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教養学部新設にかんする一考
平成香川大学の教養学部は来年春に開設できるところまで来たように見える.もちろん無意味に開設を先延ばしにしようとする勢力はつねに存在するので,実際に来年春に開設するかどうかは分からない.問題点はまだまだあるだろうが,ここまでプランが固まったらあとはスピードが大切だろう.

これからでも変更可能な問題点としては,環境メジャーに環境経済学がないことが挙げられる.(農業経済学でカバーする可能性がないとはいわないが.) 結果として,「どのていど環境を守るのがいいのか.そのレベルをどう実現するのか」といった問題をバランスよくあつかう科目が不足している感じがする.もちろん環境経済学者にバイアスがないとは言わない,専門家ゆえのバイアスはあるだろう.しかし環境経済学でも学ばなければ,「最適汚染レベル」といったバランスのとれた考え方を学ぶ機会はないかもしれない.

もはや変更するのは難しそうな問題点としては,各メジャーのプログラムの専門性が高すぎることが挙げられる.基礎的な科目を飛ばす一方,応用分野を限定した科目を提供することにより,小数の限定された専門に学生を導くようなプログラムになっている.これは一概に悪いこととはいえないが,「教養学部」のイメージとはかけ離れているんじゃないか.本来の「教養学部」というのは基礎分野の教育に重点を置き,どういう専門に進むかについては学生に最大限の自由を与えることを重視するものだ.いまのプログラムはあまり自由とは言えない.まるで教養学部で学んだことや教えたことがない教員がデザインしたように見える.正常な教養学部を市場経済にたとえれば,この大学の作ろうとしている教養学部は計画経済にたとえられる.(共通の限定された目標を持っている者だけが集まるという前提ならば「計画経済」も悪くない.しかし教養学部はそういう前提を売りにはしないはず.) 新たな学部を作るよりは,それぞれのメジャーを関連学部に組込んだ方がマシだろう.

基礎的な科目を疎かにした結果として,他学部からの教員にとって参加しにくいプログラムになっている.(他学部から教員が参加しないことは結果ではなくて原因なのかもしれないが.) たとえば経済学科目がまったくといっていいほど提供されていない現状では,環境経済学を専門とする教員がいたとしても普通なら教えたがらないだろう.もちろん逆に関連科目がない方がやり易いという教員もいなくはないだろうが,その場合でも2単位では教養科目と大差のないレベルの科目になるにちがいない.

ボクに提供できる科目があるかという点も少し考えてみた.数学や経済学といった関連分野の科目があまりにも少ない (教養科目に限定される) 現状を前提とした教育効果を考えると,「ない」というのが結論だ.この教養学部で科目を提供するくらいなら,教育学部数学科や経済学部経済学科あるいは工学部情報科学科 (以上,正式名とはかぎらない) で提供した方がだいぶ効果的だろう.

以上,新設教養学部の問題点などをいくつか述べたが,「自分が参加しない以上どうでもいい」というのが本音だ.他学部教員の多くも「勝手にやってくれ」という感じだろう.(ボク自身は賛同できないけど) 基本的な路線が固まった以上は,さっさと進めてもらいたい.始めてしまえば解決できる問題について議論ばかりしていても時間の浪費だから.ということで来年度の開設を期待したい.
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【2010/08/31 04:20 】
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教育改革にかんするシンポジウムに行って来た
わが大学で行われた教育改革にかんするシンポジウムに行って来た.「教養学部設立で苦しんでいるので協力してくれ」という話かと思ったら,そうじゃなかった.少なくとも「教養学部」という言葉はほとんど出て来なかった.かわりに大学教育の置かれた時代背景 (?) にかんする一般的な話がほとんどで,わが大学固有の問題としては教養教育の体制にかんすることが大部分をしめた.「人生とキャリア」という科目で道徳倫理を教えるとかね.「21世紀型市民」とか「身体的コミュニケーション」とか「平成香川大学スタンダード」とか,ヘンな言葉がいろいろ出て来て吹き出しそうだった.

「平成香川大学スタンダードでは,女子学生との身体的コミュニケーションスキルをもっと伸ばさないと,21世紀型市民としての倫理的適格性を備えた大学教員にはなれないかもなあ~」
という具合に使えばいいのかしらん.

ひさしぶりに学内の教育にかんする議論を聞いて,「この大学の教員はいまだにこんな改革議論にみずからの能力を浪費しているのか」という感じがした.大学院マネジメント研究科や図書館の勤務が長く続いたボクは,どうやら教育改革にたいする熱意をだいぶ失ってしまったようだ.

それにしても大学教育開発センター長の認識は甘い.学生から見てありがたくもない教員内の分担で「進んでいる」と言っても仕方ないだろ.ボクが学生だった当時の国際基督教大学やミネソタ大学と比べてもいまだに遅れていると思わざるを得ない.特に4単位科目がほとんどなくなったいまは15年前のわが大学に比べても教育の質が後退している.

コミュニケーションの重視など方向性としては大きくはまちがってないかもしれない,しかしなにかヘンだ.いまの改革には夢も希望も感じられない.理由はよく分からない.ただ,ボクの出身大学ではコミュニケーション能力を確かに重視はしていたが,そのために教員の強みを殺しているという感じはほとんどなかった.たぶんコミュニケーション能力の育成は,目的というより手段だったのだろう.就職は強かったが,卒業直後にどこに就職するかなどといった個人の責任と選択の問題にすぎないことを大学はそれほど重視してなかった,じっさいフリーになるひとも多かった.そこあたりに違いがありそうだ.

シンポジウムの内容とはあまり関係ないが,教育改革がそろぞれの教員の強みを生かした良き方向に転換することを願いつつ,実現可能な簡単なことのみについて意見を書いておこう.

●一週間に一度しか授業がない科目は非効率.そういうペースで授業をしている世界トップ大学があるだろうか? 一科目の単位数は原則4単位以上とするのが望ましく,2単位科目にするなら半学期で区切るようにした方がいい.いちどに10科目以上も履修するようでは学生は集中して勉強できない.一年間だらだら続く4単位科目をせっかく90年代にやめて一学期で履修するようになったのが,2000年代には2単位科目2つに分割されて結局一年かけてやるように後退してしまったものが多い.

●科目のデザインは教員にまかせてもらいたい.特にシラバスでまちがった様式を押し付けないで欲しい.1ページだけでまともなシラバスが書けるかい? 横書き文書の学芸的伝統を大学が継承しなくていいのかい?---文書全体を意味もなく表にしたり縦の罫線を入れたりしてスタイルを無視して醜い様式にして,なにか得になるんだろうか? シラバスは教員がみずから進んでデザインすべきもの.枠に記入する役所の書式では,学生に「仕方なくやっている」という誤ったシグナルを送ってしまうことになる.たとえば文献や課題は項目を設けて列挙した方がいいかもしれないし,授業計画の中に入れてしまった方がいいかもしれない.そういう判断は教員自身でないとできない.印刷物を残さなければならないなら,最低限の項目だけを集めた便覧 (bulletin, course catalog) とし,シラバスは必要項目だけをしめしてあとは教員にデザインさせればいい.それらが区別されるべきものであることは,大学教育開発センター発行の教員ハンドブックにも載っている.

●高学年向け教養科目を解消してマイナー向け科目とするのは反対.ある分野のマイナーはその分野のメイジャーを構成する科目のサブセットで済むはずであり,マイナー向けの科目をべつに設置する必要性はほとんどない.単に高学年向け教養科目を担当して来た教員が既存学部から科目を出せないために,そういう逃げ道を考えたのではないか.高学年向け教養科目は,専門をあるていど学んだあとに視野を広げたり社会や学問における専門分野の位置づけを振り返るような科目として再定義して存続させればいい.

以上がほぼ固まった意見だ.なお,シラバスの問題は科目設計という教員の根本的な自由にかかわる問題である.多数決で統一的に決めてはいけない.たとえれば日の丸を講堂に揚げるかどうかという社会的選択の問題ではなく,個々の自宅に掲げるかどうかという個人的選択の問題だ.個々の教員にまかせればいい.ボクの考える様式をボクが他の教員に強制しないように,他の教員もボクに特定の様式を強制しないようボクは求めているに過ぎない.改善されなければ今後も厳しく追求して行きたい.
【2010/07/13 10:00 】
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論文のコピー手順

昨日はひさしぶりに論文をコピーした.若さ溢れる一部の研究者とちがい,ボクはこういう肉体労働は嫌いだ.大学院生時代は自分でお金を払ってコピーサービスでやってもらってたし (ただし冊子を探し出して図書館内のサービスまで運ぶのは自分),大学教員になったあとも経済学部時代は主に助手にやってもらってた (欲しいもののリストをメールしてた).経済学部を去ってからは助手のサービスが使えなくなったので仕方なく自分でやっている.

今回は図書館に所蔵しているのは分かっていたが,面倒なので最初は出版社に高いお金を払って研究費で pdf を購入しようと思った.だが,大学からの回答は「クレジットカード払いだから無理」とのことだった.(どうやらわが大学ではその出版社から直接購入しようとした前例はなかったらしい.なお,インターライブラリーローンについては,pdf を送ってもらうのはダメらしい.)

研究室が図書館外にあった頃と今とではやり方が少しちがう.研究室が図書館内になかったころはこんな手順だった:

  1. 図書館に行く
  2. 図書館の書架 (1階) からジャーナルを取り出す
  3. サーキュレーションデスク (2階) でジャーナルをチェックアウトする
  4. [スキャン結果に満足できないあいだ] 以下を繰り返し
    1. 自分の研究室に近いスキャナでスキャン (結果を自分宛にメール)
    2. 研究室でスキャン結果をチェック
  5. ジャーナルを図書館に返却

ステップ 4 の繰り返しのあいだは,重いジャーナル冊子をかかえて1階のコピー室と3階の研究室を徒歩で行き来した.研究室と図書館のあいだの移動ももちろん徒歩.

研究室が図書館内に移ってからはこういう手順になった:

  1. もともと図書館4階にいる
  2. [スキャン結果に満足できないあいだ] 以下を繰り返し
    1. 図書館の書架 (1階) からジャーナルを取り出す
    2. 図書館 1 階のスキャナでスキャン (結果を自分宛にメール)
    3. ジャーナルを図書館の書架に戻す
    4. 研究室 (図書館4階) でスキャン結果をチェック

ポイントは,スキャンが終わったら結果をチェックする前に直ちにジャーナルを書架に返していることにある.スキャン結果に一度で満足できた場合,あらためて研究室から書庫にジャーナルを運ばなくていいのだ.しかし一度でスキャン結果に満足できるとはかぎらないことや,研究室に行った日はいずれにせよ最後には図書館 1 階から退出することを考えると,ジャーナルを戻すのはスキャン結果をチェックしてからでもいいかもしれない.その間1階のコピー室と研究室のあいだを重いジャーナル冊子をかかえて行き来することになるが,エレベータが使えるのでたいしたことはないだろう.

なお,スキャンと同時にプリントアウトしてスキャン結果を確認することもできるかもしれないが,料金の支払いの手続上面倒になるためやってない.また,研究室に高速スキャナを置く手もあるが,使用頻度の低さや書架のある1階と研究室のある4階間のジャーナル冊子の移動が必須になることを考えると,コストに見合わないといまのところ判断している.研究費の使い道がなくなったときは導入するかもしれない.

【2009/11/11 11:58 】
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iPod touch アプリケーションを研究費で買う方法

iPod touch あるいは iPhone 用のダウンロード販売アプリケーションを研究費で購入する方法を紹介しよう.結論から言えば「iTunes Card を利用せよ」ということになる.教員に割り当てられた個人研究費でダウンロード製品を買うことはできないわけではないらしいが,個々の iTunes touch アプリの値段は少額のことが多い.そのたびに総務の契約課の事務職員の (そしてそれ以上に自分の) 手を煩わせるのは効率が悪い.そこで思いついたのが iTunes Card だ.これなら一度の申請で一定額分の購入枠を手に入れることが出来る.あとは必要なアプリケーションを見つけしだいその枠から支払って行けばよい.

ということで iTunes Card の購入申請をしてみたところ,数週間経って (遅い!) 契約課から文句が来た:

「iTunes Cardについては、カードを利用して、
ネットより音楽ソフトをダウンロードするものと認識しています。
カードを使ってどのようなものを購入されるのかが、分かりませんので、
理由書を取るようになっております。
同様に、ダウンロードされるソフトが、教育研究に関わるものであること及び市
販のCD等で購入されない理由も記載下さい。」

いや,べつに音楽が欲しいわけじゃない.CD は聴ききれないほど持ってるし.「研究費で買った iPod touch 用にアプリケーションを入手したいだけなんだ」と契約課に返事した.先方は事情は分かったようだが,それでも理由書が要るという.限られた研究費のもっとも価値のある使い方を知っているのは研究者本人だから,つべこべ言わないで研究者本人にまかせてもらいたいんだけどな.しかしそれでは埒があかないので正直に理由書を書いた:

平成香川大学経営管理室契約グループ 担当者殿
平成21年7月10日
ダウンロード製品購入カードについて
大学図書館 平凡助教授

教育研究内容
人文・社会・情報科学の包括的研究

購入目的
Apple 社製 iTunes Card が必要な理由は,同社製 iPod touch 用のソフトウエア購入のためである.(同製品のソフトウエアは店頭ではなく iTunes Store を通じたダウンロードによって販売されている.) 購入予定のソフトウエアは以下のようなものである:

  • iPhone 3.0 Software Update for iPod touch. 同製品の OS を更新するもの.カット,コピー&ペーストなど現バージョンの OS に欠けた機能を提供.
  • 各種辞書および語学教材.[注: あらかじめメールで参考記事を送っておいた.]

以上,よろしくお願いします.

数週間後,図書館内の注文品を受け取るボックスを確認したところ,ヤマダ電機の袋に入った iTunes カード1万円分が届いていた.ということで,ボクにかんするかぎりは上の理由書でよかったようだ.この結果,以前から導入していた無料の ITJ 六法やピアノ鍵盤アプリに加え,今回購入した iTunes カードで iPhone 3.0 Software Update,大辞林,i英辞郎,そして Dictionary.com (こいつは無料だな) を iPod touch に導入することが出来た.今後は語学ソフトなんかも買うかもしれない.

他大学や同大学他教員については上記のような理由書で行けるかどうかは分からないが,試してみる価値はあるだろう.その際「教育研究内容」が重要なのかどうかは分からない.ボクの場合は学内事務向けには長年「人文・社会・自然科学の包括的研究」というのを使って来た.今回は特に理由もなく,現状の教育研究内容を忠実に記述するためにやや分野を絞ってみた.自分自身の教育研究内容をそのまま書いても通りそうにないと心配する人は,「人文・社会・情報科学の包括的研究」というのを参考に,アレンジするなりオリジナルなものを考えるなりして欲しい.かぎられた研究費をほかの無駄なことにではなく価値あることに使おうじゃないか.

【2009/08/19 22:59 】
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メール検閲システムへの対処法

メール検閲システムは大学にとって自殺行為」というエントリーで指摘したメール検閲と無断削除の問題はいちおう解決した.管理者と情報センター関係者には丁寧に謝意を表明しておいたので,この記事の公開をもってやっと心の平静を取り戻せることになる.これでここ数週間続いていたうつ気分から抜け出せそうだ.

ただし個々のユーザーで対処できる問題ではないので,「無断削除は困る」という利用者は,管理者に申し出る必要がある.自由を回復するためにはそれなりの戦いというか,多少のコストは覚悟しなければならない.(そのコストの大部分は先人たちが払ったくれたわけだが.)

ちなみに Barracuda システムを管理している情報センターに問い合わせてみたところ,当初は 「TCP/IP [SMTP のことを言いたかったのかも?] は,通信を必ず実現するということを保証(ギャランティ)しないところの,ベストエフォート型であるといったような通信を規定していますです.到達を保証したりとか通信の秘匿を前提としたとかいったところの技術というわけではないと言っても構わないであろうということをご理解して下さいです」という迷答さえあった. 「配達証明郵便とか書留でなければ,家主が借家人のポストを覗いて私信を勝手に捨てていい!」 なんて理屈が通るわけないでしょ,あんた! まあ,その後は (こちらが電話するまでまったく情報提供してくれなかったことを除いては) 適切に対応してくれたので,あまり悪くは言わないことにしましょうね.

断っておくけど,メールの中身をスキャンするという意味での検閲の問題は完全には解消していない.しかし一般に「検閲」で特に問題になるのは,著作中のある部分が消されたり,著作物が流通を阻止されたり,著作物の存在自体が隠されることにより,国民 (今回は利用者) の知る権利が損なわれることにある (というていどにボクは認識している).その意味でボクはメールの中身がスキャンされるという意味の検閲に強硬に反対しているわけではなくて,あくまでメールが無断で削除されて届けられないことを重大視しているだけだ.無断削除がほぼ解消された以上は,今回の解決をもってよしとすることにした.

当初情報センターは「努力はするが,フィルタで拒否された一部のメールが届けられない事態を完全には解消できない」と説明していた.その後,関係者の試行錯誤や関連文書の検討の結果,以下の対応ができることが判明した.

対応

メールアドレスを「受取人ホワイトリスト」に追加する (「受取人ホワイトリスト」というのはボクが勝手にそう呼んでいるだけで,じっさいはもっとちがう名前の可能性がある).これですべての Barracuda システムのフィルタを完全に無効化できたことになる (システムに送られて来たメールがすべてメールサーバーまで通過する) かどうかは不明らしい.しかし情報センター側のログから判断する限り,たぶんそうなっているということだ.

受取人としての自分の調査でも,無断削除されるメールはゼロになったかどうかは分からないものの,許容できるレベルにまで減少したものと推測される.今年5月はじめ 200通ていどだった一日あたりの受け取り「スパム」数は,その後減少し,Barracuda 導入直前は30通ていどになっていた.そして Barracuda 導入直後は10通未満で,その後センター側の対応もあってやや増えて,20通前後になっていた.明確な増加がみられたのは,センターの担当者に電話した日以降で,当日センターは上記のホワイトリスト追加を実行した.一昨日は75通,昨日は75通となっている.Barracuda システム導入以前よりだいぶ増えているのは謎だが,とりあえず届いているメールは増えた.

残された問題

  • Barracuda のシステム自体に対処法が組込まれていたのは当然とはいえ評価できる.しかし管理者がその対処法を見つけるのに相当手間がかかったらしい.(システム導入前の原状を回復するだけの処置なのだから,Barracudaのサポートに問い合わせればすぐ解決していたかもしれない.しかし管理者としてはシステムについてじぶんで把握しておきたいため,サポートをあまり期待していなかったという事情はある.) 利用法が複雑なシステムを維持できる体制をセンターは整えなければならない.
  • 受取人のホワイトリストへの追加は,ユーザー側では設定できない.管理者による設定となる.この対処法とはべつに,受取人として対処できることは文書化してマニュアルにふくめておく必要がある.
【2009/07/24 22:19 】
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メール検閲システムは大学にとって自殺行為

前回記事「メール検閲システムにかんするメモ」に書いたメール検閲 (スパム対策) 問題について改めて考察する.「そりゃ検閲だから悪いの当たり前よ」と言えばその通りなんだが,そういう単純な理由では分からない人もいるようなので,まじめに書いてみる. 前述の記事を読まなくても分かるように,検閲システムに反対する理由を書く.簡単に言えば,大学人としてそして図書館教員として,利用者の知る権利を侵害するこのシステムの導入を許すわけにはいかないということだ.

それにしても,ボクに届いたメールを勝手に捨てることを平然と「サービス」と言う神経には唖然とする.ひとがどれだけ不安とか情けなさとか無力感を感じているのか想像できないんだろうか.メールが届かない分については,自分では対策しようがない.どういうメールが拒否されているのかまったく分からない状態で能天気でいろというのか.そういうひとばかりだったらあんなに神経科がはやるわけがない.

「雑草」という名の草はないように,「スパム」という名のメールもない.ボクが「スパム」と呼ぶにすぎないのだ.ただし断っておくが,ボクに代わってあなたがたに「スパム」を決めろと頼んだつもりはない.そこを間違えないでもらいたい.

ボクとしては大学丸ごと Gmail と Google ドキュメントでも使い始めてくれたほうがマシだった.学生へアクセス制限した形でのファイル配布も楽になるし.だが,図書館情報機構の下部組織である総合情報センターが選んだのは,それより劣るように見える解決策だった.コストについては知らないが,場合によってはこれから乗り換えることも選択肢として考えられるはずだ.どうするにせよ,決してこれまでの投資分が無駄になってしまうという思考に捕われてはならない.サンクコストはサンクコストである.これは意見の問題ではなく合理的選択の問題だ.

■導入されたメール検閲システムの概要

まず,今回大学が導入したメール検閲システムの (ボクが把握している) 特徴を列挙する:

  • Barracuda Spam & Virus Firewall という製品.
  • 管理者設定による検閲に引っかかったメールは利用者には届かない.大学アドレス宛のメールをほかのアカウントに転送設定しても,検閲は免れない.
  • 利用者設定により本文解析などの利用でさらにきびしくメールを選別できるように設定できる.しかし管理者側で検閲に引っかかったメールを利用者が取り返す設定はできない.

総合情報センターに言わせれば,

自分たちがメールボックスを提供しているのだから,その中身を捨てるのは自分たちの勝手でしょ

ということになる.ボクに言わせれば,

「メールの所有権は受取人にあるはずなので,その論理には疑問がある」

となる.

■メール検閲システムの問題点

総合情報センターの語法では,検閲システムは「サービス」だそうだが,メール受信システムの基本は「届いたメールをすべて届ける」ことである.いろんな付加機能がついたところで,この基本機能が欠けるようでは,ボクをふくむ利用者にとって意味のあるサービスではない.今回導入された検閲システムはこの基本機能を備えていない「欠陥品」である.

この基本機能が欠けたときの問題点:

  • 重要なメールが届かないことがある.これは単なる可能性ではなく,これまで大学で採用して来たスパム判定システムで経験済み.論文を投稿したジャーナルのエディタや出版社のメールがスパム扱いされたケースは何度もあった.これまでのシステムはラベルをつけるだけで配送はしたが,悪いことに今度導入されたシステムでは配送自体を止める.もちろん,これまでのシステムよりは誤判定が少なくなると期待したいところだが,一部メールが届かない以上,どのくらいの信頼性を持つのか利用者が知ることさえできない.
  • 学生その他の大学利用者・取引先からの信頼を失う.たとえば学生に「みなさんからのメールはすべてチェックしている.誤って迷惑メールに分類されることもあるが,それもふくめてすべてのメールをチェックして返事するようにしている.それでも見落としの可能性があるので……」という,学生へのサービスとして教員が当然やっておくべき宣言ができない.じっさい学生からのメールは,アドレス自体が国際規格からみて不適切だったりすることも多いので,検閲で拒否される可能性は低くない.かりに学生からのメールがまったく弾かれなかったとしても,この種の宣言ができないことで学生からの信頼を失う.
  • 自分のコントロールすべき情報をコントロールできない不安がつきまとう.ボクは届いたメールすべてに目を通して,はじめてコントロールできた感覚を持てる.それが出来ない状態は極めて不安であり,気になってほかの仕事が手につかない.頭に来て犯罪でもやりかねないので,公共交通機関も使えない.公平のために言えば,ひとによっては欲しくないメールを目にしないことで,自分が情報をコントロールできた安心感を持てるだろう.今回のシステムは後者のタイプの利用者の要求に応えようとする (じっさいに応えられているかどうかはべつ) ことにより,前者のタイプの利用者を犠牲にする.

■代替手段と権利からの議論

最後の項について補足しよう.「一部の利用者が犠牲になり精神障害になって自殺したり痴漢したりしたところで,ほかの一部の利用者の要求に応えられれば問題ない」という反論もあるだろう.両方のタイプの利用者の要求に応えられるようなシステムなら問題なかったのだが,今回のシステムはそうではない.だからどちらの要求をより基本的なものとして認めるかという話になる.これには代替手段の問題と権利の問題がかかわる.

代替手段にかんする考察

代替手段の存在から考えると,迷惑メールにたいして大学側が取るべき対応は消去法により,

  • なにもしないか,あるいは
  • すべてのメールを届けるという基本機能を満たした上で対応する

となる.

  • 大学側で今回のようにメールを検閲する対応をしたときは,配送されないメールについて利用者側ではなんの対策もとれない.唯一の護身法は大学メールアドレスの使用を止めることだが,相手によってはそれもできない.
  • 大学側でなんの対応をしなくても,利用者側で (大学アドレスの使用をやめなくても) 一定の迷惑メール対策はとれる.迷惑メールの対策はたいていのメールソフトウエアについている.それを利用すれば個人レベルでできる.それで不十分であれば迷惑メール対策のすぐれた Gmail のような Web メールを利用することも (大学アドレスの使用をやめずに) できる.

権利にかんする考察

どちらのタイプの利用者の要求も,情報のコントロールにたいする要求とみなせる.それぞれ「自らの望む情報を受け取る権利」および「自らの望まない情報を受け取らない権利」への要求といえる.そのうち大学が伝統的に守ろうとして来た「表現の自由」や「知る権利」から導けるのは,「自らの望む情報を受け取る権利」の方であるはずだ.

そもそも「自らの望まない情報を受け取らない権利」とか「知らないでいる権利」などというものを聞いたことがあるひとの方が少ないだろう.これらは表現の自由と対立するので古典的自由主義でいうところの権利ではない.たとえば日本国憲法からこれらの概念を導くことは難しいはず.

「自らの望む情報を受け取る権利」についても積極的権利ではなく消極的権利に近いものと考えるべきで,たとえば高価すぎてある本が入手できないという制限はありうる.しかし,入手できないことを大学が追求してきたわけではない.また,いまの議論で問題になっているメールにかんするかぎり---コンピューターを破壊するもののような例外を除けば---そういうコストによる制限は無視できる.

もちろん「自らの望まない情報を受け取らない権利」もまったく尊重されないわけではない.しかし,それはたとえばある書籍を提供しないという手段ではなく,「その書籍が存在するからといって読まなくてもよい」という意味で尊重されてきたにすぎない.あくまでも二次的な意味で尊重されるわけで,一次的には「自らの望む情報を受け取る権利」が優先されて来たのが事実であり,かつそれが規範である.

メールシステムで言えば,「自らの望まない情報を受け取らない権利」は,利用者が届いたメールを読まないことによって,つまり情報としては受理しないことによって守られることになる.ところが今回導入されたメール検閲システムはこの「自らの望まない情報を受け取らない権利」を優先しようとするがゆえに,より基本的な権利である「自らの望む情報を受け取る権利」を犠牲にしている.大学の理念や伝統的な価値観に反するものである.「届いたメールをすべて届ける」という明白な基本機能さえみたさないシステムを導入することは,素人には手の届かない情報通信技術を隠れ蓑にして大学の基本的価値観を破壊しようとする不道徳きわまりない画策である.じっさい,システム推進者たちは,利用者の委託を受けて行うサービスであるスパム対策と,利用者の委託を受けないで勝手に行うメール検閲をまったく区別しないことで,われわれを欺いて来た.利用者の知る権利を守るべき図書館情報機構の下部組織からこの反大学的な検閲の動きが出て来たことはひじょうに残念だ.すべての大学人よ,目を覚ませ!

追記 (7/12/2009). 「最後の段落の「自らの望む情報を受け取らない権利」は、「自らの望まない情報を受け取らない権利」ではないですか?」との指摘を受け,最後の段落を修正した.

追記 (7/24/2009). その後いちおうの解決は得られた.「メール検閲システムへの対処法」を参照.

【2009/07/04 20:38 】
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メール検閲システムにかんするメモ

図書館情報機構の下部組織である総合情報センターがメール検閲をはじめた.彼らが「スパム」とみなすメールをサーバ利用者に届けないところがポイント.

「自分たちがメールボックスを提供しているのだから,その中身を捨てるのは自分たちの勝手だ」

ということらしい.勝手なものだ.まとまった考察は次回にして,この記事ではすぐ思いつく問題点などを指摘しておく.反対の声を高め,検閲を止めさせよう.

  • 私信を勝手に削除してもらいたくない.当たり前の感情.
  • フィルタをかけないのがもともとの状態であり,いちばん自然.自然な状態が回復できないのは問題.
  • 迷惑メール対策は必要なら個人レベルでやってるはず.まちがって判定されていないか確認するためにいちいち大学に来てメールボックスを開かなければならないのは不便.
  • 「スパムを苦情とする声に答えるようなサービスをした」ということだが,苦情の主は自分のメールボックスに届くスパムを問題にしたはず.他人のメールボックスに届くメールを妨害しようとしたわけではないだろう.欲しているサービスと提供しているサービスが噛み合っていない.(仮にその人が妨害しようとしたというなら,それは他人の情報収集をする自由を否定しようとする,学者としての風上にもおけない者の意見.そういう学問の自由をも否定する反大学人の意見をまともに受け入れるのは真理探究の府として自殺行為.)
  • だいたい,検閲を「サービス」とよぶのは,どこの全体主義国家だ.受け手の代理人としてスパムを削除するなら「サービス」と言っても問題ないが,実情は受け手の意思に関係なく削除するわけだから,それを「サービス」とは言わないだろう.大学のアドレスが使い物にならなくなる (そのこと自体も確認しようがない),こういう最悪の「サービス」はさっさと停止してもらいたいですね,検閲官!
  • デフォルト設定が検閲状態になっているのはおかしい.デフォルトはすべてのメールを通したうえで,希望者だけがフィルタをかけられるようにすべきだった.これは図書館が利用者の知る権利を守るための機関であることのコロラリーである.図書館情報機構が検閲することは「図書館の自由に関する宣言」に反する.(図書館が知らないでいる権利を守る機関だったとしたら話は別だが,そうではない.だがちゃんと「図書館はすべての検閲に反対する」とある.) 常識的に考えても「有害であるとか迷惑であるとかは,読者の判断に任せよ」というのが大学や図書館のあり方でしょう.

図書館情報機構という表現の自由を守るべき牙城が,自由な情報の流れを妨害するのは情けない.総合情報センターというところは情報の流れを停めることが仕事なんだろうか.

参考

図書館の自由に関する宣言

【2009/07/04 15:16 】
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大学新入生へ

大学へようこそ.「新入生へのメッセージ」ということで原稿を頼まれたので,大学教員として,そして「先輩」として,アドバイスをしてみる.ボクは留年も退学も転校も卒業延期も経験したし,大学の教務主任にお願いして卒業要件を変えてもらったことさえある.長い学生時代を過ごしたので,それなりに有用なアドバイスもできると思う.抽象的・精神的な訓話をするつもりはない.みなさんそれぞれが目指す職業人 (ボク自身で言えば学者) への道のりを少しでも楽なものにできるような情報を提供したい.(ただしボク自身はけっこう無駄なことをやってきた.決して最短コースで学者になったわけではない.)

みなさんの多くは高校までは学校の勉強や受験勉強をしていれば済んだかもしれない.しかし大学生になったら勉強しなければならないことは一気に増える.専門として選んだ学問分野だけではない.効率的にやるためそして長期間継続できるようにするために,勉強法を工夫する余地は大きい.よって勉強法の本も少しは読むといい.たくさん読む必要はない.(受験勉強法にやたら詳しい一方で受験勉強自体はあまりやらない受験生みたいになってもしょうがない.) ボクが気に入ったものを数冊紹介する.

  • 野口 悠紀雄. 「超」勉強法. 講談社, 2000.
  • LifeHack/GTD (Getting Things Done) にかんするネット上の情報.勉強法というよりは仕事法.ボク自身はきちんとやったことはない.でも,やりたいことをすべて書き出して頭のなかを空っぽにするというていどなら昔からやってる.
  • 佐々木 正悟. 脳と心を味方につけるマインドハックス勉強法. 日本実業出版社, 2008.
  • 金出 武雄. 素人のように考え,玄人として実行する: 問題解決のメタ技術. PHP研究所, 2004. ただしこれは必ずしも勉強法の本というわけではない.

さて,方法が分かったら次は中身だ.(本来の順番とは逆かもしれないが,順番は気にしなくていい.仕事でも学問でも,途中経過はそれ自体を問題にしないほうがいい.要するに結果を出すことが重要なのだ.) 学生時代になにを勉強しておくべきか.自分の目指す将来像から逆算して必要なものをピックアップすればいいのだが,それは必ずしも簡単な作業ではない.勉強すべき内容としてボクが学生に薦めたいものを例示してみよう.ものによっては勉強法にかんするヒントなども添えておく.

  • 英語.繰り返し読んで文章を暗記.Podcasting を iPod で聞く.ボク自身は使ってないが,iKnow も検討に値する.
  • 韓国語.余裕があれば英語以外の外国語もマスターしよう.ボク自身は余裕がないけど.
  • 自分の専門分野.4年分あるいは大学院までふくめたカリキュラムを理解したうえで,欠かせない科目を逆算すること.
  • 専門外の関心ある分野.「雑学」でもいい.専門がきちんとしている例として学者を考えてみる.学者のばあい初歩的なものでも専門外の知識は大いに役立つことがある.自分が考えた理論の応用例を見つけたり,他分野のアイディアを自分の専門に活かしたり.
  • ゲーム理論.理論を作る方法を多くの分野に提供する.たった十数時間かけてたとえば渡辺隆裕 『図解雑学ゲーム理論』(ナツメ社, 2004) を正しく読めば理解できる論文数も一気に増えるのに,そうしない研究者が多い.経営学者とか法学者とか.学者を目指す人は,時代遅れにならないようにゲーム理論のような基礎的分野の勉強をきちんとしておこう.ビジネスを目指す人はゲーム理論で戦略的思考を鍛えよう.(ゲーム理論は多くのビジネススクールでコアになっている.) ゲーム理論の科目の例を挙げておく.
  • 統計,データ解析.実証分析のための方法を多くの分野に提供する.統計の手法を知っていると,とりあえず調査をして (どの本にも載っていないという意味で) 新たな「研究」をやったと主張することができる.実証だけでも認められる分野は少なくない.もちろんそれだけでは理論家に「理論なき実証」と批判されるけれども.
  • 情報リテラシー.インタネットや表計算ソフトの使い方など.全角空白でワープロ文書を整形するひとが少なくなりますように.
  • 線形代数と微分積分.大学初年度のもっとも標準的な数学科目と言えばこれだ.理工系学問や経済学にとってそれだけ重要であるということ.
  • 抽象数学あるいは論理学.典型的な法学者が『図解雑学ゲーム理論』を読んだだけで「ゲーム理論を制覇した!」と言えば,笑われるだろう.しかし典型的な数学者が同じことをしても笑われはしない (あるいは笑いの意味がちがってくる).数学者はこれだけでもゲーム理論の論文をけっこう読めるようになるものだ.適切に助言されればゲーム理論の先端的問題を解くこともじゅうぶんできるはずだ.抽象数学を学ぶことは抽象的思考力を高めるだけでなく,こういう (新たな分野をすばやく学習して高度な理解に達する) 効果が期待できる.集合論あるいは論理学の授業を取ることからはじめよう.
  • プログラミング.ソフトウエア開発をめざすひとにとっては当たり前.それ以外のひとにとっても論理的思考の訓練になる.学者をめざすひとにとっては,自分でプログラムして計算できる能力は今後ますます強みになるのではないか.ちょっと以前なら小さなモデルを解析的に (「理論的に」「数学的に」とほぼ同意) 分析していたような理論分野も,その一部は今後大きなモデルを数値計算的に解くことを主流とする計算分野に変貌する兆しがある.
  • 論文の書き方.一年生でも教養ゼミナールなどで論文の書き方を習うかもしれない.しかし,そこで習うのは主として他人の研究成果を引用して組み合わせるような研究法.(一次資料と呼ぶべき) オリジナルな研究成果を作ることが要求される卒業論文の書き方とは別物である.
  • 宗教・思想.人生の意味などについて最終的な答を出すのはもちろん,とりあえず納得できる答を出すのも難しい.しかしそれらについてまったく何も考えを持たない人生も無駄が多い.ある程度の方向性は持ちたい.自分が信仰するか関心を持つ宗教の教典や解説書を読もう.特に信仰を持たないひとは,自由な意思を尊重するリバタリアン (リバタリアニズム) の本を読むといい (無神論者であろうと有神論者であろうと受け入れられるはず).科学的方法を軽視する思想,短絡的に答を出してしまう思想,コミュニズム (共産主義),フェミニズム,環境保護主義には注意.
  • 人間関係,人のマネジメント,恋愛,セックス.ひとを喜ばせたい,あるいは怒らせたい,あるいは協力してもらいたいと思っても,思い通りにならないことがある.実践で学ぶことももちろん大切だが,それだけでなく戦略的思考も必要.ゲーム理論の授業をとった上で関連書を読むのも助けになる.

以上,資格取得のための勉強は挙げていないことに注意.資格のための勉強というのは,すでに知られた知識を取り込むものであり,新しい価値や知識を生み出す研究とはかなりちがう.そのため,刑務所とちがって大学では資格のための勉強は重視されない.大学にかぎらず職場も同様であり,(規制された職種以外では) 資格自体を重視するわけではない.なにかを学ぶためとか,なにか他の目的を達成するために資格を利用するのは問題ない.しかし資格取得自体が目的となってるようなひとは,自分の目的を問い直した方がいい.

最後に,受講科目の選択にあたっては,可能なかぎり優れた教員を選ぶのがいい.これを誤ると,とんでもなく遅れた知識を授けられたり,単純なものごとを複雑に説明されたりして,書籍で学ぶよりも非効率なことがある.このような失敗を最小化するためには,自分の仕事 (研究) をまともにやっている教員による科目を選ぶのがコツだ.

  • 経済学や理工系では,国際ジャーナルに論文を発表しない大学教員は一人前の研究者とはみなされない.学界的には「存在しない」に近いあつかいを受ける.業績は大学の「研究者総覧」のほか,Scopus や Google Scholar などの文献データベースで確認できる.(ただし検索ワードの設定で結果がかなり異なるので,いくつかバリエーションを試した方がいい.)
  • 大学教授というのは『新 大学教授になる方法』(ダイヤモンド社, 2001) を書いた鷲田 小彌太が言うように,頭が悪いひとが意外と多い.いったんなってしまえば淘汰されることはほとんどない.もちろん参入するまでには自殺者もそこそこ出るようなそれなりにきびしい競争はあるが,特に文系の一部分野では,学問的能力とか熱意というよりも単にどれだけ長期間貧乏かつ社会的地位のない生活に耐えられるかといった競争になっている.
  • 「頭が悪い人は同じことを理解するにも頭がいい人よりは苦労するわけだから,その一生懸命考えた経験を教育にも生かせるのではないか」と思うひともいるだろう.学生に教えるべき内容すべてについて (苦労の結果としてかどうかは問わないが) きちんと理解しているならそれでいい.問題は自分の担当科目で学生に教えるべき内容についてさえきちんと理解していない教員が少なくないことだ.
    • たとえばある概念があったとして,それがどう誤解されうるのかをいろいろと知っていることは教育者として大切だ.だがそのことと,教員本人が誤解していることとは別次元だ.正しい理解をしていなければ,誤解法を百個知っていても意味がない.
    • へたな学者は自分が意味をきちんと分かっていない用語を平気で使ったり,いく通りにも解釈されうる表現を論文のなかにいくつも残したりする.そこそこのレフェリー制ジャーナルであれば後者のような論文は蹴られるか書き直しを要求されるだろうが,そういうジャーナルに投稿しない学者は自分では気づかないでいたりする.

以上,勉強法,勉強すべき内容,そして教員の選択についてアドバイスを述べた.このエッセイがみなさんの大学在学中の糧となることを願っている.

【2009/04/19 20:25 】
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