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The Machinery of Freedom
David D Friedman の The Machinery of Freedom, Second Edition (1995) の全文が無料で入手できるようになった.無断でスキャンされたコピーの pdf を,著者が自分のサイトに置いたとのこと.帰結主義リバタリアニズムを力強く展開する,読みやすい本.人生を変えてしまいかねない一冊だ.
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【2010/06/24 13:19 】
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口蹄疫への対応にリバタリアンはどう答える?
宮崎の畜産農家が口蹄疫でたいへんなことになっている.リバタリアンあるいは古典的自由主義者はこの問題をどう考えているのだろうか? あまり論じたくない問題かもしれないけど,トラックバックを歓迎する.

関連しそうな論点を思いつくままに羅列してみよう.
  • 感染の疑いがあるものもないものもふくめ,ブタとか牛とかが殺処分されている.負の外部性を持つ私有財産を政府が強制処分している.
  • それらの家畜を所有する畜産農家へは,政府から補償金が支払われるらしい.国民の税金から.
  • 財産権を侵すなら補償は必要だろう.しかしある財産の所有権を持つことは,その財産の価値が保証されることを通常は意味しない.
  • そういえば忍者の武器「くない」を所持してるだけで摘発されたニュースがあったが,あの場合は手放しても補償金は支払われないんだよな?
  • 口蹄疫は人間には害がないらしい.殺処分は生きている家畜の価値を保つために行なうのだろう.殺処分がベストな方法かどうかは分からない.政府の恣意性はあるだろう
  • 将来的には民間の保険で解決できる問題か? 漁業あたりといっしょにカバーすればやっていけないだろうか?
【2010/06/12 08:52 】
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「問題だ!」と言う人がいちばん問題?

「「問題だ!」と言う人がいちばん問題なのだ」

イヤな言葉だ.こういう言葉は言われたくない.孔子様の「己の欲せざるところ,人に施す勿れ」の由来にしたがえば,他人には言ってみたい言葉ということになるだろう.だがボクの周囲には,本当に問題であることにたいして「問題だ!」と激しく指摘してくれる人がボク以外にいないので,使う機会はあまりなさそうだ.(おもしろいことに「そんなの自由でしょう.ちっとも問題ではない!」とボクより激しく主張する人はもっと少ない.) 残念だ.けっきょくはボクが言われる方になるのだろう.そのときは,

「「「問題だ!」と言うひとがいちばん問題なのだ」というひとがいちばん問題なのだ」

と言い返すことにしておこう.

ところでさいきんその言葉を口にした人がいる.いや,文字にした人が.武蔵野 (三鷹・小金井) の杜で学んだと思われるもと隣人で (思いちがいなら失礼!) ,いまは海を挟んだ隣人であるショウゴさんこと三野牧師である.そのブログ記事のタイトルは「その正論は間違っている」.勇ましいタイトルのわりに本文はソフトだ.(とりあえず「敵対的」トラックバックは送った.悪意はないけど,理解されない可能性はあるかも.そのときは仕方ない.というか,もともとトラックバックは受け付けてないぽいな.)

で,物好きなボクがそれにちょっかい出したら,ショウゴさんはさらにソフト度を増幅させ,「誤解を与えたようでしたら申し訳ありません」と応えてくださった.「牧師さんに謝らせるような偉~いあんたは誰様なの?」って? 我が輩は平凡助教授である.

どうちょっかい出したかって? 「正論を言わないことに激しく痛みや苦しみを感じるひともいるのです.言ったら言ったでまたべつの痛みや苦しみがあるのが悩ましいところですが」と言ったのさ.なにしろボクはある科学的測定結果によれば,自由を奪われることにかんして最低でも通常の日本人の64倍は強く痛みや苦しみを感じるらしいから.補足しておくと,自分自身が痛みや苦しみを感じなくても,正論が通らないことによって痛みや苦しみを受けるであろう多くの人々のことの方が目の前にいる相手のことより気になるという人もいるだろう.

いやあ,ショウゴさんゴメンなさい.べつにショウゴさんが上記の言葉を他人に向けて発したとは思ってませんよ.仮に発するとしても,かなり頑固な反戦主義者のようだから,相手とか状況を選んで,それなりに納得できるようなやり方で発することと推測します.ボクの方も冒頭で「こういう言葉は言われたくない」とは言ったものの,べつに利害関係ないひとに言われるだけなら,「あ,そう」という感じで,特に気にしません.

少し建設的な方向に話を進めよう.牧師さん曰く:

「物事や人を良い方向に導くのは正論であるかどうかという部分よりも、
相手や物事の本質と同じ目線に立とうとしているかが大きいと思うのです。

これもあまり嬉しくはないけど,じゅうぶん理解できる.ビジネススクールにいたことのあるゲーム理論家らしく言い換えれば,

「目標が正しくても,戦略が誤っていれば目標は達成できない」

とでもなるだろうか.ありがたみもへったくれもない世俗的な言い方だが,こういう言い方の方が大学教員にはふさわしいだろう.(牧師とちがって,大学教員とか経営者は「なにを精神論なんか言っている!」とバカにされる立場だから.) でも言い換え前の言葉にふくまれている精神はそんなには失ってないと思う.そのわけは面倒なのでここでは議論しないけど,ビジネスあるいは市場こそが道徳的だという理解は倫理学者にも広まって来ているからいいだろう.そもそも戦略的な行動を取ること自体は善悪とは関係ない.

「「問題だ!」と言う人がいちばん問題なのだ」という言葉を (好意的かつゲーム理論的に) 再解釈すれば,後ろの方の「問題なのだ」というのは,「悪い」という倫理的判断ではなく「戦略が下手」という,技巧にたいする評価だと理解できる.言われて嬉しい言葉とはいわないが,かなり客観的な命題に聞こえなくもない.

そういうボクはじつは戦略的に行動するのがとても苦手だ.問題を見つけしだい,犯人を探し出して罵倒して潰そうとするのが常だ.(いや,通常は問題というのは複雑なインセンティブから生じており犯人を特定できるものではないので,とりあえずだれでもいいから同じ問題で苦しんでいそうな「仲間」の前で怒りを表現してみる.笑) じっさい (あらゆる場面でとは言わないけど) いろいろと損をしていると思う.

それじゃ「ゲーム理論家として問題じゃないか?」と言われたら何と答えたらいいだろうか.「戦略的に行動できているからといって,それを認めることが戦略的に有利だとは限らないだろ.ふつうは不利になると思うよ.ボクがコンサルタントやってたり一般向けのゲーム理論の本を書く予定があったりしたらべつだけど,そうじゃないから,べつに戦略的行動が下手と思われてもぜんぜん困らない.能ある鷹は爪を隠すと言うじゃない.いや,いや,それは一般論で,ボクは単にバカなんだよ.いや,バカって言っちゃ創造主に怒られるからそれは撤回して,なんというか,日常的に戦略的思考とかしてたら疲れるので一切しないことにしてるんだ」とでも答えて煙にまけばいいかな.アハハ.

信じてもらわなくて結構だが,ボクは善悪にかかわるような問題については愚直に行動することにしている.戦略性はそこにはない.愚直に行動している.戦略性はそこにはない.愚直に行動している.戦略性はそこにはない.ホントだよ.ホントだってば.

うまく説明できないが,あるシチュエーションを戦略的にうまく乗り越えたとしても,似たようなシチュエーションは繰り返し起こりうる.短期的に見ればうまく問題を解決できるような戦略でも,長い目で見れば大きな失敗になっていることがある.(考えてみよ.たとえば市場がすばらしいのはそれが人知を越えているからだ.将来的に持続して正しく予想できるわけがない.)「ヤクザの脅しに乗ってカネを払ってしまったら,そのヤクザやほかの連中に将来つけ込まれることになるかもしれない」ということだ.もちろん「ヤクザの方もビジネスは続けたいはずなので,特定地域で長期的に活動しているようなヤクザなら信じて従うのが賢い」という反論も理解できなくはない.それでもボクは「問題だ!」と指摘することも行動することも止めたくないのだ.

なんかいつのまにかヤクザの話になってしまった.ボクの置かれた環境を表現するには泣きそうなくらい適格な比喩なので,笑ってしまいそうだ.

【2009/10/20 18:27 】
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近所で起きた受精卵取り違え: 被害感情を想像してみる

近所の病院で受精卵の取り違えがあったそうだ.不妊治療で誤って別の女性の受精卵を移植された疑いのあった女性夫婦が,人工中絶を受けることになったという.いったんは妊娠していたのだそうだ.事故は香川県立中央病院で起きた.「さか枝」といううどん屋の裏にある病院と言えば,地元の人には通じるだろう.あんな汚い病院で体外受精してもらう客がいたというのにはちょっと驚いた. (外観はそれほど汚くない.)

病院側はもちろん謝罪したが,女性側は2000万円の損害賠償を求める訴えを高松地裁に起こした.担当医は「妊娠したという喜びの際、中絶という身体的にも精神的にも想像を絶するような負担をかけ、申し訳ない」と語っている.被害の評価が食い違ったのだろう.この事件は全国ニュースになってるようで,けっこう感情的な報道が多い.記者たちにとっては当事者夫婦の苦痛を想像するのは容易なのかもしれない.

だが,アスペルガー傾向の強いせいかどうかは知らないが,ボクにとっては想像するのが困難な苦痛だ. 評判も良かったに違いないこのベテラン産婦人科医師の想像を絶するという被害感情を,(平凡な男性である?) ボクが実感をもって想像するというのは無理な話だ.だって,もともと子供が生まれにくい状態 (nil) だったものが,いったん妊娠という状態 (1) を経たものの,結局はもとの状態 (nil) に戻っただけでしょう (リマーク参照).

リマーク.話がややこしくならないようにするため,治療によって身体的なダメージはなかった (たとえば治療前後で妊娠しやすさは変わらなかった) とする.じっさいは,中絶の刺激などにより,妊娠しやすくなる効果も逆の効果もあるだろう.

治療前と治療後だけを見れば現状が変わらなかっただけなのだから,治療費をタダにしてさえもらえば,失われた時間と多少イヤな感情は残るとしても「あきらめるしかないな」と思わないだろうか.思えないひとも多いのかもしれないが,少なくとも「そう思いなさい.相手が間違いを正したのならば,済んだことは赦して忘れなさい」としつけを受けて来たのではないか.そういうマインドセットでも持たないと,とても現代社会では生きて行けないのでは.

例えるならば,洗濯機が壊れて修理に出したら他人の洗濯機が戻って来て,それと知らずに使っていたような状況だ.そこに「すいません.とりちがえてました」と自分の洗濯機が戻って来くれば,「このバカ野郎! いままで他人の洗濯機使わせやがって! 気持ち悪いじゃないか」という感情は残るかもしれないが,「まあ,最終的には自分のが戻って来たのだから」とあきらめるような感じだ.(ただしこの例は,もとの状況とはちょっと違う以下のような状況に対応している: 受精卵を取り違えられた二人の女性がいて,最終的に正しい母親に戻されて妊娠するという状況.)

現状維持に過ぎないのにやたら感情を高ぶらせている逆方向の例としては,「事故にあって助かって喜んでいるひとたち」というのもある.これも新聞記者によく理解されている感情だ.ほかのひとは被害にあっているというのに,そしてその本人も予定が狂ったりしてコストを被っているはずなのに,彼らの喜びは特に非難もされなければ,奇妙に思われもしない.(「貴重な体験ができてうれしい」というのもあるだろうけど,そんなに決定的な要因とも思えない.) ただし,こちらは「喜ぶな」というしつけがなされて来たという話は聞かない.

ということでボクにとってこの夫婦の「苦痛」は感情的にはよく理解できない.しかし各紙の報道が普遍的と言えるくらいに被害者の苦痛を当然視しているからには,同じ人類として理性的には理解できるかもしれない.ということで当事者の感情面を重視したこの記事などを読んだりして考えてみた.

  1. まず,既に述べた nil-->nil (現状維持) というモデルがある.途中のプロセスは無視して,担当医にかかる前と後を比較する見方だ.途中の政治プロセスなどを考慮していては混乱するので,政策評価などではふつうのやり方かもしれない.これによれば,状況は悪化しなかったことになる.単純で分かりやすいモデルだが,残念ながらこのモデルでは新聞報道を理解できない.
  2. つぎに,nil-->1-->nil (現状から妊娠,そして現状へ) というモデルがある.このモデルを前提にしても,評価の可能性はいくつかあり,たとえば最初と最後の状態 nil だけに注目すればモデル A と同じになる.あるいは「ヒトは最後に経験した変化にともなう感情だけを記憶する」とでも仮定を置けば,最後の「妊娠から現状」という,医師のやった仕事のネガティブな部分だけが評価されることになる.公平とは言えないが,とりあえず新聞の一斉非難はこれで説明できる.

いずれのモデルにせよ,選択肢が nil と 1 だけでは状況を詳しく記述できていない.評価が「選好」にもとづいて行われるのであれば,その「選好」を記述する必要もある.

まず選択肢として忘れてならない情報は,「だれの子」かだろう.同じ妊娠すると言っても,その子が自分の子かどうか,自分の愛する男性の子かどうかで,その意味がまったくちがってくるというのは十分理解できる感情だ.妊娠状態を「1」とだけ表現してすべて同じにあつかうのはあまりに乱暴というわけだ.ここでは次の5つの選択肢を考える (じっさいに選択する対象ではないので「アウトカム」と言った方がいいかもしれないが,そこはポイントではない):

  • 11 (自分と自分の愛する男性の子を妊娠した状態)
  • nil (現状; 妊娠していない,妊娠しにくい状態)
  • 10 (自分と自分の愛さない男性の子を妊娠した状態)
  • 01 (自分以外の女性と自分の愛する男性の子を妊娠した状態)
  • 00 (自分以外の女性と自分の愛さない男性の子を妊娠した状態)

夫婦あるいは女性の選好としてはおそらくここにあげた順番か,10 と 01 が入れ替わるかではないか.あるいは 01 (自分の愛する男性とほかの女の子供を身籠ること) を最悪に思う女性もいるだろう.

いずれにせよ,2番目の nil と3番目の選択肢のあいだには大きなギャップがあると思われる.自分の身体というプライバシーが侵されるということからだけでも,じゅうぶん想像できる.レイプされたようなものだろう.(「レイプされてできた子供でも産みたい」という感情を持つ女性もいて,そういうひとはおそらく 10 を nil より選好するだろうが,考えない.今回の被害女性はそうではなさそうだから.) そんなふうに極端な言い方をすると,「みずから承諾したのだからプライバシーは侵害されていない」と反論されるかもしれない.(たとえば「バブルの頃ハワイの砂浜で新婚さんがセックスするのが流行ったじゃないか.あのとき多くの男たちががハワイに出かけ,暗闇の砂浜で相手を間違った振りをして他人の新妻とセックスして,『ハワイで作った赤ちゃん生まれそうよ』とか言われて,面倒なことにならないうちにさっさと逃げたとか……よくあったよなあ」とか.) しかし意図的でないにせよ相手は正しく情報を提供していないので,「承諾した」と言い切るのはむずかしいだろう.

ボクの科目で不可を喰らった男子学生がボクのところにやって来て,「すごくいいものを教えるので,可をください」と,自分の恋人が管理する超エロいマル秘写真サイトのアクセス方法を教えるような状況だ.ボクが男子学生から教わったユーザー名を語ってその恋人に自分のエッチな写真を見せてもらったとしたら,正しい意味で承諾を受けたことにはならないだろう.正しい承諾であるためには,ちゃんと自分の身を明かした上で正しい情報を提供して「あなたの彼氏は酷いやつだ.そんな彼とはさっさと別れなさい.ということで,ボクにも見せて」とやるべきである.

で,そのギャップが大きいと,今回のように nil-->z--->nil (ただし z は 00; 正確には 00 と 11 の「くじ」で 00 に高い確率を持つもの) というプロセスで,x のマイナス効果が大きくて効用の評価上とても無視できなくなるのだろう.これで少し分かって来た.

しかしこれでも説明としては不十分だ.いくら 00 (他人夫婦の子を身籠ること) にほとんど等しい z という状態の効用がひじょうに低いといっても,想像を絶するほどではないだろう.実際,00 というのは代理出産のことであり,外国では多くの人が金銭と引き換えに受け入れている.

つまり選択肢として上に挙げた5つでは記述できていないものがあるのだ.それは nil-->1-->nil というプロセス全体,特に先に述べた 1-->nil という「変化」にかかわる部分だ.その部分が z-->nil であれば効用が増加するのだから良さそうなものだが (じっさい問題の夫婦は人工中絶を選択したので効用はこの変化でプラスだったはずだ),この部分はじつは生命を奪いもしている.そして生命が奪われると言っても自然に奪われるのと,人工中絶で奪われるのはちがうだろうから,区別する必要がある.

となると nil-->x-->y という全プロセス中で,すべてに共通である最初の nil は無視できるにしても,x, y, そして「x-->y の変化のあり方」にかかわる情報は欠かせない.これら3つの要素からなる「一般化選択肢」を

(x, y, x-->y)

と書き,x, y は上記の5つの (基本レベルの) 選択肢のいずれか,そして変化のあり方 x-->y は id (無変化)または nat (自然流産) または abort (人工妊娠中絶) で表すことにする.すると,妊娠しなかったものはそのままなので x= nil ならばかならず y=nil となる.また,x が nil 以外のときは以下のようになる.

  • 妊娠状態が続けば,y = x で,変化は id,
  • 自然流産すれば y= nil で,変化は nat,
  • 人工妊娠中絶すれば y= nil で,変化は abort.

さて,妊娠しなかったときの一般化選択肢は (nil, nil, id),今回の事故で仮に自然流産したときの一般化選択肢は (z, nil, nat),そして今回の事故にあたる一般化選択肢は (z, nil, abort) ということになり,おそらく効用はこの順番で下がって行くだろう.z のひじょうに低い効用を考えると,最初の2つのギャップは大きいし,人工妊娠中絶の精神的負担を考えるとあとの2つのギャップも大きいかもしれない.いずれにせよ今回の (z, nil, abort) は現状維持に見える (nil, nil, id) よりもだいぶ悪そうだ.

ちなみに今回の (z, nil, abort) が中絶しなかったときの (z, z, id) よりも望ましいことは,当該夫婦のじっさいの選択から言えるはずだ.しかしなにか腑に落ちないものがある.「z という「くじ」が不確実性を残したままで中絶するかどうか選択しなければならない苦痛」というのが表現できていないためかもしれない.

「こんな面倒な議論をしないとお前は分からないのか?」とか言われるかもしれない.まあ,そのとおりだ.そして,その理解もあくまでも理性レベルの話だ.やはり感情的には「でももとに戻ったし,治療費くらいは取り返したんでしょう?」となってしまう.これって普通じゃないのかなあ? 「自分もそうだよ」と思う読者は少なくないと思うんだが,いたらコメントしてくれないかなあ.

あと,被害者が不特定ではない状況で記者に向かって頭を下げるのは自分には分からない.「こうこうこういうことがあって被害者には謝罪した」と説明すれば済みそうなもんだが.新聞記者が問題を起こしても,当の新聞社はその状況を客観的に報道するだけのことが少なくないような気がするんだけど,あれでいいのでは.「記者会見を開くからには謝罪しないと格好がつかない」という思いがあるのだろうけど,それにしてもヘンな慣習じゃないか?

お知らせ

このブログ左欄の information に「theorist2のはてなハイク」というのを追加した.ときには内容のないつぶやきもあるが,主として情報としての価値もありそうな短い記事を提供して行くつもりらしい.RSS 購読もできるので,RSS リーダーに登録することを theorist2 自身に代わってお薦めしておく.

追記 (2/22/2009)

せっかく得られた結論を否定するようなまとめ方になってしまったので,改めてまとめておく:

  • 「いずれにせよ今回の (z, nil, abort) は現状維持に見える (nil, nil, id) よりもだいぶ悪そうだ」と書いたように,結論は (ボク自身の直観に反して) 「かなりの精神的ダメージがあったのだろう」ということ.
  • 示談なり提訴なりによってそのダメージ (の一部) を取り戻したら,あとは忘れるのが合理的.サンクコストとしてあきらめるにあたっては,それ以上なにかできるかどうかが問題であって,もとの状態 (もとの効用レベル) を取り返せたかどうかは関係ない.

患者と病院側で被害にかんする評価が異なったのだろうと書いたが,じっさいは病院側が慎重な対応をしようとして評価を出すのが遅れたということらしい.県立ならじゅうぶんありそうな理由だ.もし病院側の言う通りならば,損害額の評価の違いはそれほど決定的な問題ではないかもしれない.じっさい患者側の弁護士は最初今回の請求額 2000 万円の半額程度しか求めていなかったと明かしているし.保険が利くのかどうかとか,日本全国で年間どのくらいのミスを許容するかのターゲット設定によるけど,「ミス1回につき一千万円の追加コスト」は抑止力としてどうなんだろう.

【2009/02/21 20:53 】
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年越し派遣村で出さなかったカニを食べるのは教育サービスを受けるようなもの

世は不景気ということだ.せっかくの不景気の年だから,価値を生み出せない企業や部門が順調に潰れてくれることを期待したい.その分浮いた労働力は,もっと消費者の需要のある---つまり社会に役立つ---分野で生かされることを願っている.どういう分野かは各自探してくれ.それが市場経済だ.

以上,やや遅れた新年の挨拶.特に今年は古い日本が潰れてくれるのを楽しみにしている.(べつに民主党を応援するわけじゃないよ.)

不景気で学生が就職の内定取り消しをくらったりしている.会社員も残業が減ってヒマになったりしている.専門職大学院の教員は,例年になくうれしそうだ.これで定員割れの心配も少なくなりそうだと.じっさいどうかは分からないけど,まあ,そういう効果はあるのだろう.

内定取り消しをもらった学生の深刻さというのは,専門職大学院に参加しないノーマルな大学教員にとっても,なかなか実感を持てないものだ.「そりゃよかったじゃないか.韓国にでも留学して韓国語勉強するといいぞ」とか,自分が密かにやりたいと思っていることを無責任に薦めたりする.

みずからが学生時代安易に卒業を延ばしたり,長年貧困レベルすれすれで生きた経験のある教員もけっこう多い.「自分が大学四年生のときも不況で就職は大変だった.自分はどこにも内定をもらえなかったので,とりあえず大学院に進んだ.いや,卒業を延期したんだっけ.細かいことは忘れたけど,こうやっていつのまにか教授になってた.まあ,就職していたらいまごろは会社役員になって金持ちにはなってたかもしれんが……べつに教授になってしまったからといって自分は恥じてはいない」という感じだ.あはは.

そうじゃなくても,現代の学生はボクらの時代とちがって豊かな生活をしているので,同情というのはむずかしい.そもそも能力的にも開発途上の学生が大部分で,「あれで正社員として採用しなきゃならない企業も大変だろうな」という状態で卒業できてしまう.

さて,日比谷公園の「年越し派遣村」がメディアで不相応な注目を浴びていたようだ.お正月でニュースが欠乏していたという事情もあるだろう.その割には 500 人くらいしか集まらなかったというのは,まだまだ良識を持つ日本人が多いということか.(集まった「ボランティア」は 1600 人以上とか.)

そのニュースを見たボクといえば,高校卒業以来,勉強や仕事で忙しくて,新年に帰郷したのは一度くらい.(典型的な独身男性の正月なんてそんなもの……でもないか.) その村に集まったのも帰郷しないひとたちなんだろうが,そちらは仕事をしたいけど帰郷しない人々ということだった.と書くと分かりにくいな.「仕事を探してはいるけど仕事がない.しかしヒマだからといってまともな仕事についてない状態で帰郷するのも恥ずかしい.生活保護の申請なんてめんどくさそうだし,自分一人だけするのもかっこ悪い」といった感じの,プライドが高いというか,まじめなひとが多いのだろう.いいことだ.(もちろん派遣村で活動家としての「仕事」をこなしていたコアメンバーもいたはずだが.) 「ボクみたいに正月から仕事しなくてもいいじゃん」と思わなくはないが,そんなことを言っていてはニュースとしての切迫感が出ない.(このあたりについては元ジャーナリストの池田信夫が触れている.)

日比谷公園に集まった,仕事の切れ目 (between jobs) にいる人々が温かいご飯を食べているあいだ,ボクもモチくらいは食べた.もちろん帰郷はせずに.そういえばカニも食べた.それが彼らとボクのちがいだ.(彼らとちがって携帯電話こそ持っていないが) カニくらいは食べられるくらいそこそこ恵まれていると,今のようなチャンスがあってもなかなかみずから起業する気にはなれない.全国の失業者のみなさん,労働機会を創出できなくて悪いね.いや,もともとボクのようなビジネスセンスのない人間にはだれも期待してないよなあ…….

派遣労働にたいする規制が強化されたら,大学の非常勤講師はどうなるんだろうか? ふと思った.大学は非常勤の採用をやめ,かわりにボクらの仕事がきつくなるかも.「いや,あれは派遣じゃないから該当しないだろ」といえば,そうかもしれない.しかし不正社員……とは言わないな,なんだっけ? 正社員以外全般にたいする規制が強化されれば似たようなことだ.というか,この非常勤講師の例はあくまでも一般的な問題の構造を指摘することが目的なので,ごちゃごちゃ言うな! 要するに大学非常勤講師に限らない一般論として言おう.働き口が減り,残された仕事の負担は増えるんじゃ? だれがうれしいのか?

ところでカニを食べるというのはあれは消費活動だろうか? 満足を得るためにはかなりの生産的努力を要することは,経験のある者には分かるだろう.ピーナッツの比ではない.ボクは12月にも経験したとき,もう一年くらいはカニを食べたくないと思ったのだが,案外早くこの労働はやってきた.一定の生産的な活動なくしては消費の満足を得られないのが,カニの消費だ.

一定の生産的な活動なくしては消費の満足を得られない商品としてもっと適切な例はないか.ガソリンを入れないで「クルマが動かない」と文句言ったり.お湯をかけもしないで,「このカップラーメンは食えたものでない」と言ったり.それらも例にはちがいないが,たいした生産的努力ではない.やっぱり消費のために相当な努力がいるといえば,教育だろうな.「ガソリンも入れないで「クルマが動かない」と言われても: 教授会から中継」でも書いたけど.

だからなんだって? このブログの左側の information 欄に Reiju の共有アイテムが追加されたことにお気づきだろうか? そこでのつぶやきは,結論を出したり主張を述べたりすることを特に意識してないようだ.アイディアによってなんらかの刺激を得たいひとには,それで十分かもしれない.この記事も同様ということにしておく.

追記 (1/7/09)

タイトルと語句の修正ほか,いろいろ加筆した.

【2009/01/06 23:46 】
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交詢社の紳士録がなくなるらしい

120年近く続いて来た人名録の元祖「日本紳士録」(発売・交詢社出版局,発行・ぎょうせい) が今月刊行の第80版で休刊することになったそうだ (「消える“名士の誇り”日本紳士録…120年に幕」).まだまだ続くと安易に考えていたので,意外だ.

ちなみにこの記念すべき第80版にはボクの名前も載ることになっている (ただし「平凡助教授」とはちがう仮の名で).ここのところ数年間,掲載の誘いが来ていた気がする.「大学で求められる社会貢献あたりの対策になるかも (たぶん無理だろうけど)」というわけで,今回は掲載することにしたのだ.それが最終版になるとは,ちょっと驚き.

居の上さん (交殉社): ということで,まちがいなく第80版には載りますので.

平凡助教授: それは光栄ですねえ.[ボクとしては当然ながら「人格、識見ともに日本人の代表たりうる人」ってわけだ.ひとを研究者あつかいしない,態度でかいアホ学長もこれで黙るかも……]

居の上さん: ところで,先生,よかったらご購入なさいませんか.

平凡助教授: アハハ.10万円は高すぎますよ.[2000円くらいなら親への土産として買ってもいいんだけど……] 大学教授のようなケチな人種じゃなくて,もっとお金の余ってる紳士に頼んでくださいよ.

居の上さん: さようでございますか.では,またいずれということでお願いしておきますよ.

残念ながら (ということはないが),その「いずれ」はもう来ないみたいだ.やはり平凡助教授まで載るような状況というのは,この栄誉ある紳士録としては末期症状だったということなんだろうな.合掌.

引用記事に「レトロ風の赤い装丁と高価格も相乗し、まさに貫禄(かんろく)ある人名録となった」とあるけど,こういう強気の価格設定もシグナリング (←天谷というゲーム理論家があげてる例の「逆」っぽいけど) というのかしらん.

【2007/04/21 08:49 】
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大学関係者かつ保守としての宮崎県新知事

建国記念日ということで,一日遅れだが神話のふるさと宮崎の写真でも載せよう (クリックすれば拡大):


高千穂鉄橋のあちら側に天の岩戸を望む (2006 年春撮影)

谷底から見ればたしかに「天」である.ただ,天孫降臨の「高千穂」は,高千穂河原から臨める高千穂の峰のほうかもしれない.(鳥居と祭台だけの霧島神宮古宮跡がある.)

まったく関係ないのだが,どうせ高千穂鉄道のことを書くなら書いておきたいものがある.槙峰ちかくの綱ノ瀬川橋梁は目立たないながらなかなかのものだ.

経済学徒にとっては,「高千穂」といえば宮崎出身の社会科学者 J. Mark Ramseyer (ハーバード・ロースクール; 法と経済学,日本法) の印象が強いだろう. ラムザイヤー, ローゼンブルース (1995, 123頁) にある利益誘導型地方政治にかんする記述で,Robert L Ramseyer というひとの "Takachiho" という作品がさりげなく引用されている.まあ,ふつうに考えれば親にあたるかな.Measuring Judicial Independence という本のなかでも,"To many Americans in Japan, Tokyo is the last place they want to be. An over-priced Manhattan, it seems the least interesting place in the country. Far better, they reason, to live in exotic shrine cities like Izumo or luscious mountain villages like Takachiho." とあるのも目を引く.このひとは高千穂に住んでいたんじゃないかな

宮崎と言えばさいきんは東国原英夫知事 (そのまんま東) で盛り上がっているようだ.ボクはこのひとが知事選に立候補すると知ったとき,いくつかの思い込みをしていたものだ.しかしマスコミの思い込みも相当なもので,それゆえボクの感覚に合わない報道が続いたし,一部ではいまも続いているようだ.

まず,選挙は大学関係者と官僚出身者の戦いとボクは思い込んでいた.もちろん官僚出身のほうが大学時代にちゃんと勉強した可能性は高いが,にもかかわらずそのまんま東といえば早稲田の公共関係の専門職大学院あたりで一生懸命勉強したイメージがあった.(じっさいは大学院ではなくて,第二文学部を出て (?),政治経済学部を中退したということだが.) 「大学で勉強する地方自治とじっさいの地方行政はちがう」といった,予想される批判を思うにつけ,大学人としては東氏を応援したい気がした.

次に,東氏は保守だとボクは思い込んでいた.マスコミだけでなく宮崎県民も東氏を,自民に代表される旧保守と対比される新たな破壊者,長野のもと県知事・田中康夫と同列にとらえた感じだった.しかし「早稲田の大学院 (実際は学部だけど) を出て革新のわけないだろ! たしかに早稲田の教授には革新も多いだろうが,地方自治を学んで県知事に立候補しようという発想の学生が保守でないわけはない」と思い込んでいた.

じつのところ,東氏は自民党から出るのかなとさえ思っていた.で,そうではなく,しかも自民自体が候補者推薦で割れていると聞いて,それじゃあこの選挙は東氏の勝ちかと勝手に思った.東氏が保守で,しかも保守が割れてるならば,東氏は両者の票を軽く奪えるはずだと考えた.対立候補の出身大学は知らないが,どうせ東大あたりだろう.早稲田と東大だと出身者の数もだいぶちがうし,人気もちがう.じっさいのところはあまり関係ないだろうが,とにかく宮崎における東大の人気の悪さを思えば,少しは有利かなという感じはした.今回の選挙だけでなく次回もじゅうぶん勝てるんじゃないか.今回は自民から出るとマイナスになる要因が大きかったが (知事選で対立候補だった自民推薦のひとを副知事にしようとする作戦も「しがらみを断ち切れない」とのことでダメになったし),次回は自民推薦で出るのは戦略的にまちがっていないと思う.

さらに,東氏は宮崎県北部で苦戦するとボクは思い込んでいた.いまは列車の走らなくなった,写真の高千穂鉄道も北部にある.このサンクコストを諦めきれない住民がどのくらい多くいるか分からないが,この地区の住民に訴えかける政策を打ち出すのは困難だろう.しかも選挙中の報道によれば,東氏は宮崎弁を駆使しているということだった.東氏の地元の都城弁は,北部である高千穂や延岡の住民にはもちろん,県央の宮崎市あたりの住民にも通じないはずだ.微妙な差があるというていどの違いではないので,「宮崎弁を駆使」といったばあい,最低でもふたつ,できれば三つ以上の宮崎弁を使いこなす必要がある.東氏はそれができるんだろうか.

宮崎弁(みやざきべん)は、宮崎県で話されている方言である。宮崎弁は大別して2種あり、広く宮崎県で使われている豊日方言に分類されているものと、県南西部の都城市、えびの市、小林市付近(諸県郡)一帯で使われている薩隅方言に分類されるものがある。都城市付近はかつて薩摩藩島津氏の統治下にあったことに起因する。しかし、鹿児島地方の方言とはまた異なるため諸県弁という呼称も存在する。豊日方言に分類される宮崎弁の中でも、県北(延岡市周辺)、県央(宮崎市付近)、県南(日南市付近)で使われている方言には語彙・イントネーションの点で若干の違いが存在する。かつて、大分の宇佐神宮の影響下にあった土持氏が宮崎県県北から県央までを支配していたことから大分の日田弁に近接している面が多々あり、大分県により近い県北地域の言葉が若干異なるのはそのためだとされる。(ウィキペディア「宮崎弁」より)

以上,宮崎県新知事についての思い込みをいくつか書いてみた.それが正しいかまちがっているか検証はしない.しかし,この思い込みと同様の視点を持てば,明日の宮崎を読むのはそれほど困難ではないかもしれない.

参考文献

M・ラムザイヤー, F・ローゼンブルース. 日本政治の経済学: 政権政党の合理的選択. 弘文堂, 1995. 原著1993年刊行.

追記 (2/13/2007). 「保守」という言葉は多義的すぎるので言い換えておく.このばあい特に「プラグマティック」な側面を指していると言えば分かるだろうか.

J. Mark Ramseyer の記述を追加.

そのまんま東氏はマニュフェストで「重要な観光資源である高千穂地域の交通基盤整備の支援(DMV等を視野)」とたしかに高千穂鉄道の再建に取り組むともとれる言い方はしている.しかし断定的な言い方ではない.知事選で川村秀三郎氏に負けた7町3村は東諸県郡国富町,綾町,児湯郡西米良村,東臼杵郡北川町.諸塚村,椎葉村,美郷町,西臼杵郡高千穂町,日之影町,五ヶ瀬町ということだ.日向市以北では市部と門川町を除けば全滅であり,やはり県北で苦戦したようだ.

【2007/02/12 08:04 】
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鶏の処分は宮崎大学うさぎ狩り部にまかせよ

おいしい宮崎地鶏を食べていたら,宮崎県清武町の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザの発生が確認されたとのニュースが入った.供給も減るが需要ももっと減るだろうから,単純に考えると価格は暴落するのだろうか.(保存がどのくらいきくかとか,出荷をどのくらい遅らせることができるかという要素も考えなければならない.) 年末の牡蛎のときは得したが,今回は買うタイミングが悪かったかもしれない.

最新ニュースによれば,約12,000羽いる鶏の処分は今日じゅうに終わるようだ.殺戮するくらいなら安くで譲ってくれと言いたくもなるが,医学的問題もいろいろとあるらしい.殺戮しているのは県庁職員だろうか.自分が養鶏場の経営者ならば,ライフル構えて殺戮者たちを追っ払いたいところだが.しかし,まあ,殺戮者たちも好んでやってるわけではないのだろう.県知事選挙を控えたこの時期にご苦労なことだ.もっと適任者はいないのか.

清武といえばたぶん農地と大学くらいしかない場所だ.それで思いつくのが,宮崎大学のあの「うさぎ狩り部」だ.以前,宮崎大学は捕まえたうさぎを解体する様子をネット公開した学生たちを処分するという愚挙を犯したが,どうせ処分するならばもっとちがうやり方があったはずだ.たとえば社会奉仕活動だ.今回のような鳥インフルエンザ事件がおきたときに,鶏を処分するのを彼らにやってもらうのだ.殺戮を通じて生命の重さに直面したかった彼らの特性を有効に利用した,なかなかうまい「処分」だと思うが.残念ながら今回の事件には間に合わなかったけど.

【2007/01/15 15:00 】
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