スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】
| スポンサー広告 | コメント(-) | トラックバック(-) |
判断の集計: わいせつ教授の処分問題

データサイエンスや曰月 (いわくつき) 教授の処分問題,そして (離散数学の) 授業の話が出たついでに,それらにかかわる最新の社会選択の話題を提供しよう.哲学的志向の強い社会選択理論家の間で研究の最前線になっている judgment aggregation (「判断の集計」と訳すのかしらん) というテーマである.社会選択理論の登場が20世紀半ば,数理論理学の登場がさらにだいぶ前ということを考えれば,なんで今頃こんなことがホットなテーマになるんだと思わせるような古そうで新しいテーマである.

数学の授業で真理値表というのを見たことがあるひとは多いだろう.命題 p, q の真偽の組み合わせに応じて,たとえば p→q という命題の真偽は以下のように定義される (T は真で F は偽を表す; p→q の真偽がやや左に寄っている; 現時点では「人数」の列は無視せよ):

p q p→q 人数
T T T 4
T F F 2
F T T 0
F F T 4

すなわち「もし p ならば q」を意味するところの命題 p→q は p が偽であれば自動的に真になる.たとえば
もしオレがお前のオトコだったら,オレはお前にこどもを堕ろさせない
という命題は,(その発言者が過去どれだけの女性を妊娠させ堕胎させた実績があっても)「オレ」が「お前」の「オトコ」でない限りウソとは言えないので,「真」と見なすわけだ.(じつは p が偽であれば自動的に p→q を真になるものとして---つまり p→q を material conditional として---扱うことが問題の源泉のひとつになっている.)

いま命題 p, q の真偽について判断が分かれているとする (命題というのはふつう「客観的に」真偽を判断できるはずなんだが,そこはおいておいて).上の表の「人数」とは,それぞれの行の真偽の組み合わせを支持する人々の数とする.いま,各列ごとに多数の判断を取ると,以下の表を得る (最後の行はその判断を支持する人数):

p q p→q
T F T
6 6 8

「(真理値表上) ありえない」真偽の組み合わせが実現する.つまり,過半数である 6 割が命題 p を真と,8割が p→q を真と判断しているのに,q を真とする者が半数いないという非論理的なことが起きている! これを discursive dilemma と呼ぶ (和訳は知らない).

じゃあ,どうすればいいか? 代表的な答として,
(i) 命題 q だけについて多数決で判断する (p と p→q にかんする多数判断は無視) conclusion-based procedure (結論を基にした手続き) と
(ii) 命題 p と p→q だけについて多数決で判断し,それからの論理的帰結で q または その否定を決める premise-based procedure (前提を基にした手続き)
というふたつが考えられる.これらの手続きでたしかに論理的な結論は出るが,今度はちがう問題が出て来る.じゃあ,その問題も取り除く方法はあるか? それは出来ないというのが「不可能性定理」である.不可能ならば,じゃあどこまでが可能と言えるのか……という具合に社会選択理論のお決まりのパタンで研究は進んで行く.(たとえば最後に挙げた最新のペーパーを参照.私は読んでないけど.)

そもそもこんなことが問題になるような現実的な例はあるのだろうか? もちろん yes だ! じつはさいきん準強制猥褻容疑で逮捕され平成香川大学で問題となっている曰月教授の件が,ほとんど完璧な例を提供している.いま上記の命題が表す内容が以下のものだとする (厳密な意味では命題になっていないが):
p: 曰月教授の行為は基本的に研究の一環として (同意を得るなどしてひとの権利を侵害することなく) 行われた.
q: 曰月教授は大学に残ることができる (懲戒解雇できない).
p→q: 曰月教授の行為が基本的に研究の一環として行われたならば,曰月教授は大学に残ることができる.

曰月教授の処分は学長と理事と学部長ら 10 人による会議で決められるとする.平凡な一助教授に会議の詳しい中身が伝わるはずもないが,おそらくそれぞれのメンバーの判断は (非論理的でないとすれば) 最初の表に与えられたようなところだろう.(この種の犯罪は繰り返されるはずなのに,ひとりの女性以外からの苦情が聞こえてこないとか,さまざまな情報からの推測.たとえば,教授の行為が研究の一環でなかったと考えるメンバーはすべて懲戒解職を支持することになっている.教授の行為が研究の一環であると認めるにもかかわらず教授が残るべきだないと考えるメンバーは,「大学の名誉」といった研究以外の条件を考えているため p→q を受け入れないなど.)

曰月教授が逮捕された直後の初期の段階では,conclusion-based procedure により q の真偽,つまり教授を解雇するかどうかが焦点だった.解雇すべき (大学に残すべきでない) という声が過半数あった気配が強い.単純な話だ.しかし時間が経つに連れて,そういった判断様式は他の研究者の「学問の自由」に与える影響が大きいことが認識され始めた.このばあいは premise-based procedure のほうがふさわしいと思うメンバーが増えて来たのである.

前提のうち命題 p→q をより一般的にした「わが大学教員の行為が基本的に研究の一環として行われたならば,その教員は大学に残ることができる」という主張を大方の大学人は支持するだろう.そうなると焦点は前提 p 自体 (研究の一環だったこと) の判断である.それには事実を見極めなければならない.訴えた女性と教授の間に意思疎通の失敗があるのは明らかだ.裁判が続いている間に簡単に p を否定してしまうのは拙速であり,研究の自由が失われるおそれがあまりにも大きいのだ.

ふうむ,なんだか論文にでもなりそうな勢いだな,この記事って.だれか以下の論文でも参考にして,曰月問題を社会選択理論的・論理学的に分析してみてはどうだろう.

参考: Judgment aggregation in general logics Date: 2005-05-18 By: Franz Dietrich (University of Konstanz, Germany) URL: http://d.repec.org/n?u=RePEc:wpa:wuwppe:0505007&r=cdm Within social choice theory, the new field of judgment aggregation aims to merge many individual sets of judgments on logically interconnected propositions into a single collective set of judgments on these propositions. Commonly, judgment aggregation is studied using standard propositional logic, with a limited expressive power and a problematic representation of conditional statements ('if P then Q') as material conditionals. In this methodological paper, I present a generalised model, in which most realistic decision problems can be represented. The model is not restricted to a particular logic but is open to several logics, including standard propositional logic, predicate calculi, modal logics and conditional logics. To illustrate the model, I prove an impossibility theorem, which generalises earlier results. Keywords: judgement aggregation, discursive dilemma, modelling methodology, formal logics, impossibility theorem JEL: D6 D7 H

スポンサーサイト
【2005/06/06 02:23 】
| 社会科学 | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。