もうちょっと待ってくださいね.すぐ持ってきますから」と言う.2分待ったが,まだ唐揚げは出てこない.店長のところに駆け寄って,

「どうなってんねん.なんであとから注文した客の方に先に行くんや.『すいません』じゃわからんだろ,ボケ.『どうなってんねん』言ってんや.説明してくれへんか」

とまくしたてた.店長は「こちらのミスでした.すいません.次回からは気をつけます.あと少しだけ待ってください」と答える.「なに言うとんや.次回じゃ遅いて.説明になっとらんやねえか.こんな店つぶしたろか,なあ.」しばらく店長を捕まえていたが,これ以上苦情を言い続けてもしょうがない.二人分のラーメン代は払わずに店を出た.連れの女も慌てて店を出て行った.

隣のテーブルではじまったこのエピソードの一部始終を見ていたボクの連れの女子学生は,「あれは女が悪い.あんな男,私だったらその場で別れる」とつぶやいた.「えっ?」とボクは驚いてしまった.

苦情を言って店を出た男は,見るからにチンピラ風の男だった.そんな男の女になっていながら,こういう出来事くらいで別れるというのでは,あまりにも愛情が足りない,より正確には信仰が足りないのではないか.女はその男の感受性の強さを理解した上でいっしょになったはずだ.理解せずにいっしょになったとしたらたしかに女が悪いが,悪い理由は予想力の欠如である.感受性が強い人間が起こしそうな行動は正確に予想した上で,いっしょになって欲しいものだ.そしていっしょになったからには,ギリギリまでその男を信頼して支えるのが理想の連れというものだろう.

これは「信仰」の問題である.この程度でつまずくようでは,信者としての資質がないと思われても仕方がない.自分なら,師と仰ぐ者が準強制わいせつで捕まろうと,電車で痴漢をしようと,アカデミック・ハラスメントをしていると言われようと,殺人を犯そうと,そんなことはまったく気にかけない.「うまいラーメンも食べたことだし,じゃあこれからラブホでも行こうか」と突然女子学生を誘っても,自分ならなにも動じない.そんな非本質的なことで信仰が揺らぐことはない.自分がひとを信頼するとはそういう意味だ.

残念ながら,そのよそ者であろう男に希望はあまり感じなかった.「先に注文した客に先に出す」というのはそれほど重大な約束ではないと思う.そこのところの優先順位の判断ができるともっと「希望」が出て来るんだが……それは女の「愛」で支えてもらいたい.その女は少なくとも「信仰」はあるのだから……「信仰」を理解するにはまだまだ遠そうな連れをまっすぐ家まで送り届けつつ思うボクであった.

おまけある社会学者のブログで見つけたブラック・ジョーク:

「では、信仰は持たないが、希望と愛のある人間は地獄に落ちるのかね?」というバーナード・ショウの質問について,あるインド人思想家は答えた.
「ショウの言うことは正しい。知恵と希望はあっても、信仰を持たない人間は間違いなく地獄に落ちるだろう。なぜなら、天国は神を信じる人たちの場所だからだ。」
「だが」として彼は続けます。
「その人間は、地獄に送られたあとも、知恵と希望でもって、地獄を天国以上にすばらしい楽園に変えていくことだろう」と。

【2005/11/24 19:41 】
| 女子学生とつづる純愛アルバム | コメント(2) | トラックバック(0) |
香川大学教育学部: 今回はすばらしい教員

「香川大教育学部の男性講師(50)が、学生とのトラブルなどを理由に無届けの休講や授業の中断を繰り返し、再三にわたる改善要請にも従わなかったとして、今年九月に同学部が辞職勧告していたことが十一日、分かった」(四国新聞) らしい.ふむふむ,あの大学の教育学部のことだからべつに驚きはしない. 「講師の授業を履修した学生は一九九九年度以降の七年間で十六人いたが、単位を取得した学生はゼロ。期末まで授業が続かず、単位認定の重要な資料となる試験やレポート提出の段階までいかないケースも多かった」という.

7年間で単位取得者ゼロ! すばらしい! ここまで徹底できる教員は滅多にいない!

しかしね,正直思うけど,ボクの授業でも本来のレベルの内容をやって単位制度の規定に従ってまともに点数つけたら,ほとんど単位取得者がいなくなるはずなんだけど.この講師はもしかすると,きちんと単位制度に則ってまともな内容を教えようとしたから,こういう結果になったのかもしれない.だとしたら間違っているのはわれわれ多数派の方だ.この教員は,じつはすごく研究のできる優秀な学者かもしれないな.ま,たぶんちがうだろうけど.たとえすばらしい学者でなかったとしても,ここまで自分の方針を徹底できる人はボクは尊敬したい!

じつは今朝このニュースをチェックする前に以下の文章を作成していた.この問題学部の話である.

香川大学教育学部のアカデミック・ハラスメント (事実かどうかは調査中につき不明) にかんする記事にたいして,ちょっとした反響があることを知った.『香川大学教養教育研究』第4号 (1999年3月) の「編集後記」のことである.

「ただ,香川大学教育学部というところは,経済学部の西山一郎教授が『教養教育研究』かなにかの編集後記に書いた教育学部の大昔の思い出にいちゃもんをつけて回収させた,言論弾圧の前科があるおかしな学部だ.」

これを見て,西山という教授はそうとう酷いことを書いたのではないかと誤解した人がいたようだ.事実は,委員長のお詫びにあるように,「特定個人及び特定学部に対する批判的見解」にすぎないものであり,名誉毀損の類いとはみなしがたい.(「編集後記に私的見解を載せてはいけない」という委員長の見解の方がよほど珍しい,極めて私的な見解だと思うが.) 教授が執筆当時の教育学部ついて「批判」した内容とは,同じ雑誌の第3号にすでに掲載されていたまっとうなものを引用しただけのものであり,それ以外の「批判」は教授 (すでに退官) が学生時代に受講した一般教育の特定科目にかんする思い出を綴った大昔の話である.

編集後記についての「お詫び」と差し替え前の「編集後記」を掲載しておくので,関心がある方は自分の目で判断されるといいだろう.

ほぼ記事ができあがったところで,どこからか入手してスキャンして pdf にした「お詫び」と「編集後記」をアップロードしようとしたら,ここのブログは pdf をアップロードできないことが分かった.jpeg に変換したら今度はサイズ制限に引っかかった.べつに機密事項とはどこにも書いてないし,苦情があれば削除する用意はあるのでやろうと思ったんだが,面倒になってしまったので今回このカードを切るのは止めておく.というわけで,事実を確かめたい人は香川大学にでも行ってみるといいでしょう.ただ,西山教授の編集後記に

「[西山教授が学生時代に授業を無断で休講しまくって (パチンコ屋に浸っていると噂されて) いた哲学教授] のような授業を許していた当時の学芸学部の教授会には governance があったのだろうかという強い疑問をもった」

とあるのは興味深い.上のニュースを見るに,この大学の教育学部は「当時」も「今日」もたいして変わっていないということか.

【2005/11/12 13:10 】
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平凡な日々,経済学リソース,非分割財配分,エルサレム

最近は授業の準備・授業・授業の後処理を中心とする平凡助教授な日々を送っている.夏の終わりにはべつの女子学生と行ったことになっている北海道旅行のブログ記事のことで,「セクメ」 (セックスメートのことらしい) の女子学生に責められもし弁解もしたが,それも過去のこととなってしまった. (「あの子は名古屋のひとだからめったに会わないし,たまにはいいじゃないか」などという弁解の仕方がまずかったのか?) 授業の背景知識をつけるために,ゆっくりとサーベイ論文を読んだりしている. (「それに,もしかしたら男性だったかもなあ」などといい加減なことを言ったりね.) メールで送られてくる学術ジャーナルの目次さえ学期中には目を通せなかった数年前よりは,まともな日々を送っている.あのころは夜間の授業をやるにも前日の正午ころから36時間くらいは起き続けてということが普通だった. (「私以外とエッチしてるんですか」っていってもねえ.) 最近それをやろうとすると,ぎりぎりまでやらなくても授業の準備が済んでしまうので,また寝てしまうことが多くなった.無理が利かなくなったのかもしれない. (だいたい「セクメは恋人じゃないよ」と言っていたのは彼女の方だったのに…….) 当日と前日以外もやっていたことも知らずに「そんなに時間がかかるのか?」と思うひともいるだろうが,はじめて勉強する分野のテキスト読んで LaTeX というタイプセッティングソフトウエア使って授業あたり6ページは下らないノートに数式たくさん打ち込んで演習問題つくって授業後は授業のやりとりをもとにノートを改訂して…… (もっともボクは恋人の気分だったのだ.また寝たい.) なんだ自分は PowerPoint スライド30枚を毎回準備してるぞたいしたことないじゃないとバカにされそうだがそうそう数式打ち込むのはかなり骨が折れるんだよだいたいボクのノートは意味も通って論理展開もなきゃいけないわけでキーワードだけ書いて視覚的に把握しやすいというだけじゃだめなんだと弁解する. (「ホントはひとりで行ったんだ」などと弁解すると……) 今学期は無理をしないことにしている.今学期は,以前打ち込めなかった宿題の解答を打ち込んだりしている.これも手書きだと簡単だが,入力は面倒だ.苦労して打ち込んだところで将来何回使うことがあるんだろうか怪しいなあと思いつつやっている. (もっと怪しまれたり.)

その傍らで,新進気鋭の経済学者らと情報交換したりもしている.インタネット上のリソースなんかの情報は,そういうひとたちの方が格段に詳しいという感じがしていたが,そういうわけでもなかった.読者サービスとして,意外と知られていないことが判明した情報をいくつか載せよう.ちなみにボクの場合,10年前に高松に来て以来ずっと副手 (助手) に論文コピー (電子版以外) を頼んでいたので,自分が図書館にジャーナルをチェックしに行くのは年に1回程度だった.マネジメント研究科に移ったあとは,経済学部がひとりも副手を渡さなかったことで状況は悪化した.しかし,最近の経済学論文はほとんどすべて家から全文ダウンロードできるのであまり問題ない.政治学とか数学などの他分野や古い論文になると問題が出てくる.去年は,たまたま非分割財の研究をしていた大学院生に古い関連論文を集めさせた.そういえば,家から電子版ジャーナルの全文にアクセスできるようなシステムは自分のところでは聞いたことはないとある有力大学のひとは言っていたが,本当だろうか.

  • Handbooks of Economics の電子バージョンについては以前だれかがコメントしてくれた. ScienceDirect に載っているはずなんだが,国内の大学で購読しているところはあるのだろうか?
  • SpringerLinkHistorical Archive は,Return: Publications としてジャーナル名をサーチすれば要約は見れるだろう.問題は,わが大学では全文は見れないことだ.きっと Historical Archive を購読しているだろうと思っていた前出のトップクラスの大学の研究者は,その存在を知らなかった.わが大学と同様,全文は見れないのかもしれない.しかし,Abstracts だけでも有用な場合もある.たとえば IJGT (International Journal of Game Theory) のばあい,Historical Archive に volume 27, Number 1 (1998) 以前が現在おさめられている.経済学の有名なデータベースである EconLit が IJGT をカバーしているのは 1987年 (?) 以降だけなので,EconLit ではヒットしないペーパーも検索できる (しかも全文を) というわけだ.
  • おまけとして,amazon.co.jp が (アメリカでは以前からあった) 「なか見!検索」という全文検索サービスを始めたことを挙げておく.サービス開始の今月1日,Alan D. Taylor の Social Choice and the Mathematics of Manipulation のページで偶然そのサービスに気づいたボクは mihara (「有名な」社会選択理論家のファミリー・ネーム) と入力してみて,検索ができるのを確認した.一冊の本につき何ページ分かは知らないが,ページスキャンも見れたのはちょっとした感動である (ただし amazon.co.jp での購入歴が要る).

かなり専門的な話になるが,ここのところ盛り上がっている非分割財配分あるいはマッチングの理論に関しては以下のようなソースがある.

  • 16TH JERUSALEM SUMMER SCHOOL IN ECONOMIC THEORY ON "Matching, Auctions, and Market Design" JERUSALEM, July 6-15, 2005. レクチャー用のスライドなんかが入手できる.残念ながら動画の方はボクのところでは不安定.参加者には日本人らしき名前がちらほら.おそらくこのブロッグの訪問者もひとりくらいは混じっているかも.だれかが日本語でエルサレムのこのセミナーについて書いてるかもしれないが,ボクは知らない.
  • JERUSALEM SUMMER SCHOOL の内容はおそらくアップデートはされないだろう.一方,Alvin Roth の Market Design の教材は近い将来に渡って最新のものに改訂されるんではないか (現在は Spring 2006 とある).Tayfun Sonmez のサイトにも上記 Summer School のスライドがいまは置いてあるようだ.
  • 内容は古いが,マッチング理論にかんして現状ではまだおすすめできるという入門あるいはサーベイを列挙しておく:
    • 船木由喜彦. エコノミックゲームセオリー: 協力ゲームの応用. SGCライブラリ11. サイエンス社, 2001. 7章.
    • H. Moulin. Cooperative Microeconomics: A Game-Theoretic Introduction. Princeton University Press, Princeton, 1995. Chapter 3.
    • Alvin E. Roth and Marilda A. Oliveira Sotomayor. Two-Sided Matching: A Study in Game-Theoretic Modeling and Analysis. Cambridge University Press, Cambridge, 1990.
【2005/11/11 00:48 】
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