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ガンバレ経済学科! 4人も公募とはなかなかやるじゃないか

さて,わが大学の「研究成果の地域への還元活動調査」への返答に以下の項目があったことは記憶に新しいだろう.その背景には,たとえば今年度3月に経済学科から一度に4人の教員が抜けて16人になるに至った (併任教員としては見過ごせない) 危機感があった.

テーマ及び講演内容
テーマ ますます衰退する平成香川大学経済学部
内容 つぎつぎと人材が流出する経済学部.これでまともな経済学教育はできるのか.もと経済学部教員が客観的に語る.
対象者 高校生,予備校生,高校教員など
講演可能時期 相談可
必要とする条件、その他事項 22:00 から翌日4:00 の間.講演料は一時間あたり100万円以上を条件.

経済学部のホームページにきょう発表された「公募情報」を見ると,経済学科はミクロ経済学,マクロ経済学,政治経済学をふくむ 4 人を公募するということである.理論分野の応募者でも,応用分野の科目も担当できるのが望ましいとしているところが目新しい.ミクロとマクロの両方を要求しなくなったのも新しく,志願者の実情に近づいたといえるだろう.この公募により,経済学科の危機はいちおう遠のいたと言えるだろう.まさか人が採れないということはあるまい.そこまでは堕ちていないと思う.学問の自由を徹底的に守る気概のある,研究熱心な優秀な方が来ることを期待する.(とはいうものの研究をサポートできる [少なくとも邪魔しない] 環境を経済学部は整えているのかは自分は知らない.)

大学図書館のホームページに電子ジャーナルリストがある.応募者は採用までのある段階でそれを参照するだろうが,存在するはずの Econometrica が抜けていたり,Subjects の選択が悪い (たとえば経済学分野の分類の仕方とか,Economic Theory. Demography (74 Journals) に挙げられているジャーナルの選択) などの不備があるので注意.

それにしても,提出書類からいつのまにか健康診断書がなくなっている.よいことだ.応募資格と提出書類がかみ合っていないことを約十年間指摘し続けて来た自分としては,この対応の遅さを思うだけで気分が悪くなるが.対応の遅さと言えば,経済学部のホームページに今年度授業科目のシラバスがはじめて載ったのは 6月6日ころだったような.その次の日には,自分の教養科目は期末試験をやったんだが.学部開講科目じゃないからいいけどね.

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【2005/06/21 21:19 】
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夏だ! そろそろ更新頻度を落とすぞ

しばらく前から Information 欄に「2005年7月以降は月1, 2 回ていどの更新を予定.更新情報を得るには,Bloglines あたりで閲読登録でも」とあったとおり,今後は記事の投稿の頻度を下げようと思う.コメントせざるをえないような悪いニュースが前触れもなく頻繁に入って来る大学そして社会にいるからじっさいにどうなるかは分からないが,月に1から3本程度の記事を載せることになるんではないか.古い記事を熟読するような趣味のないひとは,Bloglines のような更新情報提供サービスに登録するなり,それと似た機能を持つ Safari RSS のようなブラウザを使うなり,訪問頻度を落すなりしたほうが無駄が少ないだろう.

ここ数日,このブログの Google でのランクが以前と比べてガクンと落ちている.ランキングのアルゴリズムに変更があったのか,fc2 がランキングアップの細工(?)をやめたのかは知らない.いずれにせよ,検索でこのページを探して来訪するやり方ではすぐに戻って来れなくなる可能性があるので注意.

振り返れば,この weblog を開設したときに思い浮かべていたネタは8割がた掲載してしまった (実際の記事はブログを開設した後の思いつきが多いが).いい気分だ.これからは心おきなく研究に専念できるというものである (2学期がはじまるまで).昨年夏に
ペーパー (論文) 書いてくださいよ
と言っていたコロンビア大学の準教授を思い出す.(「もっと書いてください」ではなくて,「書いてください」だったような.) 分野の近いこの日本人にボクは本音では
「そんなにペーパー書かないでくださいよ.差がますます広がるじゃないですか!」
と応えたいところだったが,それは学問の発展を阻害する態度にあたるので,誤解を受けやすそうな立場にいた自分はそうは応えなかった.というのは冗談で,北米組にたいして「ますます差がついて困る」なんてことは,本音でもなんでもない平凡な平凡助教授である.

とはいうものの,研究以外に片付けておきたい仕事が山積みだ.大学サーバーに置いてある個人サイトの粛正をしなければならないし,溜まった雑誌を処理しなければならない.読みたいビジネス書とか教育書その他いろんな分野の本も溜まっている.現在進行中の研究とあんまり関係ないペーパーも少しは読んでおきたい.春休みに届いた iBook G4 (ノートブックパソコン) とか iSight (ビデオカメラ) とかシュレッダーを早く箱から出さねば.(日本選挙学会のいまの事務局長の智子さんに譲ってもらったファックスは接続しないまま 3 年経ったし.ほかにも購入したが何年も手つかずのパソコン周辺機器なんかがいくつかある.そういうことにならないようにしなければ.) 古いパソコンのデータ消去とか写真の整理は無理だろうな.ついでにルーツ探しに国後島出身香川県詫間育ちの祖母の郷里を訪ねる計画も無理っぽい,クナシリはもちろん詫間の方も---ルーツが分かったら未来が開けるような気もなんとなくするんだが.古い書類の pdf 化なんてことはほとんど考えていない.

完全な心の安らぎを得て研究に向かうというのは,やはり無理なんだろうなあ.いつも心のどこかに引っかかったものを持ちながらひとは生きて行かねばならないのか.でも,書きたかったネタの大部分を書いてしまったというこの爽快感を得られただけでもハッピーと言えよう.

【2005/06/20 20:37 】
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大学評価・学位授与機構は社会主義者の陰謀か?

以下にコンテンツ相互提供を合意した提携サイトから削除されたエッセイをそのまま掲載する.文章自体は古いが,大学評価・学位授与機構というやつはまだ消滅していないので,今日的意義は失われていないであろう.


大学評価・学位授与機構は社会主義者の陰謀か?
2003年2月27日
by 三原麗珠

"Windows"という集産主義(colletivist)仕様のオペレーティングシステムを使わなければすぐには解凍できない圧縮ファイルから現れたのは,ほんの数ページの文書ファイルだった.わたしたち研究者はあきらかに官僚的発想でつくられたこのファイルの悪趣味な書式にしたがって「個人別研究活動判定票」を作成しなければならないのだ.それぞれのページのほぼ全体は可視的な太い枠で意図的に囲まれており,わたしたち研究者がその枠からはみ出すことにたいしてあからさまな脅しを突き付けている.刑務所の独房を思わせる束縛的な表で占められた第1ページは,文書の様式は旧式タイプライターで打てるようなものが基本であるという学界の伝統を無視し,学者たちを惑わして集産主義思考に陥れその枠にはめ込もうとする官僚主義者の陰謀に満ちあふれている.「代表的研究活動業績」を記入するというその表の醜さは,論文の文献情報を記入する枠がページ幅の3分の1もないことに端的に表れている.

一本の論文の文献情報のために,彼らはわたしたちを何度改行させれば気が済むのだろう!

そもそも研究評価は,研究者間・大学間の相互評価で行うはずではなかったのか.なんで「大学評価・学位授与機構」という政府系機関が介入するのだ! 溢れる怒りを抑え,半ばあきらめた気分で私は政府の「分野別研究評価」のための文書作成に着手した.

次の疑問が私を襲うまでにほんの数秒もかからなかった.
「私はいったい何人分の書類を用意すればいいのだ?」
日本人の研究者の多くは,日本語で論文を発表するときは漢字と仮名で名前を書き,英語で発表するときはローマ字で名前を書く.英語の論文の著者名を漢字と仮名で通そうとする者は少ない.そのような研究者の著作を引用するときは注意が必要だ.日本人であるかどうかは不明だがたとえば"H. Reiju Mihara"という著者による文献の著者を「三原麗珠」と引用しては技術的に正しくない.この考えにしたがえば,氏名欄に「三原麗珠」と書いてしまっては H. Reiju Mihara による著作を載せられなくなる.すべての著作を載せるためには,漢字表記とローマ字表記の両方で氏名を書かなければならないはずだ.ところが大学評価・学位授与機構によるその書式では,氏名を書く欄がひとつしかなく,どうやって表記すればいいのかはっきりしないのだ.いろいろ迷った挙げ句,私は"H. Reiju Mihara (三原麗珠)" という表記で1通だけ書類を作ることにした.外国語と日本語の両方で論文を書く学者は,大学評価・学位授与機構にとってやっかいで迷惑な存在ということなのだろう.

間もなくその次の疑問が私を襲った.「現在の専門」を書く欄があるのだ.しかしその一方で業績は過去5年のものを書くようになっている.「5年」という不吉な数は社会主義経済の「5ヵ年計画 (Pjatiletka)」から来たのであろうが,それはとりあえず置いておこう.評価は申し出た「現在の専門」にしたがって行われるはずだ.しかしその現在の専門が過去の業績とまったくちがうことは大いにありうる.そのようなばあい正直に現在の専門を申告してしまえば,ちぐはぐな評価を受けることになるだろう.ただしく評価されるためには,うその専門を申告しなければならないのだ.これは大学評価・学位授与機構の初歩的な設計ミスでないとしたら,何か隠された意図があるはずだ.政府がいったん与えた専門を学者が勝手に変えることのできない計画経済型の大学システムを構築しようという陰謀が,そこに読み取れる.

大学評価・学位授与機構の用意した醜い書式の問題点は上に留まるものではない.書式のさまざまな問題点は,それじたい大学評価・学位授与機構をあやつる者たちの陰謀を間接的に顕わしている.しかし大学評価・学位授与機構による研究評価は,もっと直接的で根本的な重大な問題をはらんでいる.それは歴史の歪曲である.社会主義者・集産主義者の都合に合わせて大学の歴史が書き換えられようとしているのである.つぎにそれを暴こう.

社会選択理論の基本的メッセージのひとつは,個人と同様の合理性を集団には期待できないことである.その基本的メッセージを持ち出すまでもなく,集団が「意図」を持つなどと考えるのは無理があることはだれでも分かるだろう.「意図」とは単にある主体が合理的・整合的に行動できることをさす概念ではなく,その主体が意思をもって行動することを示唆する概念だ.しかし集団は意思を待つような主体となりえるとはとてもいえない.それ以前の問題として,集団は合理的・整合的な行動さえとれないのだから.しかし大学評価・学位授与機構の「自己評価実施要項」(平成14年12月)には
「『研究目的』とは,研究活動等を実施する全体的な意図を……いいます」
(たとえば15頁)とあり,あたかも大学や学部や研究科が「意図」を持つ主体であるかのような語法が用いられている.(おそらく大学評価・学位授与機構自体がある意図にあやつられた存在だから,そのような語法が自然に出てくるのだろう.) その記述は単なる語法と呼んで済ませるには問題が多すぎる表現である.それぞれの学部はその「研究目的」を書かなければならないようになっているからだ.その記述ゆえに,研究者たちは多大な時間を割いてその学部の「研究目的」なるものをでっちあげることに奔走しなければならなくなっている.

大学に属するほとんどの学部は,研究機関としての目的など持たない.(教育機関としての目的ならば考えられないこともない.教育は研究ほど不確実性にみちていない.) 民間企業の研究所や,国立でも小さな研究所や層の厚い分野の研究所ならば,その機関の目的をはっきり持つこともあるだろう.その目的に沿う研究者たちが集まっているのだから.しかし大学のふつうの学部にあつまるのは,それら以外のいわば残りの研究者である.ひとつの研究目的を追求するために集まった者たちではない.しかも学部の機能は研究だけでなく教育もある.目的を共有するには機能が多すぎるのだ.

目的を共有できないそのような研究機関が研究成果をあげるためにはどうすればいいかは,明白である.正攻法でないひとつのやり方は目的を共有できるように機関を変えることであり,それはたとえば例外的に生産的な研究者を連れてきてその人にリーダーシップを取らせることで実現できることもあるかもしれない.しかしそれは正攻法ではない.正攻法は,それぞれの研究者の自主性に任せることでる.あらゆる障害を取り除き,自由放任を徹底するのである.研究機関はアナーキーを追求するのがもっとも効果的であり,たいていのばあい(障害を取り除ける度合いはいろいろあろうが)それが唯一の実現可能な選択である.全体の目的など定める計画経済型の手法ではだめだ.

しかし計画経済型の大学研究システムを信奉する大学評価・学位授与機構は,それを認めたがらないだろう.「ある具体的な計画があって,それに向けて集団一丸となって努力した結果,よい結果を出せた」という社会主義的サクセスストーリーに沿わないものを彼らは受け入れないだろう.大学評価・学位授与機構と喧嘩しても何も得にならないわれわれ研究者はそのように予想したうえで,事実に合わない無難な「目的」をでっちあげていくのである.過去に存在しなかった「目的」がでっちあげられ,それの実現に学部構成員が努力したという嘘で大学の歴史が塗り固められていく.大学の本当の姿を後世に伝える記録はほとんど残ることはない.

リマーク (3/3/03) こんなのも「謀略論」っていうのかな.「目的をもたない研究機関が研究成果をあげるためには,自由放任を徹底すればいい」というところは論理の飛躍が大きかったかもね.ところで今朝の Japan Times Online の Opinion で Sawa, Takamitsu が,大学評価はソビエト時代の公共機関のような大学を作ると指摘していました.私と意見のほとんど合うことのないこの経済学者までもがこう指摘しているということは,案外多くの研究者が大学評価・学位授与機構のやり方に危惧を感じているのかもしれませんね.

Individualism, the foundation of liberty and democracy, is undeveloped in Japan. For better or for worse, Japanese are bound by groupism. Ongoing national university reform includes plans to evaluate accomplishments of universities, schools, research institutes and other groups, instead of individual professors. Under these plans, universities will be reorganized to resemble former Soviet-style institutions.

リマーク (7/06/03) Sawa, Takamitsu が大学評価についてもっと本格的に書いた記事はこちら.

リマーク: コンドルセ,ボルダ,アロー,そしてミハラ? (7/07/03)

大学評価・学位授与機構に提出する書類のひとつに「代表的研究活動業績の特色及び強調点」というのがあって,自分の研究の独創性・有用性・発展性などの根拠資料として「研究成果が反映している報告書,新聞記事など」を添付しろとある.「何を考えているんだ! 社会科学の最前線の成果はふつう新聞には載らないものなの.特にぼくのようなバリバリの純粋理論が新聞に載るわけない!」そうは思いつつも,自分を引用してくれた論文くらいなら見つかるだろうということでサーチエンジンでInternetを検索してみた(ほんとうは Web of Science があればいいのだが).意外なことに,新聞記事とはいわないがそれよりはマシな 科学ジャーナリスト (ABCNEWSとかに寄稿しているらしい) の記事にぼくの名前が出ていたのだ.あの National Science Foundation の支援ではじめたという科学教育サイト The Why Files の2000年の11月の記事の最後あたりに,

投票システムにかかわる理論上の問題点はアローが [不可能性定理を発表した] 当時理解していたよりもいっそう深刻なものであることを,H. Reiju Mihara などの最近の研究が証明している

とあるではないか!しかも投票理論家として挙がっているのが18世紀のコンドルセとボルダそして20世紀真ん中のアロー,そして世紀末のミハラの4人だけというのはちょっとばかり (笑) 不公平じゃなかろうか.でも大学評価・学位授与機構に提出する書類には「他の投票理論家3人[誰々]とともに H. Reiju Mihara の名前が挙がっている」とそのまま書いておくことにしよう.しかしなあ,ジャーナリストの記事が独創性なんかの根拠になるというのはやっぱり何かおかしい.科学者のひとりとして憂慮するぞ.

【2005/06/20 20:24 】
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満濃池のユル抜きとひとみの来訪を無理に同じ記事にしてみる

ひとみちゃんが夜一人でボクの研究室にやって来た! この日は午後8時には帰るつもりだったけ ど,帰らなくてよかった!

6月13日月曜日.片想いの失恋から立ち直れないでいたボクは,自然のパワーに癒してもらうことにした.いや,自然ではなくて人工物からだ.

すごくいい天気の中,満濃池に向けてクルマを飛ばした.そう,きょうは年に一度の満濃池のユル抜きだ.このため池の修復拡張工事に(わが家と同じ宗派である)真言宗の弘法大師が関与しているという.「空海が郷土入りをすると人々は続々と集まり人手不足は解消し、唐で学んだ土木学を生かして、わずか3ヵ月足らずで周囲2里25町(約8.25km)面積81町歩(約81ha)の大池を完成させました。」(上記サイト).先端知識をもって地域貢献することでは,当時にしてすでに現代の平成香川大学を越えていたわけだ.弘法大師はおそらく,最大フロー最小カット定理なんかも知って最大流問題を解いていたのであろう.(ひじょうに直感的な定理なのでじゅうぶんありえる.)

満濃池に着くと,月曜の真昼というのにひとが多く路肩にはびっしりクルマが停まっていた.ボクがクルマを停めることのできた場所からゆる抜きの見える現場までは歩いて10分くらいだった.もっと遠くにあった駐車場はがら空きだったが.田舎人も距離というコストを最小化するようで,ミクロ経済学の普遍性にあらためて感動した.

12時過ぎに現場に着くと,カステラだのアイスクリンだの出店が数軒あって,お祭りの感じだった.それからまもなくして放水ははじまった.四国新聞の記事は「約三千人の見物客が国内最大のため池から放たれる豪快な”水流ショー”に大歓声を上げた」というが,べつに大歓声はなかったのではないか.少なくとも一斉の歓声はなかった.最初は少しずつ水流が増えて来て「出よる出よる」といった感想を口にするおじさんおばさんはいた.イメージとしては,大きなダムの低い位置の放水口から水が勢いよく出ている感じだ.ボクはダムが好きだからひとまず満足だ.水の音を聞いていることで,失恋の傷は少し癒された.わざわざ車いすで見に来ていた爺さん婆さんなど恩恵を受けている土地の人には,単なる暇つぶしを越えて感慨深いものがあるのだろう.

夕方,ひとみちゃんに「本を返したらひとこと連絡のメールを入れておいて」とメール.本とは,貸してあった『女から口説く101の恋愛会話』(中谷彰宏 著)だ.その日はひとみは来ないと思って,自分は帰るつもりでメールしたわけだ.すると 2110,ドアのノック.ひとみだった.一人きりで来るのは珍しくないか.その時間まで授業があって友人も一緒だったけど,研究室にはひとりで来たという.もしかしてボクに抱かれたいとか思ってひとりでボクを口説きに……などということは一切考えず,ソファーに座るようにも薦めない,なんとも愛想の悪いボク.ま,愛想悪いのはいつものことなんだが,「ひとみもボクの片想いの相手」などと書いた直後だったので落差が激しくて失望させたかも.ソファーは部屋の奥にあるとか,本返したらすぐ出て行くと思ったとか,言いわけはできるけど.

もうあんまり会えない,いやほとんど会わないことになるのかなと思ったので,形見として要らない本でもやろうかとボク.ひとみは借りていた口説き本が欲しいと言う.「いや,それボクが持っておくから他の本にしよう.うう~,あんまりないなあ.そうだこの雑誌はどう?」ゴミ箱から取り出したのは,平成香川大学の学生が作った UniPress という休刊中の学生誌だ.セクシャル・ハラスメント委員の仕事の一環で,ついさっき農学部セクハラ関連の記事をコピーマシンでスキャンして pdf ファイルをメールしたところだった (どうでもいいが,なぜあれは200dpi しかできないのだ).ひとみはゴミになるので雑誌は要らないと言いつつ,おもしろがってしばらくその記事を読んでいた.ボクはせっかくなのでセクハラの記事にかこつけて,良いセクハラ (注) でもしようと思って彼女の側に寄って行った.

注: 最近はセクハラ概念が広がりすぎたので,もっと限定しようという動きがあるのは周知の通りだ.が,拡大した概念への対処法はそれだけではない.わが大学ではボクの発案で世界に先駆けて「悪いセクハラ」「良いセクハラ」あるいは「楽しいセクハラ」という概念を導入することになっている.気持ちのいいのは良いセクハラということでいいかしらん.4年後にはこの平成香川大学式の用語が世界をリードすることになるだろう.なに? 「良い嫌がらせ」という単語の組み合わせはほとんど矛盾で不適切だって? 「良い」とか「悪い」ではなくてその良さあるいは悪さの内容を表現した概念でないと安易すぎるって? そんなもん知るか.文部科学省だって「特色 GP」とか Good Practice という言葉使ってるじゃないか.なにが「特色 GP」だよ,このアホ!

だが,日が悪すぎた.きょうは暑い中を歩き回ったせいで身体が汗でべたべたなのだ.ボクの身体の表面を境界とする最小カット容量に一致する最大フローとまではいかないが,だいぶ放水した,いや,発汗した.いずれにせよ女の子に近づける身体じゃない.そんなことに気づいてボクはすぐに彼女との距離を取り戻した.ふたりがべたべたできなかったのは,(ひとみちゃんの意思を除けば) ひとえにボクのからだがべたべただったからである.残念.そこで耳にした個人的な会話といい (パーソナルな内容なので秘密) このタイミングの悪さといい,損した気分.ひとみは2125まで居た.

表題の満濃池とひとみを強引にリンクさせるとしたらどうすればいいか.触媒は『女から口説く101の恋愛会話』にある.つまり
満濃池のゆる抜きに行って,帰りに抜き抜きしてあげる
といった口説き文句を言ってくれればいいのだ.オヤジギャグ風で洗練されていない上に解釈が多様すぎて意味もほとんど不明な言葉ではあるが,男性がいい気分になってあるいは吹き出して,ひっかかってしまうであろうことはまちがいない.

さあ,みんなで声を合わせて弘法大師さまといっしょに言ってみよう.「ゆる抜きで抜き抜き!」

【2005/06/16 16:07 】
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ジャーナルのランキング,Google,そして相撲とか: 公理的分析のペーパー見つけた

きょうはマイケル・ジャクソンが無罪になった (注) 記念に不完備情報での Condorcet Jury Theorem (コンドルセの陪審定理) について書こうかと思っていたが,まったくべつのペーパーを偶然見つけたのでそちらを紹介する.内容としては「サーチエンジンの戦略的操作マル秘裏技と社会選択理論」の続きになる.

注「子供に対する性的虐待罪などに問われた米人気歌手,マイケル・ジャクソン被告(46)に対する裁判で,米カリフォルニア州サンタバーバラ郡地裁陪審は13日,10の罪状すべてで無罪評決を下した」(産經新聞).

問題のペーパーは,International Journal of Game Theory の最新号にあったペーパーを眺めていて見つけたものだ:
Ignacio Palacios-Huerta, Oscar Volij. The Measurement of Intellectual Influence. Econometrica Vol. 72 Issue 3 Page 963 May 2004.
経済学のトップジャーナルに載っていたのに,ボクはこのペーパーをいままで見落としていたようだ.タイトルだけだと自分の専門の社会選択や公理的方法に関係あるとは思えないからね.だいたい measurement (測定・計量) なんて単語があると統計学かと思ってパスしてしまうじゃないか.

そのパーパーによれば,引用をもとにしたジャーナルのランキングは経済学でもよく行われているのに,そのありかたについてのまじめな経済分析は行なわれてこなかったという.統計学的な分析はあるのかもしれないけど,たしかにそうかも.それでと,このペーパーは望ましいランキングのあり方をいくつか公理としてきちんと提示した上で,それらの公理をすべてみたすランキング方法がひとつに絞られることをしめしている.そのランキング法は経済学分野で広く採用されているものではないという.「なんだつまらない」と思う読者のために,著者は続ける---そのランキング法は Google が web ページをランクするときの the PageRank method の核心である!と.おいおい,単に Google のランキング法がみたすような性質を集めて来て公理にしただけじゃないのか?---と突っ込んでみたくなるかもしれない.公理が自然なものかどうかはペーパーを読んで見れば分かるのだろうか.それにしても Google のランキング法の公理的分析は Google 出現以前に現れていたのかと思ったら,じっさいは 2004 年だったんだな.

一方には「おもしろそうだ.じゃあ,その望ましいランキング法でジャーナルをランクしたらどうなる?」と思う読者もいるだろう.そういうひとのために,ちゃんとジャーナルのランキングの一覧も載ってる.その望ましいランキング方法で測ると,(このペーパーが載っているジャーナルである) Econometrica はもちろんトップになる (笑).

そういえば,「相撲の優勝はどういう基準で決まるのだろうか?」と小学生か中学生のころ悩んだことがある.(いまだに理解していない.実際にどうなっているかではなく,どうやったらマシな方法ができるかが関心だったためもあって.) 力士に (横綱とか大関とかのクラスだけでなくそのクラス内でも) ランクをつけているかどうかはしらないが,もしそうならば同じクラスで勝ち星が多い相手を倒した方が勝ち星の少ない相手を倒すよりは自分のランクが上がるようになっているのだろうか,などと考えたものだ.それぞれの力士 j の (最終日である千秋楽における) 勝ち数 w(j) をまず計算する.そのうえで力士 i の得点は,i が勝ったすべての力士 j についての w(j) を合計したものとしてはどうだろう.千秋楽以前に優勝が分かっていることもあるから,そのやり方は実際には使われていないのは分かるが.いや,単に倒した相手の勝ち数だけを基準にするのは良くないな.たとえば 6勝の力士が二人いて,ひとりは勝ち星の多い相手ばかりに勝ち,もうひとりは弱い相手ばかりに勝ったとしたら,自分の得点に対するその二人の貢献が同じというわけには行かないだろう.あのころはそういったことを考えていた.小学生か中学生にして,相撲の公理的分析を先取りしていたのかも.それを考えると嗚呼平凡助教授は歳を経てだいぶ凡才 (より直接的にはバカ) になったものだ (苦笑).

『大相撲の経済学』なんて本もあるようだが,目次を見る限りこういう話は出てこない.ひょっとするとこのネタ,日本経済を主な対象にした国際ジャーナルなんかの記事にうってつけじゃないだろうか.だれかやってみてはどうだろう?

追記 (7/28/05). 臓器移植の配分アルゴリズムを改善する話や相撲の八百長を経済学的に分析した記事の解説を発見.作者はアメリカ在住の研究者ということらしい.不完備情報下のコンドルセ陪審定理の記事もそのうち載せてくれるかも.

【2005/06/15 00:07 】
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あてもない深夜ドライブ

片想いの女性を意図せず傷つけてしまったことで自分はすごく傷ついていた.さみしさがボクを導いてくれる先はどこだろうか.23時ころあてもなく出発.

府中湖.以前,深夜によく行っていた湖.2001年に香川大学ボート部の学生が水死した湖.自分も深夜落ちたことがある.そのときは生温い水温が気持ち悪かった.

瀬居島.坂出市番の州の埋め立て地の端っこ.はじめて訪れた.工業地帯を通り島に至りくるりと回ると神社にぶつかり,そこで行き止まりだった.クルマを降りて海の香りを嗅ぐ.島の道路にはクルマが密集して駐車されていた.

瀬戸大橋記念公園.入ろうとしたら凄まじい音を立ててジグザグに運転するクルマ数台.路肩にはガラの悪そうな若者たち.クルマをぶつけられるのはイヤなので,Uターン.

沙弥島のナカンダ浜.女の子を連れて来たかった場所.真っ暗な海岸で海に飛び込んだりして騒いでいる連中.ボクは瀬戸大橋を見ながら海岸に沿って展望台まで夜道を歩いた.

沙弥島を離れると,さっきの路上レースのクルマ数台.不本意ながらしばらく並んで走ることに.スピードは自分のクルマよりちょっと速い程度だが音がうるさい.反対側からちょうど赤いランプを灯したパトカーがやってきた.パトカーが来たことをだれか携帯で連絡したんだろうか.

五色台.午前 130 ころ.海沿いの道ではクルマ一台とすれちがっただけ.半島の北端の大崎の鼻から五色台スカイラインに入る.スカイラインでは他のクルマとはまったく出会わなかった.「夜その道を通ってると後ろからバイクのエンジン音がするが、ライトは見えない、よく見るとヘルメットだけが飛んでいる・・・。しかもそのヘルメットは赤い目だけが見えるらしい」という心霊スポット情報もあるところ.この日はそれらしき幽霊には出会わなかった.少し恐れていた暴走族もいなかった.ただ,クルマの窓にいっぱい虫がぶつかって来て即死するのには悩まされた.

根香寺 (ねごろじ).五色台にあるお寺.午前 2時.だれかに出会えるような気がして,つい来てしまった.心霊スポットとして有名なところ.昔は「首転寺」と言われ,病気で死ぬのを待っているような子どもの首を切り落として殺していた場所という説もある.牛鬼が封印されていて,その呪いのパワーはただものでないという.午前 2 時に電話が掛かって来るという,自殺のあったとされる電話ボックスも見えた.それにしても真っ暗で怖そうな所だ.なんでこんなところに来てしまったのだろう.ボクが会いたいのはここに出るような幽霊ではないはずなのに.

午前300ころ帰宅.あてもない旅は終わった.導かれて来たのはけっきょくこの世界だった.

【2005/06/11 12:00 】
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期末試験日のキスとか握り合いとか身体検査とか: 6月7日の授業裏ログ

ひとみちゃんは 1515 ころにやって来た.F も一緒におかしを持ってやって来た.例の体験参加(?)の高校生もまもなく合流.ポニーテールがかわいらしいひとみが「やる気なさそうですね」とボクに言った.そうか落ち込んでいるとやる気なさそうに見えるのか.「恋人にでも振られたんですか?」「まあ,そんなところだけど.」こいびとというよりは,片想いの相手なんだけどね.そういえばひとみもボクの片想いの相手のひとりだった.ひとみを抱きしめることができれば,だいぶ気持ちも落ち着くかもしれない.朦朧とした意識の底でそんなことを考えつつ,ボクはホワイトボードの前に移動した.「じゃ,質問は?」

試験に出るいくつかの問題と,試験に出ないいくつかの問題について質問に答えた.「クラスカル法とプリム法はどちらが出ますか? どんなふうな聞き方をするんですか?」出ない問題について落ち込んだ状態で答えるのは簡単ではない.「まあ,どちらでもいいから最小木を求められればいいかな.どちらのアルゴリズムでも結果は同じだし.いや,最小木の辺になった順番とか聞くかもしれないなあ」などと言いつつひとみの目の前の箱入り紅茶を取り上げて香りを嗅ぐボク.「あ~,あたしの! ま,飲んでもいいですけど.」あの~,匂いを嗅いでみただけなんだが.すると阿知乃 (仮名)が「間接キスですよ!」と.「きゃ~!」とひとみ.間接キスか,それもわるくないな.ストローだからほぼ確実にひとみの唇が当たった部分にボクの唇が当たるわけだし.喉乾いたし.「もっと確実に出るのはダイクストラ法の方だから……じゃ,もらうけどいまは口の中がチョコだらけだから後で飲むわ……ストローじゃなくてヒモを引っ張って行くやつ.表をちゃんと埋められるかな?」チョコレートの味のする紅茶も悪くないかもしれない.ま,でも,やっぱ,少し気持ワルイわな.ボクはチョコレートのなくなった口でストローをくわえて紅茶を飲んだ.高校生が「…….」やっぱ何も飲み物なしでチョコレートとベビースターラーメンはきついよな.どん底から少し脱出.

負けてられないと思ったか,阿知乃は盛んにベビーラーメンをボクのために買って来たのだと力説する.ボクが「阿知乃」と呼んだことにも気を良くしている.「先生がこの焼きそば味のおいしいって言ったから……」「ああ,うれしいよ.もらうよ.」「だから単位くださいね.」「知らないよ.ラーメンだけちょうだいよ.」「じゃあ,ベビースターラーメンあげません.」「しょうがないなあ.じゃあ,いらないよ.」「ええっ! もらってくださいよ.試験簡単なんですか?」「ああ,簡単かんたん.満点とってね」と言いつつストローでひとみの紅茶を飲む.ひとみ「ぜんぶ飲まないでください.」

質問は済んだと言ってひとみと阿知乃は出て行った.テキストも置いて服も脱ぎ捨てて出て行った.出る前にわざわざ「紅茶の残りぜんぶ飲まないでくださいよ.私も飲むんですから」と念を押すひとみ.「そりゃ無理だよ.もうほとんど残ってないじゃん.」ほんとにカップ半分ぶんも残っていなかった.だいぶ生温くなってるし,ボクの唾液が流れ込んでるかもしれないし…….ボクの唾液を飲みたきゃもっと直接的な方法を使えよ.というわけで,ふたりが出るとボクは速攻で飲み干してしまった.ははは.

その後しばらく女子学生二人と高校生ひとりを相手にしていた.「なんでひとみや阿知乃のことばかり書いて私たちのこと書いてくれないんですか」と叱られそうだが,まじめに質問に答えていただけなんで裏ログに載せるには不適切というだけの話だ.デパートのショップで働く奈緒は高校生の横に座って一生懸命高校生に教えてもらっていた.ラウンジ(?)で働く M はひとりで一生懸命復習していた.

1800前に機密書類を受け取りに来たある夜間学生.「問題は先生の推薦書がマイナスにならないかどうかです.どうして平凡助教授に推薦書を頼んだと聞かれたら,言葉に詰まってしまいそうで.」「いちばん厳しい先生だから頼んだと言えば.」

ボクが席を外している間,学生たちは猥談で盛り上がっていたようだ.ボクが戻ると,「上半身はだかで試験を受けるから合格にして欲しい」と奈緒が言ってたとだれかが言った.戻って来たひとみは紅茶がなくなっていることに文句を言った.だってすぐなくなるといっただろ.

さて,全員そろった.「これとこれとこれは出る.クラスカル法とプリム法は出ないよ.こいつも出ない.」「え~,出ないんですか.あんなに一生懸命やったのに.」「うん,出ない.まだ時間欲しいか?」「試験できなかったら,再提出とか認めてくれますか?」と奈緒.「あのなあ,そんなむずかしくないから.それに上半身裸で試験受けてもいいけど,単位には影響しないから無駄だぞ.」女子学生の裸だけじゃあ不十分だよなあ.いや,もっと凄いことをしても単位とは交換出来ないしなあ.奈緒「わたし試験中に裸になるって言ってませんよ.先生と二人だけなら脱いでもいいと言っただけです.単位もらえるならやりますよ.」そうだよなあ.裸で受験しても「なんだこいつ」ってことで,お笑いにしかならないよなあ.二人だけだったらたしかに---じつは奈緒もボクの片想いの相手のひとりだし---少しは真実味あるかな (そのばあいでも単位には関係ないんだけどね),などと考えてにやけるボク.世には女子学生に研究室で脱がれたら負けだという説がある.ひじょうに不利な立場に追い込まれるということらしい.そんなもん勝手に脱いだ方の責任だろ,いい加減にして欲しいよと言いたくなる説だが.やっとボクにもその不利になる番が巡って来たかもと,うれしくなった.不利な状況に追い込まれたときこそ,すばらしい知恵が湧いて来るものだ.いざ,行かん! そこへ男子学生「オレも裸になるんで単位ください.」

そういえば「奈緒でもいいぞ」ときょうボクが言ったら「《でも》じゃあダメです」と言われた.あれはなんの話だっけ.ひとみに何かをやってあげるはなしだったっけ.奈緒もプライド高い女なのだ.《片想いの相手のひとり》では満足しないだろうな.

試験開始.質問が出る出る.「この答でいいですか?」「ああ,正しいかもねえ.かんちがいしてるかもねえ.」「どっちなんですか?」「さあ,どうなんだろうね.問題自体がヒントになってるからね.」

一時間も経っただろうか,ひとみちゃんがまたまっすぐに手を挙げた.「どうですか? 出来てますか?」早く終えて明日の試験の準備を始めたいという.ざっと見たところ,まちがいはなかった.問題が簡単すぎたかもなあ.ボクはひとみの目を見つめつつ頷き,思わず頭をなでなでした.ひとみはボクが墓場まで想い出として持って行きたいくらいうれしそうな,無邪気な表情をした.(もっとも視覚の記憶力が弱いので,もう曖昧にしか思い出せないが…….) 「全部できてる?」「それは分からないけど,ぱっとみたかぎりでは出来てそうだね.」ということでひとみは提出することにした.後ろから男子学生 A がボクを突く.自分のも見ろと.「A もなでなでしてもらいたいのか?」と頭をなでる.「こら,ちゃんと見ろ!」

あちらからは阿知乃がボクを呼ぶ.脚が痛いと言って出した足には,靴の中に隠れてしまうストッキング状の足袋を履いている.「なんだよ,その足袋は?」いま流行っているらしい.夏にストッキング履くと足が蒸れるがストキングを履かないと靴が汚れやすい.そういうところの需要を見込んでの商品だろうか? まあ,それはいい.脚が痛いと言ってボクに「てもみん」マッサージを求めているわけではなさそうだ.頭をなでなでされるくらい出来ているかどうか見てくれということらしい.

そんなわけで,最初に提出した3人は満点だった.問題が簡単だったにせよ,そして試験中のヒントもあったにせよ,なかなかよい出来だ.ひとみは小学校以来の満点とか言って喜んでいた.まだ終わっていない奈緒はだんだんプレッシャーを受け,時間を気にしはじめる.「時間は気にしなくてもいいぞ」とボク.どれどれと答案を提出した男子学生が邪魔をしに行く.「おい,あんまり教えるなよ.」女子学生 M も奈緒の目の前に行ってしゃがみ込む.「おい,お尻見えてるよ.」もうちょっとゆっくり観察してから言っても良かったかもしれないが,悔いはない.ジーンズの上から現れるおしりの上部 (きっとなにか単語があるはずだが) なんだが,ひとによっては興奮するらしい.

けっきょく,6人の点数は60点満点で 54, 55, 56, 60, 60, 60 点だった.全員9割をクリアーした.なんだ出来てるじゃないか.最難関と言われるボクの授業にしては信じられないほどよい出来だ.さすがこの科目を落とせない4年生以上が揃っていることもあって,モーティベーションがちがう.そうだよなあ.祭日のこどもの日にも補講してたしなあ.

男子学生 A がボクが開けていなかったベビースターラーメンを開いて食べはじめる.「あ~,ボクの!」みんなが笑う.A は無理矢理ボクの口にラーメンを入れる.「さっきトイレ行って洗ってない手ですみません,せんせい.」「試験問題が簡単だったかもしれないけど,同じ問題でももっと大きなクラスだったら半数は落としてたと思う.良く出来てる.」「大学の授業っていう感じがすごくしました.試験はそうではなかったけど」と言ったのはひとみだったろうか.洗ってない A の手を手始めに,ひとりひとりに握手.抱き合って喜ぶのもいいかもしれないが,違いの分からないひと (特に外部の) がエッチとか言い出すかもしれないのでとりあえず希望者に握手というわけだ.(じつはボクは手の状態が悪くて握手に抵抗があることが多い.) いろんな意味で感動の奈緒には「男と女だから指を絡めてするかい?」と聞くと,「これって恋人握りですよ」と言いつつ二度応じた.恋人というより,戦場で生き残った兵士が手を取り合ってるような感じがするんだが.二人きりだったらもっといいムードになったのだろうか.「また研究室に会いに来ていいですか」と奈緒.「いいけど,あんまりいないぞ」と乗り気でなさそうに答えつつ,来い来い来い来い恋来いと百回心の中で唱えた.阿知乃は手を出しつつも避けてるような感じがしたので腕相撲握りで行こうとしたら,ちゃんと普通にやってと言われた.最後のひとみも指を絡めずに普通に握手.ストローを通した間接キスよりも指を絡める方が抵抗あるということだろう.こういうのはいちいち確認しないと分からないものだ.

学生たちが出て行ったのは21時前だった.研究室に取り残されたボクを片想いの相手に振られた傷がふたたび襲った.その夜,ひさしぶりの深夜ドライブにボクは向かうのだった.

「あてもない深夜ドライブ」につづく.

追記何か重要な史実を書き落とした気がしていたが,思い出した.記事を読み返して,奈緒との進展がなんとなく強引な感じがしてたのだ.18時前に来客があったころのことだったか.ボクと奈緒は研究室前の廊下に出た.人工ではないという日焼けがやけに奇麗な奈緒は,絹のような光沢のある生地のパンツを履いていた.そういえば数週間前の腕のタトゥーは消えていた.「そのズボンいいじゃん.脚細く見えるね.実際はそうでもないのかな?」「失礼な.でも,けっこうあるんですよ」と自分の太もものまわりを両手で挟んで測る奈緒.「先生の方が細いんじゃないですか?」と言って,(記憶が曖昧だがたしか) 奈緒はボクの太ももの周りも両手で測りはじめる.「おい,急に触るなよ」とは言わなかったが (ということは許可を与えたのか? 記憶が曖昧).どうでもいいが紳士服の店に勤めてるからクセになってるんだろうか (メジャー使うはずだからちがうか).じゃあ自分もということでボクは「あんまり変わらないかもねえ.測らせてもらってもいい?」と許可を得て,奈緒の太ももの周りをボクの両手で挟む.いったい廊下でボクらは何をやってるんだ.目撃者いたらあらぬ誤解を受けそうで危ないなあ.で,計測結果はボクとあまり変わらない感じだったがよく分からなかった.手の位置がちょっとずれるだけでだいぶ太さが変わるからね.

いずれにせよ個人的にはめったにない貴重な体験であった.昨今,多元的な成績評価が叫ばれている.今後ボクの授業にはこのような身体検査でも採り入れたいといころだ.

【2005/06/11 11:40 】
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判断の集計: わいせつ教授の処分問題

データサイエンスや曰月 (いわくつき) 教授の処分問題,そして (離散数学の) 授業の話が出たついでに,それらにかかわる最新の社会選択の話題を提供しよう.哲学的志向の強い社会選択理論家の間で研究の最前線になっている judgment aggregation (「判断の集計」と訳すのかしらん) というテーマである.社会選択理論の登場が20世紀半ば,数理論理学の登場がさらにだいぶ前ということを考えれば,なんで今頃こんなことがホットなテーマになるんだと思わせるような古そうで新しいテーマである.

数学の授業で真理値表というのを見たことがあるひとは多いだろう.命題 p, q の真偽の組み合わせに応じて,たとえば p→q という命題の真偽は以下のように定義される (T は真で F は偽を表す; p→q の真偽がやや左に寄っている; 現時点では「人数」の列は無視せよ):

p q p→q 人数
T T T 4
T F F 2
F T T 0
F F T 4

すなわち「もし p ならば q」を意味するところの命題 p→q は p が偽であれば自動的に真になる.たとえば
もしオレがお前のオトコだったら,オレはお前にこどもを堕ろさせない
という命題は,(その発言者が過去どれだけの女性を妊娠させ堕胎させた実績があっても)「オレ」が「お前」の「オトコ」でない限りウソとは言えないので,「真」と見なすわけだ.(じつは p が偽であれば自動的に p→q を真になるものとして---つまり p→q を material conditional として---扱うことが問題の源泉のひとつになっている.)

いま命題 p, q の真偽について判断が分かれているとする (命題というのはふつう「客観的に」真偽を判断できるはずなんだが,そこはおいておいて).上の表の「人数」とは,それぞれの行の真偽の組み合わせを支持する人々の数とする.いま,各列ごとに多数の判断を取ると,以下の表を得る (最後の行はその判断を支持する人数):

p q p→q
T F T
6 6 8

「(真理値表上) ありえない」真偽の組み合わせが実現する.つまり,過半数である 6 割が命題 p を真と,8割が p→q を真と判断しているのに,q を真とする者が半数いないという非論理的なことが起きている! これを discursive dilemma と呼ぶ (和訳は知らない).

じゃあ,どうすればいいか? 代表的な答として,
(i) 命題 q だけについて多数決で判断する (p と p→q にかんする多数判断は無視) conclusion-based procedure (結論を基にした手続き) と
(ii) 命題 p と p→q だけについて多数決で判断し,それからの論理的帰結で q または その否定を決める premise-based procedure (前提を基にした手続き)
というふたつが考えられる.これらの手続きでたしかに論理的な結論は出るが,今度はちがう問題が出て来る.じゃあ,その問題も取り除く方法はあるか? それは出来ないというのが「不可能性定理」である.不可能ならば,じゃあどこまでが可能と言えるのか……という具合に社会選択理論のお決まりのパタンで研究は進んで行く.(たとえば最後に挙げた最新のペーパーを参照.私は読んでないけど.)

そもそもこんなことが問題になるような現実的な例はあるのだろうか? もちろん yes だ! じつはさいきん準強制猥褻容疑で逮捕され平成香川大学で問題となっている曰月教授の件が,ほとんど完璧な例を提供している.いま上記の命題が表す内容が以下のものだとする (厳密な意味では命題になっていないが):
p: 曰月教授の行為は基本的に研究の一環として (同意を得るなどしてひとの権利を侵害することなく) 行われた.
q: 曰月教授は大学に残ることができる (懲戒解雇できない).
p→q: 曰月教授の行為が基本的に研究の一環として行われたならば,曰月教授は大学に残ることができる.

曰月教授の処分は学長と理事と学部長ら 10 人による会議で決められるとする.平凡な一助教授に会議の詳しい中身が伝わるはずもないが,おそらくそれぞれのメンバーの判断は (非論理的でないとすれば) 最初の表に与えられたようなところだろう.(この種の犯罪は繰り返されるはずなのに,ひとりの女性以外からの苦情が聞こえてこないとか,さまざまな情報からの推測.たとえば,教授の行為が研究の一環でなかったと考えるメンバーはすべて懲戒解職を支持することになっている.教授の行為が研究の一環であると認めるにもかかわらず教授が残るべきだないと考えるメンバーは,「大学の名誉」といった研究以外の条件を考えているため p→q を受け入れないなど.)

曰月教授が逮捕された直後の初期の段階では,conclusion-based procedure により q の真偽,つまり教授を解雇するかどうかが焦点だった.解雇すべき (大学に残すべきでない) という声が過半数あった気配が強い.単純な話だ.しかし時間が経つに連れて,そういった判断様式は他の研究者の「学問の自由」に与える影響が大きいことが認識され始めた.このばあいは premise-based procedure のほうがふさわしいと思うメンバーが増えて来たのである.

前提のうち命題 p→q をより一般的にした「わが大学教員の行為が基本的に研究の一環として行われたならば,その教員は大学に残ることができる」という主張を大方の大学人は支持するだろう.そうなると焦点は前提 p 自体 (研究の一環だったこと) の判断である.それには事実を見極めなければならない.訴えた女性と教授の間に意思疎通の失敗があるのは明らかだ.裁判が続いている間に簡単に p を否定してしまうのは拙速であり,研究の自由が失われるおそれがあまりにも大きいのだ.

ふうむ,なんだか論文にでもなりそうな勢いだな,この記事って.だれか以下の論文でも参考にして,曰月問題を社会選択理論的・論理学的に分析してみてはどうだろう.

参考: Judgment aggregation in general logics Date: 2005-05-18 By: Franz Dietrich (University of Konstanz, Germany) URL: http://d.repec.org/n?u=RePEc:wpa:wuwppe:0505007&r=cdm Within social choice theory, the new field of judgment aggregation aims to merge many individual sets of judgments on logically interconnected propositions into a single collective set of judgments on these propositions. Commonly, judgment aggregation is studied using standard propositional logic, with a limited expressive power and a problematic representation of conditional statements ('if P then Q') as material conditionals. In this methodological paper, I present a generalised model, in which most realistic decision problems can be represented. The model is not restricted to a particular logic but is open to several logics, including standard propositional logic, predicate calculi, modal logics and conditional logics. To illustrate the model, I prove an impossibility theorem, which generalises earlier results. Keywords: judgement aggregation, discursive dilemma, modelling methodology, formal logics, impossibility theorem JEL: D6 D7 H

【2005/06/06 02:23 】
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ボクの支持する政治家: 日米安保条約がなければ「平和」憲法自体が成り立たない!
それがどうしたと言われそうな話題だが,まあいいか.ちょっと感心するニュースを目にしたんで.こんな記事でも(大学サーバー上に公開したら)文句をつけられる可能性なきにしもあらずだから,大学の web サーバーのガイドラインは困ったものだ.

あくまでも政治家たちのなかでの比較の話だが,支持する政治家はいないことはない.中曽根康弘 元首相,小泉純一郎 首相,安倍晋三 自由民主党幹事長代理,そして町村信孝 外務大臣だ.まあ外交政策が保守的で,自由市場をわりと大切にすればとりあえず支持できるということだろうな.

憲法が日米安全保障条約よりたいせつなんてありえない! 日米安保条約(アメリカの軍事力)がなければ「平和」憲法自体が成り立たない!

自分はそう思っているひとりなので.その現実から目をそらす人は政治家としては支持しない.特に,中国共産党と適度な距離をたもてないひとはダメ.あれは基本的には敵国なんだから.消去法で彼らが残ったというべきか.

小泉純一郎氏については,首相になったときこれは長期政権になりそうだと思った.3年は確実に持つと思ったが,もう4年だっけ.もっとスピードがあればなおいい.首相になったときもうひとつ思ったのは,このひとはひょっとしたら中曽根氏を超える政治家になるんじゃないかということだった.超えしまったかどうかは分からない.ただ,2003年に小泉首相が「政治的テロだ」と反発されながらも中曽根氏をやめさせた (衆議院選挙への立候補を認めなかった) ときは驚いたものだ.一方,支持できなかったことのトップは,田中眞紀子氏を外務大臣にしたこと.辞めさせたからいいけどね.

中曽根首相は支持する理由さえ忘れてしまった.とにかく立派な政治家だ.最近,河野洋平衆院議長が五人の首相経験者を招いて小泉純一郎首相の靖国神社参拝取りやめを提起したときも,中曽根氏は「立法府の長が,行政府の長の経験者を呼びつけて意見を聞くことはあり得ない」と出席を断ったという (産經新聞).単に河野洋平氏が (正しいとされる意味ではなく,通常誤用される意味で) 役不足だから断ったのかもしれないが,他の政治家に頼まれてもやはり中曽根さんは断ったと思う.

安倍晋三氏と町村信孝氏は基本的には国益を踏み外さない政治家だと思う.彼ら自身はそうは発言しないだろうが,日米安保条約がなければ憲法が成り立たないことを分かってるひとたちだろう.なんだ自民党にも人材はいるじゃないかという感じだ.ただし町村信孝氏は通産省出身のためか,市場への積極的な介入がいいことだと思っている節があるのは少し気になる.
【2005/06/03 08:47 】
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5月31日の授業ログに載せられなかった秘密
奈緒 (仮名) はやや遅れて到着.ひとみ (仮名) ちゃんはきょうも就職活動のせいかまだ現れない.家から「いまから行く」のメッセージがひとみの友人の F (名字) の携帯に届いた.例の夜の授業だ.


先生,女子学生の呼び方がばらばらなんですけど.なんで奈緒は《奈緒》で,ひとみは《ひとみちゃん》で私だけ名字なんですが?」とこのブログをみて尋ねる(わけない) F.《ひとみちゃん》は去年ゼミでみんながそう呼んでたから《ひとみちゃん》だし,《ひとみ》だと恋人読んでるみたいでなんとなく恥ずかしいし,奈緒は《奈緒ちゃん》だとあまりにガキっぽいし.奈緒美だったら《奈緒美ちゃん》でもそんなにガキっぽくないから行けたかもしれないけどね.一般化すると,「子」や「美」で終わる名前のばあい,「ちゃん」づけでも過度にガキっぽくはならないという法則でもあるんだろうか.




ボク「F はファーストネーム教えてくれてないじゃないじゃん.このまえくれたメールも名字だけだったし.希望するなら名前で呼んでやってもいいけどな.たしか名簿でちょっと見た気がする.《あやか》だっけ.」
「え,ちがいますよ.名前を当てたらその名で呼んでいいですよ.」
「べつに《F》でいいよ.じゃ,先進もう.」
「なんですかそれ!」
F はけっこう不満そうだ.「そんなに珍しくないけど,同じ名前を見たことはない」とか,矛盾しそうなこともいろいろ言ってる.授業のあと調べたら,たしかに奇麗な名前だった.《A》《Aちゃん》《Aさん》どれも一長一短だが,彼女のイメージから言えばやはり《F》でいいという思いを深める平凡助教授であった.と本筋とは関係ない前置きが長くなってしまった.



ボク「それにしても,ひとみちゃん遅いなあ.[リクルートスーツから着替えでもしてるんだろうか.先週ストッキング痒そうだったしなあ.] ふたりだけの個人教授 [居残り補講] でも受けたいんだろうな.」
そんなことはないと首を振る F. どうでもいいが,遅れた学生の聞き逃した分を夜遅くまで補講している自分はなんと偉いのだ.

休憩時間.ボクは二階のトイレでおしっこをしていた.

回想.洗面台の側に財布と手帳が置いてある.「だれか忘れたのかな.」ジャー,ジュー.音が強いのは女子.カラカラ,カラカラ.回転する音.「やってる最中か.」ゴロンゴロンカラカラ.バシャー (流す音),キー,ドスン (ドアの開閉).現れたのは若い女子学生 or 教員 or 事務員であった.(「若い」を入れておかないと,趣味を疑われる確率が高いロケーションなのだ.)



「なにそこに立っているの,変態!」とでも言いたそうな視線をボクに向ける女性.「いや,財布とか置きっぱなしにすると危ないですよ.」「あ,すみません」と嫌そうに答える女性.小さな親切はなかなか理解されないものだ.



チョロチョロとおしっこを続けるボク……そこになにやら大声が左後ろから聞こえて来た.振り向くと奈緒だ.目が合ってしまった.ここのトイレは洗面台部分が男女共用で,そこから男子トイレは丸見えなのだ.正面方向を12時とすると奈緒の位置は8時の方向.白い区切りで遮られているからペニスは見えなくてもおしっこは見える角度か.なんだよ恥ずかしいなあ.あそこ見たいとか舐めたいとかなら,もっと正々堂々と戦わぬか.相手が奈緒だったらこちらも真摯に応えていた「かも」しれないのだから.

回想.そういえば,昔ここでおしっこをしていたら,「せんせ~」とか言ってにょろりと現れた女子学生がいた.全身の血が引いてしまった.あれはほんとに「天然ボケ」の子だった.



見られたからにはこちらも見る権利が発生するというものだろう.帰りがけにでも女子トイレに入ってもらっておしっこしてもらおうと.途中でとつぜんドアを開けるというプレイでもするか.あの部分は見えないけど,おしっこをする姿を見られるのはそれなりに恥ずかしいであろう.それでおあいこというものだ.

でなかったら,責任とってもらうために結婚でもしてもらわねば.女子学生の立場からいえば,もし結婚が狙いだったら,ロースクールの自習室のそばのトイレを覗きに行った方がいいと思うが.就職活動で行き詰まっている女子学生諸君,ロースクール式トイレ,略してロースクールトイレに直行せよ.「すみません,わたし見たくないモノを見せられました.責任とってわたしといっしょになってください」とやるのだ.責任取る方が入れ替わっているが,まあいいか.十年後にはそこそこの収入もある夫を持つ「かも」しれない.

ところが彼女はひとりで入って来たわけではなさそうだ.「お前が見たいと言ったんだろう」と男子学生の声.奈緒が「キャーキャー」言ってるのは,男子学生に無理矢理トイレに押し込められたからだろう.階段の後ろからボクに着いて来た二人がボクが消えたのを見て,奈緒が「あれ,先生トイレに行ったの? ここでするのかしら?」「なんだ興味あるのか?」とかってことで,引っ張ってか押し込んでか知らないが,連れて来たんだろう.

あのな,あんまりそういうことするとこちらの監督不行き届きということで叱られるから止めとけよ.どこかの大学でも,王様ゲームかなにかを学生たちがやっているところに居合わせた教授が,セクハラで訴えられていただろ.教授がちゃんと監督しなかったからいけないとかなんとかで.そういうときの監督ってのは,
-参加したくないひとは参加しないですむようにする;
-参加をした人がゲームのルールを逸脱しないようにする
ことが求められているはずだ.たとえば王様が
「もし奴隷 A (家来だっけ?) が女性であり奴隷 B が男性であるならば,奴隷 A は奴隷 B にフェラチオをせよ」
と言ったら,監督者でありレフリーである教授が「条件付き命令はルール違反.条件を外せ」などとルール尊重を呼びかけることが要請されているわけだ.ところが,世の中には監督中の教授がゲームのルールを恣意的にねじ曲げないことに文句をつけるアホ学生もいるらしい.一流大学とされる大学であってもそうだ.ゲームをなめてもらっては困る.参加すると決めたからには最後まで正々堂々と戦わねばならぬ.乳もみとかフェラとかそういうのがいやならば,始めにルール上それらを排除した上で参加を表明すればよかったのだ.また話が逸れた.




ひとみ (ちゃん付けもたまに止める) は休憩時間直後に普段着でやって来た.F がわざわざ「『ふたりだけの個人教授 [居残り補講] でも受けたいのかな』と先生が言ってたよ」と言う.「絶対ありませんよ」と否定するひとみちゃん.一年生の授業,三年生のゼミ,そしてこの授業.長い付き合いだったが,これでキミの成績もワン評定下がった (ウソ).F はまた,自分の名前の話なんかをしている.ちゃんと授業を聴けよ~.

授業は終わった.あとは来週の期末試験だけだ.みんなよくやってくれた.私も学生時代からやろうやろうと思っていたことを初めて勉強して,一挙に世界がひろがった感じだ.あの時代にやらなかったのが悔やまれる.

授業のあとは,遅れて来た奈緒とひとみのために補講をした.ひとみの友人の F は本を読みながらぴったりとひとみをガードしている.自分が聞き落とした部分が済んだら,奈緒は去って行った.そういえばこちらの権利であるおしっこ鑑賞……はもういい.まったく忘れていたボクは潔く権利を放棄しよう.我ながらあっぱれである.

21時 50分.補講も終わった.ボクは書類のチェック.F とひとみは本を見ながらふたりで笑っている.なにを見て笑っているかといえば,例の「ストッキング脱いでもいい?」が載っている,『女から口説く101の恋愛会話』(中谷彰宏 著)だ.F が読んでいるのは,たぶん『ちから教授が集めた女子大生の内緒話』(加藤 主税 著)だ.その表紙を見せながら,
F 「女子大生好きですよね,せんせい? 私たち女子大生ですよ~.」
ボク「きみたちは《女子学生》というの.《女子大生》は女子大の学生.しかしちから教授うらやましいよなあ.」
ひとみ「この本 (女から口説く) 借りていいですか? いいセリフ覚えて先生口説いてあげますよ.どういうセリフ言われたいですか?
F 「ひとみが言えばどんなセリフでもすぐ口説かれるって.」

ひとみちゃんのその言葉だけでも,ボクにはどきどきもので心臓に悪いんだが.まあ,3年半の長い付き合いで情が移ってしまったというところに原因があるのだが……ウソだけど.

ボク「女子学生はもう遅いので帰る時間だよ.門も閉まると開けるのめんどくさくなるし.なんなら家まで送ってやってもいいよ.」
F「先生のクルマに乗せてもらうなんて,なにされるかわからなくて危なくて乗れません.」
あのな,あんたに聞いてるんじゃないの.F には手を出さないからご心配なく.
ひとみ「[自転車がなかったとしたら] お父さんに迎えに来てもらいます.」
「ふうむ,うちとはえらいちがいだ.うちの妹なんかアル中の父を避けて,高校生時代なんか親戚の家から学校通っていたしなあ.ひとみのような親子もあるんだ」と感心しつつ,いったいきみたち女子学生は大学教員というもの,いや他の教員は仕方ないにしても,他でもないこのボクへの信頼はないのかと思ってしまった.クルマに乗れば食事くらいはおごってやるかもしれないし,望めば塩江温泉あたりに連れてってあげてもいい (着替えがないのが気になるが) のだから,特典満載だと思うが.個人的には,ひさしびりに夜の沙弥島のナカンダ浜にでも行きたい気分だ.名前がいいよなあ.ねえ,行きたくないかい?

閉門時間は迫っている.本は貸してあげることにした.
ひとみ「私がこの本をめくって行くので適当なところで止めてください.そのセリフを言ってあげます.」
止まったページはあまりにも状況にぴったりのものだった.わたしのその的確な判断力というか技術に圧倒されて,ひとみはその言葉を口に出来なかった.ひとみのすぐそばまで行って覗くと,
「もっとそばに、行っていい?」
「隣に座っていい?」
とあった.ほとんど完璧じゃないか.


【2005/06/01 20:31 】
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